朝食、ジャガイモとひき肉のオーブン焼き、サーモンとチーズとトマトとレタスのサラダ。
月別アーカイブ: 2014年8月
【日記】14年08月31日 体重60.2kg
就寝中、蚊に足を刺され、たまらず仕事部屋へ行き痒み止めを塗っているうちに目が覚める。
五時起床。
この時刻でもほんの一週間前は明るかったのに、今は真っ暗。
冬かと思うぐらいの寒さ。
七時一一分より光ヶ丘公園を四二分ジョギング。
早朝は寒いのに七時に走るともう日差しがきつい、この微妙さ加減。
Gentle Giantのアルバム「Octopus」を聴きながら走る。
……何も印象に残らない。
午前中はキャラクターデザイン。
図書館で資料の返却貸出ついで、マクドにて昼食を購入。
午後は今後の展開を(いろんな意味で)考えている。
二二時半就寝。
こんなもの食べた!・・・14年08月31日
こんな映画を観た!・・・14年08月31日
【映画】『ジャイアンツ』:DVDで鑑賞。
こんな本を読んだ!・・・14年08月31日
【本】『精神分析入門・夢判断 (まんがで読破)』ジークムント・フロイト (著) バラエティアートワークス(企画・漫画)
【本】『精神分析入門・夢判断 (まんがで読破)』ジークムント・フロイト (著) バラエティアートワークス(企画・漫画)
【映画】『ジャイアンツ』
保守的な風土テキサスへ嫁いだ女性が理想を失わず家族とともに成長していく話。
登場人物がみな多面性を持っていて、ひとつの言葉で表現できない。
レズリー(エリザベス・テイラー)は保守的な土地柄でも自分の理想を守ろうとして、夫のジョーダンと対立する。
夫のジョーダン(ロック・ハドソン)はその土地柄を象徴する保守的、権威主義的、差別主義的。
理想主義と保守主義、二人を結びつけるものは愛の一点のみ。
ジェット(ジェームズ・ディーン)は、学はないが新しい価値観を持っていて、保守的で世間体を気にするティラーの夫より多様性があるように描かれている。
途中、価値観の違う夫とすれ違いになり、エリザベス・テイラーとジェームズ・ディーンが結ばれるのかと思ったら違う方向に。
ジェームズ・ディーンは成金となり理想を見失っていく。
「メキシコ女を妻にした具合はどうだ」
とティラーの息子を侮辱する。
変化するものと変化しないものがこの映画では重要なのだろう。
人間は立ち止まっているように見えても足元を流れる泥土(時間)に引きずられていくように、少しずつ流されて(変化して)いく。
三歩進んで二歩下がるように揺り返しを繰り返しながら。
変化することが必然の世界において「時代に抗う」ことが「変化しないこと」で、守るものを守りきった男は他の一様に変化している人達と比べると、実は相対的に「別の方向へ変化している」のかもしれない。
静電気は「運命の出会い」の表現。
【日記】14年08月30日 体重59.7kg
五時半起床。
いったん目覚めて仕事部屋へ、そこで座椅子に横たわってまた二度寝。
寒さに身体が起きることを拒否している。
今日にてシナリオいったん終了。
まだ未完成の部分があるが、これ以上絵のないレベルで触っていても仕方ないので、ネームの段階へ移ることにする。
夕方から外出。
新大塚の図書館で資料の返却貸出、新宿へ移動してTSUTAYAでDVDの返却貸出、四谷三丁目駅近くのめん屋「いなば」四谷店にてつけ麺を食した後、クロッキー会へ。
何となく脳と手のつながりがよくなってきたような気がする。
二二時半就寝。
こんなもの食べた!・・・14年08月30日
【食】14年08月30日
【食】14年08月29日
【映画】『LUCY/ルーシー』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞
運び屋にされてしまった女性が事故に遭い、ドラッグを体内に吸収することで脳の未使用部分を解放、途方もない力を得る……という話。
脳の使用領域が広がっていくに連れスカーレット・ヨハンソン演じる女性がすごい超能力を発揮するようになる理屈がわからない。
イルカが人の倍(人は普段一〇パーセント)二〇パーセント脳を使うことによって得た能力は、音波を感じる高性能な体内ソナーを使うことができるぐらいのこと。
それなのに人が脳の力を一〇〇パーセント発揮することで、場所や時空を超えて神のような力を得ることができるって論理の飛躍にもほどがある。
そもそもスカーレット・ヨハンソンが覚醒した後も言動に知性が感じられない。
行き当たりばったりの行動で計画性がなく、強引に超能力で実行しているだけ。
スペースオペラ『キャプテン・フューチャー』における主人公である天才の表現がすごい道具を発明するぐらいのことだったが、この映画の超知性の表現も同じレベル、超能力とすごいスピードの情報処理だけで思考レベルは一般人と変わらない。
製作者か考える以上のことは表現できないのはそうだけれども、観客はそれを上回る何かを期待するから映画を観に行くわけで、もう少しこころざし高く頭を使って考えてくれよ、と思う。
スカーレット・ヨハンソンのそこはかとなく漂う「はすっぱ感」は好き。
【日記】14年08月29日 体重59.9kg
五時起床。
この時刻に目覚めると外は真っ暗、雨が降り続いている。
シャワーを浴びてから脱衣場に出ると寒さに震える。
雨の日は陰鬱な気持ちになる。
そしてずっとこの五日間雨が続いている。
地上近くまで垂れ下がった雲の下を潜水艦のように走り、外出。
九時三〇分よりユナイテッド・シネマとしまえんにて映画鑑賞。
帰宅ついでに銀行で家賃を振り込んでから帰宅。
一日、漫画のシナリオ。
昼過ぎ雨がやんだので、具合の悪い空を気にしながら外に出る。
一五時二七分より光ヶ丘公園を三九分ジョギング。
走っていると、シナリオで詰まっていた部分の解決方法が次々と浮かんでくる。
やっぱり気分転換は必要だ。
Gentle Giantのアルバム「In A Glass House」を聴きながら走る。
……このバンドはあまり肌に合わないみたいだ。
二二時就寝。
こんなもの食べた!・・・14年08月29日
こんな映画を観た!・・・14年08月29日
【映画】『LUCY/ルーシー』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞。
【食】14年08月28日
【映画】『羊たちの沈黙』
FBI訓練生が猟奇殺人犯で元精神科医との交流の中で連続殺人事件の真相に迫る話。
サスペンス版『スターウォーズ』といったような趣。
レクター博士に対して誠意で接することで見返りを得ることができる。
逆に利用しようとするとこっぴどい目に遭う。
平素の訓練とレクター博士の霊的指導により、主人公のクラリスは成長していく。
クライマックス、デス・スター最深部に侵入するがごとく、クラシスは殺人犯の自宅地下に潜入する。
危機に陥るが、それまでの経験を活かすことによってクラリスは無事、生還する。
ラスト、オビ=ワン・ケノービが肉体は消えた状態にあっても霊的な指導を続けるように、クラリスに電話で声をかけるレクター教授。
『スターウォーズ』的な展開をなぞるならきっと次回作では、主要登場人物の誰かが腕を切り落とされるのだろう……と予想してみる。
【本】『面白いほどよくわかるフロイトの精神分析』立木康介 (監修)
【日記】14年08月28日 体重59.9kg
【映画】『セブン・イヤーズ・イン・チベット』
オーストラリア人の探検家が第二次大戦のどさくさで七年間チベットで過ごすことになったという話。
こういうアジア人がいたらいいなあ、というアメリカ人の理想を押し付けられたような印象。
主人公であるオーストリア人/ドイツ人が英語で会話することは、(よくないけど)まあいいとして。
文明が届いていないところ、チベットの奥地の人はわけのわからない言葉を喋っていて、文明化している人は英語で喋るって、そんな演出をする神経を疑う。
ダライ・ラマが幼少から英才教育受けていたにしろ、主人公と出会った時点で流暢な英語で語りかけてくるのは不自然過ぎる。
『G.I.ジョー』で、東京と思しきスラム街で日本語で話そうとする少年に「失礼だ、ちゃんとした言葉で話しなさい」と老師が英語で話すよう促してきたり、
『ラスト・サムライ』の御前会議で閣僚がろくに英語を話せない中、明治天皇が英語で話しかけてきたり……霊的に高いレベルにいる人は、当然のように英語を喋ることができるとアメリカ人は思っている、ように見えてしまう。
それでもこの映画の最初のほうは、留学経験者や大臣レベルしかチベット界隈で英語を話せる人がいなかったのに、途中ぐらいから猫も杓子も英語を話し始める。
中国人とチベット人の交渉も英語。
そのへんに歩いている老婆も英語。
工事現場のおっちゃんまで「ミミズがいるから工事ができない!」って英語で訴えはじめる。
じゃあ最初の方の言葉の伝わらなさは何だったんだ。
わかりやすすぎる反共プロパガンダも疑問。
大事な話し合いに訪れた中国の軍人は
「何日もかけて砂で曼荼羅を作りました」
とチベット側から説明されたらわざと軍靴で踏みにじりながらその上を歩いていく。
こんなわざとらしいぐらいの悪いことを本当にしたのだろうか?
その後、幼いダライ・ラマが真摯に話し合いに応じたにも関わらず、軍人は「宗教は毒だ」とだけ吐き捨てて去っていく。
これは一九五三年に北京で毛沢東がダライ・ラマに会ったとき
「宗教は毒だ」
と語ったという有名なエピソードから引用したものだが……ということは、やはり映画のこのエピソードそのものは事実から大きく脚色されて作られていることの証左じゃないか。
こういうシーンを映画で描写するなら、高い精度で真実を反映しないと、その一点から説得力が崩れていく。
中国が悪逆の限り尽くしている描写を観ても、この映画の中ではそういうプロパガンダに見えて今ひとつ信頼できない。
中国共産党が素晴らしいわけではないが、日本も同じことを中国で行ったわけで、そして欧米も世界中で大なり小なり、侵略と文化破壊を行ってきたわけで、世界中の国々がそういう連鎖の中にある。
日本の中だけに限定しても明治維新のときに改革の中、たくさん過去からつながるものを破壊した。
少なくともその瞬間は悪意だけで破壊するわけでなく、程度の差こそあれ基本的にはよかれと思っているわけで、相対化するような描き方をせず、一方的に善悪の対立を描くやりかたはいただけない。
そんなイデオロギー的なことはともかくとして、
偏屈で自分勝手な主人公が、チベット人の触れ合いを通して変化していく成長譚としては素晴らしい出来。
むしろそれだけならよかったのに。