俺は小さい頃から生肉に異常な執着があった。牧場や動物園に行くとまずこの動物はどんな味がするのかなあ、といつも想像していた。しかも焼いたり煮たりとかあまり加工しないで生の状態でかぶりつくところとか。
だから取材で食肉センター動物を殺す瞬間の映像を観ても、実際に豚がどんどん解体されている作業場を見学しても、食べ物にしか見えなかった。
ところが肉だ肉だとテンション上がっている最中、ベルトコンベアの上に流れていく動物の内臓を見て、唐突に僕は気分が悪くなってしまった。
それはおそらく、人間の内臓との共通項を見つけてしまって、食べ物として見ることができなくなってしまったからなのだろう。この切替えが不思議なのだが、その一時間後、焼肉屋へ行って同じものを見ると、また食べ物にしか見えないのだ。焼肉屋の内臓は食べ物でしかない。
思えば僕たち人間は、肉を見ておいしそうと思うけど、人間を見ておいしそうって思わない。おそらくそれは人間だけが、共感するという感情を持っているからではないだろうか。「自分が食べられたら痛い!」 動物の死に対して僕たちが一定の配慮をするのは動物にすら自分を重ねるからなのだろう。
そして屠殺でどういう態度をとるかはその国の死に対する考え方や文化が関係してくるのではないか。僕の国の屠殺につながる歴史や差別などを考えると、もっとオープンにして、生き物が食べ物になる瞬間を見なくちゃならないんじゃないかと僕はこっそり思った。自分の手でさばいた軍鶏は美味しかったよ。