こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな映画を観た!

【映画】『マークスマン』

TSUTAYA DISCASで予め登録した映画DVDを心太式に僕宅に送られてくるようにしているのだが、何百本と登録しているため、数年前に登録したものは「僕は何故こんなの観ようと思ったのか?」覚えていないことが多い。
今作も全く覚えていなくて、冒頭、メキシコで少年が恋心を抱く少女宅の前に恋文を置くシーンにはドキドキしたものだが、何だかんだあって少年とその母親がメキシコ国境でリーアム・ニーソンと出会うシーンで、
リーアム・ニーソンが出てくるということは七〇点を超えることはないけど、逆に七〇点を下ることはないな。と思ったら、まったくもってそんな感じの映画だった。
(ジェイソン・ステイサム登場だったら八〇点は固かったんだけど)
それでもまあ、悪くはなかった。

【映画】『えんとつ町のプペル』

卒なくできていて破綻がない。いくつかの仕掛けでは感心させられたが、全体として凡庸。
作者は、本質を見抜いて再構成する能力は非常に高いけれど、それに反し作家性をあまり感じることができなかった(という作家性?)。
もっと言うと作家としての偏り自体が「作家ってこんな偏りがあるもんじゃん」と計算して作られている印象。小賢しい。
ちょっと破綻しているほうが「ええもん見せてもらった」ってなるんだけど、完全にコントロールされているぶんだけ小さくまとまった印象を受けてしまう。

【映画】『ドライブ・マイ・カー』

三層の物語が交差する、三次元方程式のような複雑なプロット。
「三時間って長い!」と思ったけれど、観てみるとなるほどそれだけの時間を必要とする重厚な物語。

原作映画がどれだけ生かされているのか、村上春樹を読んでみたくなった。村上春樹、読んだことないけど。
劇中劇のチェーホフ『ワーニャ伯父さん』、七年前読んだのに何も記憶に残ってなかったから、読んでもすぐ忘れるんだろうけど。

【映画】『ファイナル・プラン』

リーアム・ニーソン主演のクライムアクション映画。
出だしが地味であまり期待していなかったのだが、観たら意外と面白くて最後まで引き込まれてしまう。
リーアム・ニーソン映画は時折こんな幸せな出会いがあるから必ずチェックするようにしている。
ただしせっかく面白くなりかけたいろんな伏線が途中から未消化のままになってしまうのも無駄にキャストが豪華なのもいつものリーアム・ニーソン映画っぽい。
リーアム・ニーソンも今年七〇歳か!

【映画】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

朝イチで八時から観に行って映画館は満員だった。
スパイダーマンといえば僕にとって石ノ森章太郎原作の特撮スパイダーマンが印象強いのだけれど、それがまたダサかった。巨大ロボットでモンスター教授と戦う。「勘弁してくれ〜」という感じ。

だけど二〇〇二年のサムライミ版スパイダーマンは衝撃的だった。ぶら〜んって糸でぶら下がっていただけのスパイダーマンが、ビル街を空を飛ぶように移動する、映像の格好よさ。ヒロインが可愛くないところを除いて完璧だった。

一番最近にリブートされたスパイダーマンは一作目から過去最高レベルで「もうこれ以上のないやろ〜」と思ってたら更に二作目が面白く、今日の三作目はリブート後どころかこの二〇年間のスパイダーマン映画の総決算とも言える内容。

今回は一人で観に行ったけど、リブートされる毎、そのとき誰かと映画を観に行っていたときのこと、思い出とスパイダーマンを重ね合わせ、何処かで分岐したマルチバースの自分のその後を思い、泣けて泣けて仕方なかった。ずっと涙をぬぐいながら観ていた。今年一番泣いた映画。

【映画】ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞『DUNE/デューン 砂の惑星』


大阪ではやっぱり、芸人さんとコラボして「デューン!」ってギャグやってんのかな。

フランク・ハーバート原作とデビット・リンチ映画の両方を五年前に目を通したはずなのに記憶の減価償却が終了して、な〜んも覚えてなかった。
新鮮な気持ちで楽しめた。

ナウシカやラピュタやもののけ姫と酷似した演出やプロット設定だったりするけど、これは逆に宮崎駿氏がハーバート原作の影響を受けているわけで、さらに今作を宮崎駿映画に影響を受けたビルヌーブ監督が作っているので、影響が影響を繰り返している。

スター・ウォーズと設定が似ているけれど、そもそもルーカスがハーバート原作の影響を受けているので仕方がない。
でも今作の映画演出はもちろんスター・ウォーズの影響を受けている。

『ロード・オブ・ザ・リング』を映画館で観たとき
「これはファンタジー映画の金字塔で、一〇年に一度クラスの大作映画やな〜」
って思ったのと同じくらいの心を動かされた。
『DUNE/デューン 砂の惑星』はSF映画の金字塔になり得る映画だ。
コケて今作よりあと作られなかったら知らんけど。

【映画】『セミマゲドン』

ひどい映画と聞いていたし、ひどい映画は散々観てきたので、正直こんなもんだろうと思うのだけれど、セミの生態と構造がここまで反映されていないと、セミ好きの僕は腹立ちがおさまらない。
セミの幼虫の前足がシャベル状になってないし、あんな飛び方しないし、鳴き方がおかしい。
そもそも巨大化したセミなら音そのものが武器になり得るのに、通常セミと同じくらいの鳴き声って何なんだ。
製作者がセミに対する愛がない!
セミじゃなければここまで腹が立たなかったのに。

映画『メリー・ポピンズ リターンズ』

なるほど、前作の続編としてはよくできている。
現実(お父さん)パートと子供(幻想・メタ世界)の絡め方が職人芸。
大学でミュージカル部に入っていたことがあるのでミュージカルは好物だったりする。

いきなり踊りだすって違和感ない?とよく言われるが、僕から言わせれば少年漫画の物語の途中でいきなりルールのあるバトルを始めるのだって様式美やんけ。
現実社会でバトル始めることなんていきなり踊りだすのと同じくらいの頻度やろ〜日常で僕はよく踊るけどバトルすることなんて滅多にない。

【映画】『ある日どこかで』

リチャード・マシスン原作のSFラブストーリー映画。
現在の物語ではタイムスリップという概念が説明無しで起こるのに、この映画の時点(一九八〇)ではかなり詳細に説明している。同じ八〇年代の『バック・トゥー・ザ・フューチャー』でも詳細に説明していた。『恋はデジャ・ブ』(一九九三)『バタフライ・エフェクト』(二〇〇四年)ではギミックなしに時間を移動できる。『君の名は』(二〇一六)は「もうこれはこういうものですよ」扱いだった。

この映画で主人公は一九七〇年代から六〇年前にタイムスリップするのだが、その違いは相当なもので、テレビもないラジオもない車もそれほど走ってない(馬車移動の時代)。
今で言えば『三丁目の夕日』にタイムスリップするようなものだが、僕の感覚では(まだ生まれてはいないけれど)一九六〇年代は陸続きで頑張れば思い出すことができそうなひと昔前。
文明の発展はすごいというけれどこの六〇年は伸び悩んでいるような気がする。

聴診器をあてるだけで病気を診断し、病名や原因がモニターに映しだされるドラえもんの「おいしゃさんかばん」みたいなのはまだ?
新型コロナ予防に「石鹸でよく手を洗いましょう」「マスクをしましょう」って……僕が想像していた未来の二一世紀にはまだ到達していない。

【映画】『キング・オブ・コメディ』

スタンダップコメディアンのつまらないギャグを観客が爆笑していて……滑っているのが一回転して受けているのか、四〇年前の映画だから笑えなくなってしまったのか、アメリカのギャグセンスが日本と異質過ぎるのか、どう捉えたらいいのかわからなかった。

ドラマ内ギャグは観客がメタで観てしまうから受けにくいのは確かだろうけど……
Amazonプライムのドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』は1950年代の女性スタンダップコメディアンを描いたものだけれども、日常の(舞台の外の)やり取りは笑えるけれど、舞台上のギャグはそれほど面白くない。

【映画】『劇場版 ドーラといっしょに大冒険』

『さるとびエッちゃん』みたいな野生児の少女が都会(ハリウッド)の高校に転校するカルチャーギャップドタバタから途中で一転、ジャングルのインカ帝国遺跡を求めて冒険する話に。
いいところもたくさんあるんだけど、元のアニメを観ていた層を引きずったせいか子供向け過ぎる。
インディー・ジョーンズのように全ての年齢向けにしてもよかったのでは。

【映画】『チャーリーズ・エンジェル』ユナイテッド・シネマとしまえんで映画鑑賞

完全な新作/リブートではなく、世界観を共有する続編か……『ジョン・ウィック』みたくこの映画は我々の世界とは異なるチャーリーズ・エンジェルの組織が実在する平行宇宙なわけで。

『007』や『ミッション・インポッシブル』もそうなんだけど、この手の映画は作品単体で観ても完結してなく、前作までの映画あるいは元ネタTV版をある程度知っていて世界観を共有していないと100%楽しめたとは言えない。
マベール映画どころではない、年々映画を観るためのハードルが高くなっているような気がする。

【映画】『きみと、波にのれたら』

湯浅政明監督の映画は『マインド・ゲーム』しか観たことがなかった。

リア充のカップル描写は何も共感するところがなかったけれど、めくるめく映像の美しさで観続けさせるその職人的なうまさに舌を巻く。

男が死んで女が落ち込むのを見て、ようやく感情移入できるようになる。

水描写がとてもよかった。
最近のアニメの水描写はCG表現が多用されているのはいいとして、キャラクターがいかにもアニメしている絵で水だけテラテラしているのが気持ち悪い( 例えば細田守氏)。
新海誠氏ならそもそもの地の絵がCGだから違和感がないのだが。
そういう違和感を一切感じさせないうえ、タイトルのように「波に乗れている」シーンがかっこよかった。

その他コーヒー、卵など話のポイントポイントになる細部の描写がじつにいい。
好きな映画かというと微妙で普通だったけれど、絵や物語など全ての職人的なうまさにひたすら感心。

【映画】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

朝イチで鑑賞。
途中からこの人たち(旧三部作からの連続性を持った登場人物)をこうやって観るのは最後なんだなと思うと涙が止まらなくなってきた。マスクが鼻水涙でグチュグチュに濡れてしまったので、映画館を出るとき新しいのに取り替えた。

J・J・エイブラムスって本当に冒険しないのな!! 
『ミッション:インポッシブル3』のときは新しい!と思っていたけれど……スタートレック以降の「観客に嫌われないように無難に作るスキル」の高め方と言ったら。
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のときその傾向は最たるものだった。

今回もここぞというとき過去の人気登場人物(同じ俳優)をぶっこんでくるとこなど、まあ、いつもの
J・J・エイブラムスらしい目配せだった。

【映画】『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

当時を知らない僕は想像するしかないけれど、スターウォーズ旧三部作ってアメリカン・ニューシネマの流れを一気に吹き飛ばしたような映画で、六〇年代商業主義的映画の復活が当時は「懐かしくて新鮮」だったのだろう。それは寺沢武一『コブラ』のような「新しいビンに入れた古いブドウ酒」のようなもので、定番の神話的な物語を、最新のデザインと技術で見せる……しかしコンセプトの新鮮さはそれ自体が八〇年代ハリウッド映画に浸透し定番になって陳腐化していった。旧三部作と同じようなことをやっているのに新三部作の『ファントム・メナス』を映画館で観たとき「ふる!」と叫んでしまった。
でも『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は前作の『フォースの覚醒』でがっかりしていたぶんを取り戻した感があった。新鮮さが確かにあった。
カイロ・レンとレイの会話がよかった。
エピソード4以来、やっとスター・ウオーズがスカイウォーカー一族(選ばれた人たちが活躍する神話)から解放され、名もない僕側に物語が戻ってきたのだと思って、泣けて泣けて仕方なかった。
修行をしたとは到底思えない子供みたいなルークの態度や無意味なフィンの行動や馬鹿な行動を繰り返す反乱軍と帝国軍……エピソードの問題は山ほどあるけれど、あの会話だけですべて許せる。

映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』

今週末の予習のため歴代スター・ウォーズを復習。
いま思えば、新三部作(プリクエル・トリロジー)のほうがよっぽどスター・ウォーズだった。

現在進行中の続三部作は「らしさ」で繋いでいるけれど、スター・ウォーズの二次創作みたいで言語化できない本質的な何かが欠けているように思える。
ルーカスの演出が達者でないところがよかった……とまでは言わないけれど、あれは紛れもなく作家性であり個性で空気感だった。作家性で起こるぶれが少なくなり、個性が薄まりスタイリッシュになったことで手作り感が消え、ビデオ(既製品)っぽくなっている。

まあエピソード7は連続した続きものだし、観客に気を遣って旧三部作をなぞるところから始めなければならないから、極端に逸脱した展開ができないのかもしれないけれど。
関係各位に対する配慮の見え隠れが、スター・ウォーズの幅をかえって狭くしているような。

ジャージャービンクスが懐かしい。