本は一三歳のとき、近所のバザーで三冊一〇〇円で購入。そのときと一〇年前に読んで、今回が人生三度目。
一〇年前に読んだので大体のプロットは覚えていた。ミステリ仕立ての冒頭から未開の奥地へ、典型的伝奇小説展開!
小松左京氏はジャンル小説を自分流に勘案するのが実にうまい。
そしてこの小説も単なるジャンル小説に終わらず、「小松左京小説」としか言いようのない壮大な歴史と宇宙の一部を垣間見せられたような、奇妙な感動に読み終わったあと襲われる。
「こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ
【本】苫米地 英人『自伝ドクター苫米地 脳の履歴書 』
【本】カート ヴォネガット『カート・ヴォネガット全短篇 2 バーンハウス効果に関する報告書』
【本】カート ヴォネガット『カート・ヴォネガット全短篇 1 バターより銃』
戦争についての短編中心に編まれている。
作家は自分が「知っていることを書く」べきである……という信条でヴォネガット氏は書いているとのこと。
戦争ものにもかかわらず華々しい活劇はなく、ヴォネガット氏自身が体験した要素がどこかしこに入っている。
すなわちいつも腹をすかせ、捕虜収容所にはこす狡く監視係に取り入る兵がいて、味方であるはずの連合国軍から爆撃を受け絶望し、ドイツが逃げた後は市民から略奪し、ソ連兵が近づいてくると同じ連合国なのに怯える……全てこのバリエーション。
そういえば、硫黄島で戦った日本兵とアメリカ兵が数十年ぶりに出会うドキュメンタリーをしばらく前に観たのだが、同じアメリカ兵でも「日本人にどんな顔をして会えばいいのかわからない」という人もいれば「生意気なことを言ってきたらまたコテンパンにやってやればいいさ」といまだイケイケの人もいて、同じ戦場でも感受性によって随分差があるんだなと。
【本】三方 行成『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』
【本】かんべむさし『38万人の仰天』
左遷されたサラリーマンが新天地の大阪で一発逆転を賭けたイベントを企画する話。
いい言い方をすれば(?)池井戸潤のドラマみたいだ。
SF要素は付け足し程度。
SF以外の、八〇年代の大阪の住まいやオフィスの風俗的な描写が興味深い。
四〇年前ってこんなふうに話していたっけ?
明石家さんまやダウンタウン以降、みんな過剰にお笑いっぽく話すようになった一方、角が取れた部分もあり、登場人物たちがうちの両親と同世代にしてはもう少し上の世代みたいな話し方するな〜と大阪出身者は感じる。
大阪マスコミの作中のドメスチックな雰囲気については、僕は会社勤めの経験はないけれどマスコミ業界に出入りすることも多かったので、比較的わかるところもあるけれど違和感もあり、それが今と四〇年前の差なのか東京と大阪の差なのかはわからない。
物語的には淡白。
仕掛けがあるわけでも大きなどんでん返しもない。
四〇年前の男女ってこんなにうぶだったのか?
【本】かんべむさし『宇宙の坊っちゃん』
もう四〇年前に出版されたのか……
僕が以前読んだのはたぶん一九八五年前後。
三五年近く前読んだのに、全てのストーリーと筋を覚えていて、表題作は登場人物の名前まで覚えていた。
正確に言うと、手に取るまでどんな内容の短編が入っているのか忘れていたけれど、手にとってパラパラめくったら脳内映写機に投影されるように内容が浮かんできた。
漫画か映画で観たような感じで映像化された記憶だった。
逆に、最近の自分記憶のぼんやりぶりにショック!
当時(中学生)はこういう短編は何でも大好物で、バクバク食べていた。
今でもこういうのが好きという記憶の残滓が残っているからSFを手に取るんだと思う。
いつのまにかこれを書いていた当時のかんべむさし氏の年齢まで越えてしまった。
当時読んだ自分がこう感じて、今回こうだった……という感じ方の比較が楽しかったのだが、初読でここまで楽しむことができたかどうかはわからない。
【本】小川哲『ゲームの王国 上下』
力作だった。上巻はカンボジア革命前後のことが、下巻は現代(近未来も含め)のカンボジアについて描かれている。
僕は以前フランス人のアシスタントを雇っていたのだが、彼女の家族は虐殺時にカンボジアから逃れてきた移民だった。
(互い母国でない英語でしか意思の疎通ができなかったのでこまかいニュアンスはわからなかったが)
兄弟の半分は虐殺で亡くなったという。家族や環境のせいもあって、彼女は幼い頃から精神が不安定で、でも日本の文化が好きで絶望したときエヴァンゲリオンやコードギアスを観たり、X JAPANやMALICE MIZERを聴くことで救われたという。そして日本に漫画を学ぶために訪れて、僕と出会った。
そんなことを思い出しながら、上巻のカンボジア虐殺部分を読んでいるとどうしてもアシスタントだった彼女の家族のことを想像し、強いストレスで読むことが苦痛でやめそうになって、でも目をそらしてはいけない思いもあって必死に読み続けた。上巻のラストは涙無しで読み続けることができず。
こういう大きな歴史を描いているにもかかわらず、登場人物の設定が昔ながらの歴史小説というより、寓話的(漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のよう)で、そういえば大河歴史(的)小説でいうと池上永一『テンペスト』や東山彰良『流』などもリアルというよりそういう寓話的なキャラクター造形だった。
下巻につながるジョイントは正直完全に成功しているとは思えないが、逆に一筋縄でいかない人間の運命を真摯に描いているとも感じた。ここらへんは好き嫌いだけれど。ともあれ、スリリングな読書体験だった。
【本:漫画】三浦建太郎『ベルセルク(40)』
一〇年位前から三浦氏は全盛期のようなハッチングを繰り返してベタに至るような描き込みができなくなってきて、全体的に画面がグレーっぽくなっている。
三五歳前後から人間は筆圧が下がり老眼になり体力が落ちて絵を描くのに時間がかかるようになる。
老化によるクオリティの低下を解決するためベテラン漫画家がデジタル導入するケースが増えていて、だからこの漫画のデジタル化は時間の問題と思っていたけれど……この漫画にとってこれが吉と出るか凶と出るか。
短期的にはまだデジタルを使いこなしているとは言えずやや寂しい出来だけれど、長期スパンだと新しい画材の技法的探求が漫画を描き続けるモチベーションに繋がるかもしれず、やや疲れが見えるベルセルクがまた盛り上がる展開になることを、ものすごく引いた場所から期待している(俺何様?)。
【本:漫画】ほしよりこ「逢沢りく(上下)」
【本】辻村深月『かがみの孤城』
【本】スタンリイ・エリン『特別料理』
【本】門井慶喜『銀河鉄道の父』
宮沢賢治の父親を描いたものって珍しい。妹のトシは賢治の詩「永訣の朝」から、弟の宮澤清六は著作の「兄のトランク」(解説によると清六は『未来少年コナン』が好きだったという。)を通して知っていたけれど、父親については何も知らなかった。
『銀河鉄道の夜』は上京してすぐ、近所の古本屋で三冊一〇〇円のセールで遠藤周作井上ひさしとまとめて買った。それまで教科書レベルでしか読んだことがなかったが、『銀河鉄道の夜』は僕にとって掘り出し物で何度も読み返し読み返すたびに泣いてしまう大切な本になった。三三円だったのに。
門井慶喜氏の本でまた興味が湧いてきたので、今度はちゃんと全集で読もうかな、と思う。まあこんなの思いつきだから明日になれば忘れているかもしれないけれど。
僕にとってのコナンは名探偵コナンでもコナン・ドイルでもコナン・ザ・グレートでもなく未来少年コナンだ。もちろん猫にコナンでもない。
【本:漫画】相原コージ『漫歌(全2)』
一〇年ぶりに再読。
連載時、立ち読みしていて声を出して笑っていたら、当時のアシスタント先の漫画家さんに
「これただ単にテンドンを繰り返しているだけで古臭くてつまらない」
と一刀両断されたのが悲しかった。
『コージ苑』から随分経ってから描かれたような気がしていたけれど、奥付をみると一〇年ぐらいしかあいていないのか。
今回読んで気付いたのは、新しいことをやろうとしていることはかえって古びていて、相原氏が昔から得意としていたことは意外と古びていない、ということだ。
相原コージ氏は前衛作家みたく新しいギャグ漫画の先駆者たろうとしていたし、実際そうだったと思うけれども、できれば一定のジャンルを長期間続けることで深化させたその先も見てみたい。
四コマも終わらずに続いていれば何か先に見えそうで、それが見えないことがもどかしい。
(『ムジナ』のようなケレン味あふれる漫画本来の面白さのある物語ももっと読みたい)
天才肌だから、今やっていることの先がすぐに見えてしまうから別の道へ進んでしまうのだろうか。
【本】セサル・アイラ『文学会議 』
【本:漫画】たかぎなおこ『ひとりたび1年生』
ガイドブック的な要素もある本だけれども、旅先の情報以上に、訪れたたかぎなおこ氏のリアクションが、いい。
僕は二〇年以上シーズンごと一人旅を続けているが、いまだ見知らぬ土地でこみ上げる不安感は消えない。
むしろその不安感が旅の中で重要だったりする。
旅の楽しさである冒険心とか郷愁は、不安感に付随するものではないか。
逆に不安感がないということはその場所のことを把握しているからで、わかっているところを歩いても答え合わせでしかない。
僕が思うに、誰かと一緒に旅行すると旅特有の感情の純度が下がる。
それはそれで違う楽しみも生じるけれど、誰かと一緒なら知っている場所を歩いたり話したりするだけで、僕は楽しい。
……などと自分語りのスイッチを押させてくれるのが、たかぎなおこ氏の漫画のよさ。