こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
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【本】かんべむさし『38万人の仰天』

左遷されたサラリーマンが新天地の大阪で一発逆転を賭けたイベントを企画する話。
いい言い方をすれば(?)池井戸潤のドラマみたいだ。
SF要素は付け足し程度。

SF以外の、八〇年代の大阪の住まいやオフィスの風俗的な描写が興味深い。
四〇年前ってこんなふうに話していたっけ? 
明石家さんまやダウンタウン以降、みんな過剰にお笑いっぽく話すようになった一方、角が取れた部分もあり、登場人物たちがうちの両親と同世代にしてはもう少し上の世代みたいな話し方するな〜と大阪出身者は感じる。

大阪マスコミの作中のドメスチックな雰囲気については、僕は会社勤めの経験はないけれどマスコミ業界に出入りすることも多かったので、比較的わかるところもあるけれど違和感もあり、それが今と四〇年前の差なのか東京と大阪の差なのかはわからない。

物語的には淡白。
仕掛けがあるわけでも大きなどんでん返しもない。

四〇年前の男女ってこんなにうぶだったのか? 

【本】かんべむさし『宇宙の坊っちゃん』

もう四〇年前に出版されたのか……
僕が以前読んだのはたぶん一九八五年前後。
三五年近く前読んだのに、全てのストーリーと筋を覚えていて、表題作は登場人物の名前まで覚えていた。

正確に言うと、手に取るまでどんな内容の短編が入っているのか忘れていたけれど、手にとってパラパラめくったら脳内映写機に投影されるように内容が浮かんできた。
漫画か映画で観たような感じで映像化された記憶だった。

逆に、最近の自分記憶のぼんやりぶりにショック!

当時(中学生)はこういう短編は何でも大好物で、バクバク食べていた。
今でもこういうのが好きという記憶の残滓が残っているからSFを手に取るんだと思う。
いつのまにかこれを書いていた当時のかんべむさし氏の年齢まで越えてしまった。

当時読んだ自分がこう感じて、今回こうだった……という感じ方の比較が楽しかったのだが、初読でここまで楽しむことができたかどうかはわからない。

【本】小川哲『ゲームの王国 上下』

力作だった。上巻はカンボジア革命前後のことが、下巻は現代(近未来も含め)のカンボジアについて描かれている。
僕は以前フランス人のアシスタントを雇っていたのだが、彼女の家族は虐殺時にカンボジアから逃れてきた移民だった。
(互い母国でない英語でしか意思の疎通ができなかったのでこまかいニュアンスはわからなかったが)
兄弟の半分は虐殺で亡くなったという。家族や環境のせいもあって、彼女は幼い頃から精神が不安定で、でも日本の文化が好きで絶望したときエヴァンゲリオンやコードギアスを観たり、X JAPANやMALICE MIZERを聴くことで救われたという。そして日本に漫画を学ぶために訪れて、僕と出会った。
そんなことを思い出しながら、上巻のカンボジア虐殺部分を読んでいるとどうしてもアシスタントだった彼女の家族のことを想像し、強いストレスで読むことが苦痛でやめそうになって、でも目をそらしてはいけない思いもあって必死に読み続けた。上巻のラストは涙無しで読み続けることができず。
こういう大きな歴史を描いているにもかかわらず、登場人物の設定が昔ながらの歴史小説というより、寓話的(漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のよう)で、そういえば大河歴史(的)小説でいうと池上永一『テンペスト』や東山彰良『流』などもリアルというよりそういう寓話的なキャラクター造形だった。
下巻につながるジョイントは正直完全に成功しているとは思えないが、逆に一筋縄でいかない人間の運命を真摯に描いているとも感じた。ここらへんは好き嫌いだけれど。ともあれ、スリリングな読書体験だった。

【本:漫画】三浦建太郎『ベルセルク(40)』

一〇年位前から三浦氏は全盛期のようなハッチングを繰り返してベタに至るような描き込みができなくなってきて、全体的に画面がグレーっぽくなっている。

三五歳前後から人間は筆圧が下がり老眼になり体力が落ちて絵を描くのに時間がかかるようになる。
老化によるクオリティの低下を解決するためベテラン漫画家がデジタル導入するケースが増えていて、だからこの漫画のデジタル化は時間の問題と思っていたけれど……この漫画にとってこれが吉と出るか凶と出るか。
短期的にはまだデジタルを使いこなしているとは言えずやや寂しい出来だけれど、長期スパンだと新しい画材の技法的探求が漫画を描き続けるモチベーションに繋がるかもしれず、やや疲れが見えるベルセルクがまた盛り上がる展開になることを、ものすごく引いた場所から期待している(俺何様?)。

【本:漫画】ほしよりこ「逢沢りく(上下)」

電車の中で読んでたけどラストで泣いて泣いて……今日新宿御苑駅で泣きながら降りたキモいおっさんが僕です。
デトックスみたいに泣いたから僕も主人公みたいに感情の殻を破ることができたらいいなあ。
今日読み返してまた泣いた。こういうのに最近弱い。
主人公の気持ちや感情を直接的な言葉で表現することなく、その向こうにある言語化しにくいかたまりのようなものを読者に伝えているすごさ。
この表現は漫画にしかできないことだし、逆に凡百の漫画を超える圧倒的な表現力。

【本】辻村深月『かがみの孤城』

読みながらどろどろになるまで泣きじゃくっていた。
SFっぽい設定だけれど、それ自体が物語の必然と結びつきあって分かち難いものになっている。
SFという裾野が広がった結果、SFというジャンル文学でない中間小説からむしろこんな素晴らしい作物語が生まれるのかと感慨深い。
こういうラストになるのではないかという漠然とした予感はあったけれど、それでもそこにいたる畳み掛けるような展開、ギミックのうまさに唸るばかり。
キャラクター描写も秀逸でいちいち感情移入して泣いてしまう。
僕も現実から一歩を踏み出す勇気をもらった。頑張ろう。

【本】スタンリイ・エリン『特別料理』

六年ぐらい前に読んだ再読。殆ど何も覚えていないことに驚く。
去年「異色作家短編集」全巻やっと読み終わったばかりなのにまた最初から読み返さにゃならんのか!
ただ、ラストの短編だけは強烈に印象に残っていて、この表紙の絵と色とセットになり記憶の底から浮かび上がってきた。
異色作家短編集全編のなかでもっとも恐ろしい物語かもしれない。
これを思い出しただけでも読んだ価値があった。

ただし表題作は、意外と普通。
これは高橋葉介氏のオマージュ的な作品「客」を先に読んでいたからかもしれない。

【本】門井慶喜『銀河鉄道の父』

宮沢賢治の父親を描いたものって珍しい。妹のトシは賢治の詩「永訣の朝」から、弟の宮澤清六は著作の「兄のトランク」(解説によると清六は『未来少年コナン』が好きだったという。)を通して知っていたけれど、父親については何も知らなかった。

『銀河鉄道の夜』は上京してすぐ、近所の古本屋で三冊一〇〇円のセールで遠藤周作井上ひさしとまとめて買った。それまで教科書レベルでしか読んだことがなかったが、『銀河鉄道の夜』は僕にとって掘り出し物で何度も読み返し読み返すたびに泣いてしまう大切な本になった。三三円だったのに。

門井慶喜氏の本でまた興味が湧いてきたので、今度はちゃんと全集で読もうかな、と思う。まあこんなの思いつきだから明日になれば忘れているかもしれないけれど。

僕にとってのコナンは名探偵コナンでもコナン・ドイルでもコナン・ザ・グレートでもなく未来少年コナンだ。もちろん猫にコナンでもない。

【本】『What’s Michael?(1~6)』小林まこと

何と! 思っていたのと違い「マイケル」という名前だけ共通した猫のオムニバス漫画だった。実験的!

マイケルという名前のペットと飼い主の交流譚、あるいは『我輩は猫である』のような猫一人称視点の物語かと思い読み始めたら、いきなり第一話で猫のマイケルが死亡。
第二話、何事もなかったように同じトラ柄同じ名前のマイケルという猫が登場……そういうオムニバス漫画だった! 思いがけずハイブローな物語の枠組みに仰天する。
基本的に大きな物語はない、スケッチのような物語の漫画なのに背景がちゃんと描き込まれていて、流麗なデッサンで人物が実によく動き、そのギャップがギャグ漫画として面白い。
マイケルが踊ることだけは事前知識で知っていて、猫嫌いの僕からすればもっとむかつくかと思っていたが、意外と演出で、漫画のキャラ付けとしてじゅうぶん自然に成り立っている。

猫嫌いで敬遠していたけれども面白かった!

何でも読んでみるもんやねんな!

【本】『 奇才ヘンリー・シュガーの物語』ロアルド・ダール

数年前、異色作家短編集の『キス・キス 』を読み、なんとも言いがたい読後感に興味を持ち、続けて『あなたに似た人』を読んだ。
どちらも印象に残ったのに、見事なまでに具体的な物語についての記憶が欠落している。
言語化できない感覚だけ残っている。

この短篇集からも……特に『ヒッチハイカー』と表題作の『 奇才ヘンリー・シュガーの物語』を読んでいるとその不思議な感覚が蘇ってくる。
本を閉じた後、読んだ内容を咀嚼するために宙を見つめるが、どうも消化しにくくストレートに言葉で表現できないもやもやとした感情が僕の中で渦巻いている。
奇妙な味、そのものの作家。

【本】『 太陽・惑星』上田岳弘

『ニルヤの島』同様去年末からSF界隈で話題になっていたので読んでみる。
なるほど『ニルヤの島』と似ているところもある。
物語を時系列順に描かず、シャッフルしながら絵を構成するように並べていく。

絵画と違って小説は一度に情報を出すことが出来ないので、時系列がバラバラの情報を線条的に読み取っていかざるを得ない。
頭のなかで再構成しなければならないから厄介だ。

二つの短編が収録されているが「太陽」と「惑星」に直接的な関連はない。
二編とも、物語の最初から最後まで把握している神の視点の誰かが時系列をシャッフルされた状態で提示される。
カート・ヴォネガットと語り口が似ているかもしれない。
「太陽」は叙述そのものにギミックはない。
神の視点である作者が、連想ゲームのように環状に情報をつなぎバランスをとりながらラストまでに読者に伝えなければならない情報を伝達する。
「惑星」は時間軸がバラバラであることにSF的ギミックがあり、それ自体がラストに繋がる。
表現は似ているが方法論は違う、逆に言えば方法論は違うが表現は似ている。
どちらかといえば著者の上田氏の中では表現が先にあって方法論が後のような印象。

内容自体は極めて僕が好きなタイプの小説。
個人的な内面のことと究極の外の世界がアクロバティックなアイデアで結び付けられる。
いわゆるSF小説ではないが、SF的な物の考え方で書かれた小説だ。
SFはもうジャンルでなく、物の考え方になっていることを実感する。

最近、好きなSFなのに理解することができず悲しい思いをすることが多い。
ハヤカワSFコンテストに入選した『ニルヤの島』が理解できなかっただけに、この本は素直に面白く感じることができ嬉しかった。

【本】『地政学の逆襲』ロバート・D・カプラン

昨年末読んだ『南シナ海 中国海洋覇権の野望』の著者が書いた本。
地政学の歴史と現在の世界における地政学的なものの見方の概観。
昔から興味のあった学問で意味のわからない部分はないけれども、はじめて読む概念があったりして覚えたり考えたりしながら読んでいると思いのほか時間がかかる。
毎日少しずつ」合計五時間前後、期間は足掛け一〇日ほど。

気になるのは(解説にも書いてあったが)驚くほど日本に関する記述が少ない点。
イランやトルコ、ギリシアにすらそれなりの章を割いているのに、日本に関しては「ファシスト日本」など定型化した表現でさらっと書いているのみ。
アメリカのリベラル一般はこんなものなのだろうか。

いま中国の海洋進出を防ぐという意味で、地政学的に一番重要な場所は台湾だという。
たしかにそのとおりだが、それは日本が対中国で踏ん張っている前提もあるだろう。
日本が中国よりの国になったら台湾どころの話ではない。
そもそも第二次世界大戦以前の状況を経ての今があるわけで、イランやトルコ、ギリシアより日本が地政学的に軽いとはけっして思えないのだけれども。

日本はアメリカに従順すぎるからなめられているのかもしれない。
主張すべきことは主張しないと……

【本:漫画】『もっと!  スリム美人の生活習慣を真似したら リバウンドしないでさらに5キロ痩せました』 わたなべぽん

半年前に前作を読んだ。
そのときは人生何度目かのデブピークからの本格的なダイエット一年半目だった。
そのおかげかどうかわからないけれども、その後五キロ落とすことに成功した。
(年末年始にモチを浴びるように飲んだのでまたリバウンドしてしまったが……)

絵がすごく達者。
この手のエッセイ漫画描いている人の中では一番達者。

巷では様々なダイエット法があふれているが、ダイエットなんてあきらかに間違っていることをやらないかぎりどんな方法であってもある程度は成功するもの。
問題はそのダイエットを続けられるかどうかだ。
太っている人はそんな生活を続けているから太っているので、ダイエットで体重を落としても元の生活に戻れば体重はまた元通りになる。
ダイエットは一生は続く。
それをダイエットと考えるから辛いので、スリム美人を目指す生活をしましょう、というのが本書。
スリム美人というの象徴を作ることによってダイエットを中心とした生活のレベルを引き上げる……
どういうダイエット法をやるかということに焦点をおいていない、まさにメタなダイエット論。

ダイエットに対してスリム美人を持ってくるコンセプトで成功した本だが、これは他のことでも成り立つのだ。
勉強や、仕事や、趣味……それぞれのスリム美人に該当する何かを見つけて、自分にないところ、その相手にあるところを比較すればいいのだ。
その実例をその観察できることこそわたなべ氏のスキルだけれども。

【本:漫画】『さくらの園 (1)』ふみふみこ

ウェブで試し読みしたら思いのほか面白かったので一巻を手に入れてみる。

絵がいかにもデジタルで描かれたという感じで決して丁寧ではない。
しかしこの描き飛ばし感が、読み進めるうえで不利に働かない。
紙で描いた絵はそれなりの重さがあって、逆にそれが読み応えにつながるのだが、この漫画にはそれがない。
ひっかからないのだ。
構図の視線誘導に優れ、一枚一枚の絵でなく全体で見ることができる。

紙で読むと若干の違和感があるが、ディスプレイ上の読みやすさに優れている、新世代の漫画の描き方。

キャラ絵の萌ポイントもちゃんとおさえられている。
逆に言うと、他の部分は極力排除されている。
絵とストーリーが比例していて、物語もキャクターの周辺以外はほぼ描かれることがない。
ポイントを絞ることによって象徴的な効果を上げているのだ。
思春期ならではの心の動き……不安定さ、周囲の見えなさ、好奇心などが、SF的設定とシンクロして稀有な作品に昇華されている。

続刊が待ち遠しい。

【本:漫画】『ゆゆ式 (1~2)』三上小又

学生時代はよく四コマ読んでいたものだが、上京して漫画を描くようになってあまり読まなくなった。
そういえば『あずまんが大王』の明確なオチのない四コマに驚いたものだが、その『あずまんが大王』すらもう一五年前。
『ゆゆ式』は『あずまんが大王』にかろうじて残っていた起承転結が消えて、四コマというフォーマットがコマ割なだけで途切れがないただのリズムになっている!
ずいぶん四コマも遠いところにきたのだな……自分が知らないあいだ過ぎた時間に思いを馳せる。

【本】『おもひでぽろぽろ』 岡本蛍(作) 刀根夕子(画)

最近アニメ監督の高畑勲氏に興味が出てきて、『おもいでぽろぽろ』の原作をどんな風にアレンジしているのか確認するために読んでみる。
映画では一七年前の自分を振り返っていてそれがノスタルジックな雰囲気に満ちていたのだが、それからさらに二〇年以上経過!
僕が原作映画を観たのは学生時代(一九九一年前後)。
原作で描かれていた一九六六年の世界からはもう五〇年!

不思議なのは自分にとって二〇年前がさほど昔に感じないことだ。
でも、九一年の学生時代から二〇年前は僕が生まれた頃で、すごく昔だったように思える。
自分が過ごしてきたから、二〇年が連続性を持っているからだろう。
だってよく考えてみると、一九九一年はネットもない、携帯電話も普及していない、『ドラゴンボール』でセルと戦っている頃、手塚治虫氏が二年前に死んだばかり。
いま二〇歳前後の人からすれば、大昔だ。

本書を読んでいて思春期の頃の甘酸っぱい香りに浸っている。
こんな感情ずっと忘れていた……と思いながらもところどころに強い既視感がある。
忘却していた映画の記憶が原作を読むことによってよみがえり、自分の体験と混然となっている。

そういえば僕も三〇前後の頃、自分が高校時代の体験談漫画『性的人間』を描いていた。
この作者と同じだ。
そういうものなのかもしれない。

そういえば単行本に収録されなかったが僕の描いた漫画『性的人間』には『おもいでぽろぽろ』というタイトルの話があった。