こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)

【映画】『GHOST IN THE SHELL』ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

う〜ん言うほど悪くないけどな〜これが『攻殻機動隊』を原作としている映画でなくて八〇年代に発表されていたら画期的な作品だったに違いないのに三〇年遅れで勿体ない!

主人公が自分の名前をうまく発音できず「モト〜コゥ〜」って言うとこは受けた。

タイトルを変えて別の映画として原案程度に(『エイリアン』における「宇宙船ビーグル号』のように)『GHOST IN THE SHELL』を使えばよかったのに、日本のあれをハリウッドで映画化!みたいな感じだから昨日の映画館でも観客が失笑の嵐だったのだ。

ビートたけしだけ日本語を話す理由を(あくまで映画の世界観の中で)考えていたら眠れなかった。

たけしは命じられたことを完璧にこなしていたと思う。
演出とキャスト選びが悪すぎる。
スカーレット・ヨハンソンだって鼻声の猫背ぽっちゃりの役だったらドンピシャあってたのに、スタイリッシュなサイボーグ役を演じさせるんだもんな〜ミスキャストだ。

【映画】『マルサの女』

「『マルサの女』ビデオに撮ったで〜!」
そう言う友達宅に集まり、おっぱい吸うところをみんなでハァハァ言いながら観ていた高校時代を思い出す。
……そんな背伸びして観ていた印象が強過ぎて(対象年齢は今の自分ぐらいの歳なのかもしれないけれども)、僕にとって永遠に大人が観る映画。

この映画におけるバブル期の描写が、自分の記憶にあるテレビでしか観ることができなかった、大人の住む領域の話みたいで、郷愁感とともに馬鹿騒ぎの

ラストのハンカチのケレン味のある演出、僕の中ですごく映画的というか邦画的。

【映画】『火垂るの墓』

今どき初鑑賞。
大人視点で観たからかもしれないが、自分勝手な子供の行動にイライラしている。
きっかけは戦争だけれども、この悲劇は戦争と直接関係がない。
この子たちが不幸になっていくのは、温室育ちの裕福な家で育ってしまってその外の生活に適応できなかったせい。
戦時中だから他者に目を向ける余裕は少なかっただろうけれども、それは本質的な問題ではない。
こうなってしまった結果の多くはこの子達のパーソナリティの問題で、現代だって起こりうる話。
(そもそも戦時だって、子どもたちだけで山に住むことが一般的な話ではないだろう)
親戚のおばさんが
「戦争中なのにブラブラして!」
と子供をなじるシーンがあるけれども、そういう同調圧力は今だってある。

他人に合わせる努力もしないで親戚の家を飛び出し、死ぬ必要がない妹を殺した兄の責任だ。
自分一人なら自由に生きることもいいだろうけれども、そういう判断もできない身体も弱い妹を巻き込むな。
早めに貯金を下ろせ&大人に頼れ!

【映画】『鑑定士と顔のない依頼人』

後味が悪い映画であっても問題提起が哲学的に止揚され結果としていい映画になり得ることはあるけれども、この映画は悪い意味で後味の悪い映画。
「策士策におぼれる」といったところ。
映画として、とくに演出はよく出来ていると思うけれども、解釈のわかれるこのラストに必然性がない……ただ単に解釈をミステリアスにするためだけに作られた「自己目的化した曖昧さ」だ。
「いかなるニセモノの中にも必ずホンモノが隠されている。見抜けなかったあなたはすでに過去の遺物」
というメッセージが上滑りしている。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督『ニュー・シネマ・パラダイス』には泣かされたけど、端々までコントロールされているにも関わらず何も心に響かないこの映画を観ていると、あの映画を観た体験自体この映画のようにニセモノだったような気がしてくる。

【映画】『スペシャリスト / 自覚なき殺戮者』

戦争中に相手を殺さなければ自分が敵に殺される/あるいは軍法会議にかけられる。
命令に従わないことは犯罪だ。

アイヒマンの罪は、六〇〇万人のユダヤ人をシステマチックに殺すシステムを作ったこと(人道上の罪)だ。
しかしアイヒマンの所属していたナチス(ドイツ政府)はユダヤ人の虐殺を推進しており、その速やかな執行を彼に命じていた。

時の政府の命令に従ったことに対して別の国で極刑を下されるというのは、どう考えても理屈が噛み合わない。
その政府に逆らわなかったことを犯罪として他の国で裁くことが可能なら、今この瞬間、僕らがしていることも、他の国によって何かの罪と問われる可能性があるということだ。
イスラム法に基づいた国の法律なら豚肉を食べたり飲酒したりしても罰せられるし、共産国家なら国家批判は重罪だ。

戦後、アイヒマンは第三国(アルゼンチン)に逃亡していたが、イスラエル諜報機関モサドによって拉致され、イスラエルで極刑に処された。
それが許されてナチスのしたことが許されないのなら、アメリカの原爆投下による日本人の虐殺は?
何が正しくて何が間違っているか決めることの傲慢を考えさせられる。

【映画】『ハンナ・アーレント』

ユダヤ人虐殺などの行為に積極的に携わったわけではないが、(保身のため)やり過ごしたことで結果的に殺戮行為が起こった場合、それは手を貸したのと同じくらいたちが悪い……言うなればそれは「悪の凡庸さ」だ、とユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントが語ったことで起こる波紋。
ナチスで官僚的立場だったアイヒマンに対して向けられたハンナの舌鋒はそれだけにとどまらず同胞にも向けられる。
ユダヤ人指導者に対しても、混乱を避けるためにナチスに対して行った協力(名簿を提供したり管理を手伝ったり)は、結果的に殺戮に手を貸したも同然の行為だと断罪する。
韓国で言えば、従軍慰安婦問題に協力した業者や時の政府や隣人たちを非難するようなもの。

ユダヤ人同胞に非難されても自分の考えていることを曲げないその勇気に対して感銘を受ける。
僕はずっと同調圧力に屈し続け言いたいことも言えない毎日だ。
勇気を、そして力がほしい。

【映画】『ミュータント・タートルズ』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

忍者で亀で突然変異って、保険調査員で考古学者でサバイバル教官の『MASTERキートン』か! 
中学生ぐらいのときは背伸びがしたいもので、僕も例外にもれず『ミュータント・タートルズ』みたいなアニメが嫌いで、チラ見程度しか観たことがなかった。

漫画やアニメの中では成り立っているけど、本物の亀ってひび割れの質感が気持ち悪い。
においも臭いし、なんといっても形がチンポを想像させる。
なのに『ガメラ』を始めとして何でこんなにフィーチャーされるのだろう?
ひっくり返ったら自力で立てないし、そもそものろいじゃないか。
甲羅に手・足・首を引っ込めるし、守り中心で攻めじゃない。
長生きするけれども、それだってヒーロー要素じゃない。

映画冒頭のアメコミ風イラストが一番3Dで、本編より飛び出して見えた。
『アバター』でも現実的な映像よりCGエフェクトがはるかに飛び出して見えたし、何といってもIMAXシアターの最初のカウントダウンを超える3Dを見たことがない。
現実より飛び出している。
そもそも現実がリアルに見えるということも一種の刷り込み(学習)なのだから、
何を持って立体的に/リアルに見えるかということを熟知した制作者が作ったゲームやアニメが、
現実より立体的に/リアルに見えることは当然といえば当然なのかもしれない。

そういえばドラクエをプレイ中、日常に戻り買物へ行く途中、財布を忘れてきたことに気づき、
「まあいいや、途中でモンスター倒して金を稼ごう」
と思うことはアルアルだ。

【映画】『ゲッタウェイ スーパースネーク』

僕は子供の頃から車に興味がなかったし、免許をとってからも一度しか運転したことがない。
カーチェイスも興味がわかない、というよりわからない。
普通にハラハラはするけれども、車のギミックがよくわからないので細かいすごいことはピンと来ないのだ。

この映画はカーチェイスがメインだから恐らくすごいのだろうけれども、すごいということ以上の細かいことはちゃんとわかったとはいえない。
ラストの道路を数分走るだけのカーチェイスはギミックがなく本当に走っているだけだからかえって怖かった。

色でしか車種の違いがわからない僕だから仕方ない。
スポーツカーよりもっと個性的な形の車ならもっと興味が持てたのに。
バキュームカーやミキサー車さらに言えば山鉾やだんじりや大八車や運動場に石灰でラインを引く手押し車のカーチェイスをもっとじっくり観たかった。

【映画】『13日の金曜日』

一二日の木曜日に鑑賞。

こういうスリラー映画のアイコンにもなっている、ジェイソンのマスクがDVDのパッケージ。
ネタバレにもほどある、と思う。
まあこういうことはこの手の定番映画によくありがちで、『猿の惑星』のパッケージも砂に埋もれた自由の女神だった。

というわけで観たことがないのにわかったつもりで観たら、マスクをつけたジェイソンが出てこない……パッケージに騙された!
思いがけない人の思いがけない展開に心底驚いて絶叫してしまう。
心臓に悪い。

昔から僕はホラー映画が苦手で観ることができなかった。
おばけはいないとわかっているけれど、おばけがこわいと思う自分の感情を抑えることができないのだ。
こういう映画を一人で観ることができるようになった自分はずいぶん大人になったものだと思う。

一九八〇年公開のこの映画の中で一九五八年の連続殺人事件をはるか過去の事件として言っているが、
この映画の中の現在が、すでに現在である二〇一五年から三五年前。
頭がぐんにゃりする。

【映画】『北北西に進路を取れ』

最近よく観ることの多いヒッチコック映画。
既視感のある演出が続くのだが、おそらくこういうものの元祖がヒッチコック映画で、その演出の影響を後世の映画が影響を受けているということなのだろう。
基本、乗車しているシーンの窓の外の風景が合成なのだが(昔のカメラは大きかったから車内にカメラを持ち込むわけにはいかなかった)、解像度が低く安っぽく、車で逃走するドリフの泥棒コントのパロディみたいだった。
実際は逆で、ドリフのコントがこういうもののパロディなのだろうけれど。

架空のスパイに間違えられた主人公が事件に巻き込まれていく話なのだが、
ヒッチコック映画が裏に裏に……展開していくことが常だから、主人公が本当に間違えられているのか、間違えられているふりをしているスパイなのか、
種明かしされるまでよくわからなかった。

【映画】『イントゥ・ザ・ストーム』

何の前情報もなしに(『ツイスター』みたいなのを予想して)観たらずっと面白くて得した気分!

竜巻がどんどんインフレを起こして、もはや最後は竜巻どころか地球外惑星の出来事かのようだったけれども、そんな調子のりすぎなところもまたよし。

自分ならこの映画のどの段階で死ぬのだろう。
全能感に満ちていた小学生ぐらいの頃なら最後まで生き抜いて、何なら竜巻の中に入って飛ばされても生還できるぐらいの自信があったのだが……現在なら冒頭、車の中で騒いでいた高校生レベルだ。
竜巻を見ただけで死ぬ。

【映画】『フルスロットル』

九〇年代、リュック・ベッソンには騙された!
『レオン』でカッコええ!と感動して、
次に観た『フィフス・エレメント』で本格的SF映画っぽい予告だったのに、六〇年代の石ノ森章太郎や手塚治虫氏の漫画を映像化したような映画の出来に驚愕して、
あとはもう何とやら、という感じ。

でも『TAXi 』『トランスポーター』『96時間』……リュック・ベッソン系のヨーロッパ・コープ映画はなんか観てしまう。
いかにも現実を切り取っているっぽくて風刺しているっぽいのに、実際は何も掘り下げず娯楽に徹しているところが逆に潔い。
作家性を入れる余地はいくらでもあるのにあえて「これぐらい」感で仕上げることは、逆に紛れもなく強い作家性があるということだ。
ちなみに「これぐらい」でも、やっぱりエンタメとしてはそれなりに練られているわけで、「これぐらい」のものを大量生産できるシステムを持っていること自体は尊敬はしないけれども、興味深い。

この映画も、デトロイト市の一角、スラム化して壁を作られたビル街、何かを象徴してそうなのに物語の中では形だけしかなぞっていない……そのバランス感覚に舌を巻かれる。
破壊的なまでに楽観的過ぎるラストには椅子から転がり落ちそうになる。
いやいや、そこまでこの悪役はいいやつじゃないでしょ! 人殺してたし、ヤク売ってたし。
安心して観ていられるのは、そこらへんを深く考えずに放り投げているからだろう。
この映画『フルスロットル』自体はヨーロッパ・コープ映画で作られたものをリメイクしたフランス・カナダ合作映画だが、リュック・ベッソンは原作と脚本の関わりで、やっぱりいかにもっぽくて観てしまう。

【映画】『エクソダス:神と王』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

リドリー・スコット映画はいちおう新作が出るたび観るようにしている。
この映画は、イスラム教キリスト教と共通するユダヤ教の経典、旧約聖書の有名なエピソード、モーゼの十戒についての物語。

一神教の神ヤハヴェ「嫉妬する神」は、日本人である僕の感覚から見ると常軌を逸しているように見える。
ヤハヴェを信仰しないエジプトに神は容赦の無い天罰を下すのだが……
この全世界を創造したのが神だったとして、宇宙規模で見るとたかが銀河系の太陽系の地球の片隅のいち民族に肩入れして天変地異を起こすなんてあり得るのだろうか。

戸口に仔羊の血の印をつけていない家の子供を殺す、というエピソードがよくわからない。
全能の神が、そんな原始的な方法じゃないとエジプト人とそれ以外の区別がつかないのだろうか。

脱出したモーゼをエジプト軍が追いかけ、危機一髪で割れた海を渡る件について。
まずモーゼというクッションを挟まないと脱出についての指示ができないことが不思議。
ユダヤ人にだけ神からテレパシーで意思を伝えることはできなかったのか。
しかもギリギリの進行(一歩間違えればエジプト軍に捕まって大殺戮)で移動する計画性の無さ。
全能の力を神が持っているなら、故郷へ全員を一瞬で移動させてやれよ、と思う。

神による破壊は一瞬、しかも破壊されたものを完全に元に戻すことはできない。
破壊された自然が元に戻るためには、何年も何百年も何万年もかかる。
文明をもとに戻すのは人間の力でのみ。

よくよく考えてみれば芸術作品を作ったり都市をつくったり……文明に関わることは神が直接的に関わることができない。
神が作ることができないから人間の手から生み出すのだ。
そう考えると、人間って素晴らしい……
などととりとめないことを映画を観ながら考えている。
逆に、とりとめあることを僕が考えた試しがない。

【映画】『ダブル―完全犯罪―』

母子の殺し屋を描いた映画『サイレンサー』が好きで、それに出演していたキューバ・グッディング・Jr. が主演だったので、借りてみる。
日本ではビデオスルーの映画で「TSUTAYAだけレンタル」の商品。

情報が少なくてどういう根拠で作られた映画かわからないのだけれども……まず、邦題がおかしい。
全く完全犯罪じゃない!

今どきのテレビドラマですらあまり観ることないレベルのゆるさでつくられている。
旅先で不審な車に追われてヒロインが逃げるも、普通に逃げ切ってすぐ生還。
シャワーを浴びているヒロインが背後から侵入者に襲われそうになったらそれが夢。
ヒロインがオフィスに忍び込んで、自分の誕生日をパスワードに入れたらあっけなくパソコンのハッキングに成功。
「どないやねん!」
と画面に向かって何回も叫んでしまう。

むしろここまで退屈ということはオチにどんでん返しがあるとしか考えられない!
と推測して観ていたら、案の定推測したのと同じどんでん返しがあって、最後にまた
「どないやねん!」
とエンドロールに向かって突っ込んでしう。
むしろさらに上をいくどんでん返しがあるのかもと、エンドロールが完全に終わるまで画面から目を離すことができなくて
「どないやねん!」

【映画】『ポルターガイスト』

僕は子供の頃からスピルバーグ映画にあまり食指を動かされなかった。
子供が観るものというイメージ印象が強かったのだ(自分は子供のくせに)。
あまりにも物語が寓話的すぎて、リアリティを感じることが出来なかった。
最近やっと、そういう象徴的な物語の作り方として捉えることができるようになった。

『ポルターガイスト』はそんな自分が思っていた典型的なスピルバーグ映画だった。
まだ実際にありそうで怖かったのは、冒頭の、少女がテレビと会話するシーンだけ。
もうそれ以降は出来事が飛躍して物語世界に入り込むことができなかった。
椅子が勝手に移動する現象を面白がって遊ぶってどういう世界観なのか。
もう少し、日常のリアリティにクッションをかませてくれたらわかりやすかったのに……論理の飛躍がある。

あまりにも作りものっぽくて感情移入できず、ずっと外から観ているだけ。
遊園地のお化け屋敷に入るのはアトラクションとして楽しいかもしれないけれども、それを撮影した映像を観ても仕方がない!

【映画】『ベイマックス』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

去年末、NHKのドキュメンタリー観たベイマックス』のメイキングを確認するという意味で鑑賞。
たしかによく出来ている。
細かい部分を観れば観るほどよく出来ている。

しかしこれは感覚の違いなのかもしれないが、エピソードの塊が大きくなるほど矛盾点や物足りない部分が見えてくる。
ブラシアップは全体から細部に向かって行われるわけで、その逆になればなるほどチェックは甘くなる。
大きなマスの修正は小回りがきかなくなる。
(細部を進行しているたくさんのクリエーターに影響が及ぶから)
さらに原作のレベルまで戻ると、主人公と主人公をサポートするヒーローキャラたちが活躍するぶんキャラクター全体の掘り下げが浅くなっている。
爆発事件と教授の行動の因果関係は微妙だし、悪い企業のトップは悪さも中途半端なうえそれ以外の面もなく何の感情移入もできない。
一人の作家が作っているわけでないので、論理が一貫しない。
整合性が最大公約数的なのものになっていく。

もっと完璧に近い作品を観ると思っていたが、圧倒的な部分とそうでない部分があって、僕は思ったよりも圧倒されなかった。
それでもこのレベルのものを量産できるシステムを作り上げたことはすごい。
多くの人々が作品作りに協力する姿に、民主主義の最終形態である(理想としての)共産主義を見た!
逆に、あきらかに共産主義思想の影響をうけているであろう日本のアニメ監督が独裁で作っていることの不思議……

【映画】『コン・エアー』

公開当時に観たときは典型的なハリウッド映画っぽく思っていた。
しかし去年、マイケル・ベイ監督映画を『バッドボーイズ 』から始まり『トランスフォーマー/ロストエイジ 』まで通して観たところ、単にハリウッド映画っぽいだけでない個性のようなものが見えてきた。

確かに一見、典型的なハリウッド映画っぽい印象を受ける。
それはベイ監督が映画の見映えに「っぽさ」を強調しているためなのだが、作品の中に常軌を逸したその「っぽさ」をぶちこむため、最終的には「っぽさ」が過剰にあふれ過ぎた別の何かになっている。
それはハリウッド映画のパロディのような、メタ化した似て非なるものだ。

そういうものが単に受けると思っている、ということもあるだろう。
しかし日本でビデオスルーされたベイ監督映画『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』を観ていると、そういうものが受ける状況の無意味さを笑うような高度な批評性も見え隠れする。
類型的なエピソードや演出を重ねることによってハリウッド映画の空疎さを強調している……にしては嬉々としてこういうものを作っているきらいもある。
ダイナミックな破壊シーンを作ることにもフェティッシュな関心があるのだろう。

『コン・エアー』のラストの盛り方と言ったら……一つ一つのエピソードはハリウッド映画の典型なのだけれども、それが集合するとここまで奇妙なものになるのか。
世間で思われているハリウッド映画「っぽさ」について考えさせてくれる。
(しかしベイ監督がただ単に天然で盛った映画を作る人という推測も捨てきれない)

意図を推し量ることはできない、強い個性の監督。

【映画】『ブレーキ・ダウン』

数年前に鑑賞したのだけれども、ラスト以外一切覚えていなかった。
観ると徐々に思い出していき、中盤から完全に記憶が蘇ってきた。
リチャード・マシスン原作の映画『恐怖のレストラン』の失踪モノパターンの別回答を提示したものだ、ということは覚えていたのだが、どういうタイプの答だったのか完全に忘れていた……ことを思い出した。

悪人の小市民的な日常が見えることが興味深い。
主人公に向けられている悪い面だけでなく悪人にも日常があるわけで、その二面性が興味深い。
ただのサスペンス映画でない、奥行きが生まれている。

前回観たときも楽しめたが、今回さらに楽しむことができた。

 15年01月28日

【映画】『スペースキャンプ』

今構想中の漫画の資料として購入、再鑑賞。
出来事と時間をチェックしながら、画面構図をスケッチしている。

作り手として観ると、主要キャラクターを全部活躍させた上、起承転結もあって、適度にハラハラさせて、友情ありラブロマンスあり、この設定を与えられて出した答えとしては合格点をはるかに超える佳作だと思う。
しかし観客としてみると、そもそもこの設定が面白いのかという疑問が湧いてくる。
冒険に巻き込まれるきっかけがコドモダマシだし、日常で起こったら大変なことはいえ、起こる出来事は大気圏の外側に出てすぐ戻るだけ。

あまりに限定された年齢層向け。
しかも対象年齢である子どもはもっと派手な娯楽を観たいわけでで……

【映画】『ゴーン・ガール』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

デヴィット・フィンチャー監督は大学のときの初監督作品『エイリアン3』を映画館に観に行って以来、それなりに追いかけて見ている。
(『エイリアン3』自体は評判はよくなかったけれども、僕は楽しめた)
『セブン』を観たときの鮮烈な印象は忘れることができない。
去年末、二〇年ぶりに『セブン』を鑑賞したが、やはり抜群に面白かった。
ピーディーな演出が全く古びていない。
むしろ、新鮮。

ということで話題の新作、この映画を鑑賞。
『セブン』とは打って変わって、スピーディーというより、いろんな要素を足していく演出に向かっている。

実際にあった失踪事件を元にした(再解釈した)ノンフィクションに近いものかと思っていたら、後半は寓話だった。
自分の中で作った思い込みと違う方向に話が進んだので、肩透かしを食らいもんどりうって倒れたような感じで混乱してしまう。
どこに着地するのか最後まで見当がつかない。
そしてラストのあまりに特殊過ぎる状況、自分及び周囲にあったことや一般的なことに置き換えることができず、茫然としている。
映画が終わっても、情報量が多すぎて余韻に浸るところでない。

デヴィット・フィンチャー監督はやっぱり一筋縄でいかない!

【映画】『シン・シティ 復讐の女神』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

僕が観た時は観客は二人だけ、贅沢な映画鑑賞のひととき。
去年、デビュー作『エル・マリアッチ』から始まって『マチェーテ・キルズ』までロドリゲス監督映画を集中的に観てきてようやく最新作に至る。

ロドリゲス監督映画はどことなくメタ感がある。
ジャンル映画の枠組み、お約束を踏襲(再構築)することによって生まれる可笑しみを自覚的に前に出す。
クウェンティン・タランティーノと似ているところもあるが、ずっとエンタメ。

一作目に比べると新しさはないが、このフォーマットの世界を堪能するだけでもじゅうぶん楽しい。
続編として普通に楽しめた。
閑散とした会場で、しかも一週間で早々に公開を終了してしまう(大ゴケした?)みたいだが、僕はじゅうぶん以上に面白かった。

【映画】『引き裂かれたカーテン』

ヒッチコック映画をここ最近、積極的に観るようになった。
それまで人生の中のヒッチコック映画体験は大学時代に観た『鳥』だけ。

前半と後半で面白さの質が変わるが、それはそれで楽しい。
後半からの怒涛の逃走ハラハラ演出に腹を抱えて笑う。
バスを使った逃走中、巨大な荷物を持ったお婆さんが乗ってきたそのスローモーな動きがコントみたいだ。
船上の衣類カゴの中に隠れるのは大変だ……野ざらしで寒いしおしっこに行くことができない!

今まで観たヒッチコック映画の中で一番面白かった。
(七本しか観ていないけれど)

【映画】『クイズ・ショウ』

年末に鑑賞した『普通の人々』に続き、二作目のロバート・レッドフォード監督映画。
今回も前作と同じく僕の中で煮え切らない印象。

セレブで世間知らずの大学講師がマスコミに乗せられクイズ回答者になる。
ちょっとしたきっかけでクイズのインチキに加担する。
その小さな過ちがマスコメディアによって手に負えないところまで大きくなる。
この人にも弱さがあったと思うけれども、人一倍弱かったというわけではない。
一般人なら誰でもおかしてしまいそうな過ちだ。
人間みな自分のなかの原則を曲げないように生きたいものだけれども、日々、妥協の繰り返しだ。
上司の言うことを聞かなければならないし、自分が正しいのに謝らなければならないもある。
自分らしさの基準をどこまで厳密に求めたらいいのか、難しい。
逆に、自分の正しさを押し通すため他人に犠牲を強いることもあるのだ。

先日、イスラム国に日本人人質が誘拐されて身代金を要求される事件が起こったが、ネットに起こった自己責任論の嵐に僕は驚いた。
他人の失敗に対してそこまで上から言うことなんて僕にはできない。
(過去、そういうことをしてきた自分を恥じる)

ネットユーザーがマスコミに倫理を求めてバッシングする事象……翻って自分たちはそこまでの純度で仕事に(あるいは他者に)接しているのだろうか。

こういう話に答えはなく、それぞれが持って帰って考えなければならないことだ。
一筋縄でいかないラストでスカッとすることなくずっと僕は悶々としている。

【映画】『ナバロンの要塞』

六〇年台の映画は僕の中でアメリカン・ニューシネマ前の映画は今ひとつなのだけれども、これは珍しく楽しめた。
面白のツボを押さえている。
第二次大戦版ミッション:インポッシブルといった趣だ。

しかしニューシネマ前のこの時代、やはり死の描写にリアリティがない。
手榴弾を投げつけられると爆発からいったん飛んで避けてから倒れたり、崖から転落するときは手足をばたつかせず人形のような直陸不動の姿勢で落ちていったり、銃で撃たれても弾着が無かったり……
観念的なある種の様式(パターン)に沿っていて、リアルさを意識した演出が見られない。

【映画】『ドニー・ダーコ』

数年前に鑑賞、もう一度観てみたが前回同様やっぱり意味がよくわからなかった。
詳細にメモして時系列順に情報を並べていってもなお、ミッシングリンク(情報の穴)が大きい。
そもそもこの映画を理解するために必要な情報を監督がちゃんと語ってない。
しかし公開から一〇年以上経ってもこの映画がこれだけ高評価なのは、映画全体の見映え自体は抜群の完成度で、それが一種の担保となって、ちゃんと観れば理解できるように思わせているからだろう。

青春映画としてみると、まだ若かりし頃、自分とセックスと世界と終末が全て連動していた……そんな時代のことを思い出して甘酸っぱい気持ちになる。

【映画】『ジュリー&ジュリア』

平凡な公務員ジュリーがブログ日記を書いた……その内容は(料理研究家ジュリアの書いた)フランス料理レシピ本の五二四種類のメニューを一年かけて作りきることだった。
そのブログは話題になり取材が殺到、本を出版することになる
そんなジュリーのエピドードと、料理研究家ジュリアがそのフランスレシピ本をどうやって完成させたかというエピソードを平行して描く。

料理研究家ジュリアはそれまでなかったアメリカ向けフランス料理を一〇年もかけて完成させた。
ジュリーはただ単に本に書いてある料理を作っただけ。
なぞって作ることと、創作することを同じレベルに並べることに疑問。
(リスペクトのある描写があったとしても)
というか僕の感覚ではよくわからないのだけれども、本通りになぞって作ったことをブログに書くだけででベストセラー作家になって映画化されるってどういうこと?

【映画】『恋する惑星』

思いが先走る若者の恋愛。先走りすぎて完全に気が狂っているとしか思えない。
今で言うとストーカー……というか当時でも家宅侵入罪だ。
文化の違いとかそういうレベルを超えて非常識。
それでも可愛いから許されるという現実。
こんな気違いみたいな女に滅茶苦茶に振り回されたいよ。

二〇年前の映画だけれども、僕と同世代の人たち(厳密に言うと少し歳上)が出ていて、それもそのはずぼくが大学生のときに公開された映画。
当時の雰囲気がほんのり香る。
これが公開された一九九四年の正月、僕は大学の研修旅行で初めてヨーロッパに旅行したんだっけ。
音楽の相乗作用もあり、強烈なノスタルジック(郷愁)を想起させられる。

【映画】『ホビット 決戦のゆくえ』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

第一作目からリアルタイムで劇場で鑑賞、ホビット最終作まで一三年間鑑賞した感想……特になし。
すごい戦争が起こっているけれども、最初から最後まで自分とは関係がない他人ごと。

映像は綺麗、アクションは興味深い、でもそれはプレステ(特に10)以降のFINAL FANTASYのごとく他人がプレイしているゲームのムービーをひたすら観ているだけみたいだ。
冗長な割に物足りない。

【映画】『エイリアン バスターズ』

ショッキングな冒頭……コストコの警備員が宇宙人によって殺され皮を剥がれた死体で発見される。
そこからボディ・スナッチャーのような隣人の中身がすり替わっている恐怖モノに移行するかと思ったら、途中からその設定はほぼ忘れ去られてしまう。
じゃあ何のために彼の皮は剥がれたのだろうか?

それ以外にも、
スケボーで襲われた少年は?
なぜ退役軍人は皮を剥がれず内臓を食べられていたのか?
人間の皮を被った宇宙人が人間の女をセックスに誘ってどうする?
そもそも何のために宇宙人は地球を滅ぼそうとしているのか?
……などなどいろんな疑問が解決されずに物語は進んでいく。

さらに主要人物の一人が
「実は宇宙人だったが、人類愛に目覚めた」
とか言って最初の設定を忘れた頃に仲間になるのだが、そもそも宇宙人は人間を殺して皮を剥いで入れ替わってるのでは?
もともと、そいつの中に入っていた人間(死体)のことはスルーか!

確信犯でデタラメやっているのだろうし、そもそもこういう映画にそこまでの背景を求めても仕方がない。
この映画が面白かった人は「こりゃこういうもんだ!」と笑い飛ばせるぐらい映画を見慣れていているのだろう。
僕はまだまだ見慣れるほど映画を観ていないので、イマイチだった。
もっと映画鑑賞に精進しなければ……