こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。

【本】門井慶喜『銀河鉄道の父』

宮沢賢治の父親を描いたものって珍しい。妹のトシは賢治の詩「永訣の朝」から、弟の宮澤清六は著作の「兄のトランク」(解説によると清六は『未来少年コナン』が好きだったという。)を通して知っていたけれど、父親については何も知らなかった。

『銀河鉄道の夜』は上京してすぐ、近所の古本屋で三冊一〇〇円のセールで遠藤周作井上ひさしとまとめて買った。それまで教科書レベルでしか読んだことがなかったが、『銀河鉄道の夜』は僕にとって掘り出し物で何度も読み返し読み返すたびに泣いてしまう大切な本になった。三三円だったのに。

門井慶喜氏の本でまた興味が湧いてきたので、今度はちゃんと全集で読もうかな、と思う。まあこんなの思いつきだから明日になれば忘れているかもしれないけれど。

僕にとってのコナンは名探偵コナンでもコナン・ドイルでもコナン・ザ・グレートでもなく未来少年コナンだ。もちろん猫にコナンでもない。

【本】『What’s Michael?(1~6)』小林まこと

何と! 思っていたのと違い「マイケル」という名前だけ共通した猫のオムニバス漫画だった。実験的!

マイケルという名前のペットと飼い主の交流譚、あるいは『我輩は猫である』のような猫一人称視点の物語かと思い読み始めたら、いきなり第一話で猫のマイケルが死亡。
第二話、何事もなかったように同じトラ柄同じ名前のマイケルという猫が登場……そういうオムニバス漫画だった! 思いがけずハイブローな物語の枠組みに仰天する。
基本的に大きな物語はない、スケッチのような物語の漫画なのに背景がちゃんと描き込まれていて、流麗なデッサンで人物が実によく動き、そのギャップがギャグ漫画として面白い。
マイケルが踊ることだけは事前知識で知っていて、猫嫌いの僕からすればもっとむかつくかと思っていたが、意外と演出で、漫画のキャラ付けとしてじゅうぶん自然に成り立っている。

猫嫌いで敬遠していたけれども面白かった!

何でも読んでみるもんやねんな!

【本】『 奇才ヘンリー・シュガーの物語』ロアルド・ダール

数年前、異色作家短編集の『キス・キス 』を読み、なんとも言いがたい読後感に興味を持ち、続けて『あなたに似た人』を読んだ。
どちらも印象に残ったのに、見事なまでに具体的な物語についての記憶が欠落している。
言語化できない感覚だけ残っている。

この短篇集からも……特に『ヒッチハイカー』と表題作の『 奇才ヘンリー・シュガーの物語』を読んでいるとその不思議な感覚が蘇ってくる。
本を閉じた後、読んだ内容を咀嚼するために宙を見つめるが、どうも消化しにくくストレートに言葉で表現できないもやもやとした感情が僕の中で渦巻いている。
奇妙な味、そのものの作家。

【本】『 太陽・惑星』上田岳弘

『ニルヤの島』同様去年末からSF界隈で話題になっていたので読んでみる。
なるほど『ニルヤの島』と似ているところもある。
物語を時系列順に描かず、シャッフルしながら絵を構成するように並べていく。

絵画と違って小説は一度に情報を出すことが出来ないので、時系列がバラバラの情報を線条的に読み取っていかざるを得ない。
頭のなかで再構成しなければならないから厄介だ。

二つの短編が収録されているが「太陽」と「惑星」に直接的な関連はない。
二編とも、物語の最初から最後まで把握している神の視点の誰かが時系列をシャッフルされた状態で提示される。
カート・ヴォネガットと語り口が似ているかもしれない。
「太陽」は叙述そのものにギミックはない。
神の視点である作者が、連想ゲームのように環状に情報をつなぎバランスをとりながらラストまでに読者に伝えなければならない情報を伝達する。
「惑星」は時間軸がバラバラであることにSF的ギミックがあり、それ自体がラストに繋がる。
表現は似ているが方法論は違う、逆に言えば方法論は違うが表現は似ている。
どちらかといえば著者の上田氏の中では表現が先にあって方法論が後のような印象。

内容自体は極めて僕が好きなタイプの小説。
個人的な内面のことと究極の外の世界がアクロバティックなアイデアで結び付けられる。
いわゆるSF小説ではないが、SF的な物の考え方で書かれた小説だ。
SFはもうジャンルでなく、物の考え方になっていることを実感する。

最近、好きなSFなのに理解することができず悲しい思いをすることが多い。
ハヤカワSFコンテストに入選した『ニルヤの島』が理解できなかっただけに、この本は素直に面白く感じることができ嬉しかった。

【本】『地政学の逆襲』ロバート・D・カプラン

昨年末読んだ『南シナ海 中国海洋覇権の野望』の著者が書いた本。
地政学の歴史と現在の世界における地政学的なものの見方の概観。
昔から興味のあった学問で意味のわからない部分はないけれども、はじめて読む概念があったりして覚えたり考えたりしながら読んでいると思いのほか時間がかかる。
毎日少しずつ」合計五時間前後、期間は足掛け一〇日ほど。

気になるのは(解説にも書いてあったが)驚くほど日本に関する記述が少ない点。
イランやトルコ、ギリシアにすらそれなりの章を割いているのに、日本に関しては「ファシスト日本」など定型化した表現でさらっと書いているのみ。
アメリカのリベラル一般はこんなものなのだろうか。

いま中国の海洋進出を防ぐという意味で、地政学的に一番重要な場所は台湾だという。
たしかにそのとおりだが、それは日本が対中国で踏ん張っている前提もあるだろう。
日本が中国よりの国になったら台湾どころの話ではない。
そもそも第二次世界大戦以前の状況を経ての今があるわけで、イランやトルコ、ギリシアより日本が地政学的に軽いとはけっして思えないのだけれども。

日本はアメリカに従順すぎるからなめられているのかもしれない。
主張すべきことは主張しないと……

【本】【漫画】『もっと!  スリム美人の生活習慣を真似したら リバウンドしないでさらに5キロ痩せました』 わたなべぽん

半年前に前作を読んだ。
そのときは人生何度目かのデブピークからの本格的なダイエット一年半目だった。
そのおかげかどうかわからないけれども、その後五キロ落とすことに成功した。
(年末年始にモチを浴びるように飲んだのでまたリバウンドしてしまったが……)

絵がすごく達者。
この手のエッセイ漫画描いている人の中では一番達者。

巷では様々なダイエット法があふれているが、ダイエットなんてあきらかに間違っていることをやらないかぎりどんな方法であってもある程度は成功するもの。
問題はそのダイエットを続けられるかどうかだ。
太っている人はそんな生活を続けているから太っているので、ダイエットで体重を落としても元の生活に戻れば体重はまた元通りになる。
ダイエットは一生は続く。
それをダイエットと考えるから辛いので、スリム美人を目指す生活をしましょう、というのが本書。
スリム美人というの象徴を作ることによってダイエットを中心とした生活のレベルを引き上げる……
どういうダイエット法をやるかということに焦点をおいていない、まさにメタなダイエット論。

ダイエットに対してスリム美人を持ってくるコンセプトで成功した本だが、これは他のことでも成り立つのだ。
勉強や、仕事や、趣味……それぞれのスリム美人に該当する何かを見つけて、自分にないところ、その相手にあるところを比較すればいいのだ。
その実例をその観察できることこそわたなべ氏のスキルだけれども。

【本】【漫画】『さくらの園 (1)』ふみふみこ

ウェブで試し読みしたら思いのほか面白かったので一巻を手に入れてみる。

絵がいかにもデジタルで描かれたという感じで決して丁寧ではない。
しかしこの描き飛ばし感が、読み進めるうえで不利に働かない。
紙で描いた絵はそれなりの重さがあって、逆にそれが読み応えにつながるのだが、この漫画にはそれがない。
ひっかからないのだ。
構図の視線誘導に優れ、一枚一枚の絵でなく全体で見ることができる。

紙で読むと若干の違和感があるが、ディスプレイ上の読みやすさに優れている、新世代の漫画の描き方。

キャラ絵の萌ポイントもちゃんとおさえられている。
逆に言うと、他の部分は極力排除されている。
絵とストーリーが比例していて、物語もキャクターの周辺以外はほぼ描かれることがない。
ポイントを絞ることによって象徴的な効果を上げているのだ。
思春期ならではの心の動き……不安定さ、周囲の見えなさ、好奇心などが、SF的設定とシンクロして稀有な作品に昇華されている。

続刊が待ち遠しい。

【本】【漫画】『ゆゆ式 (1~2)』三上小又

学生時代はよく四コマ読んでいたものだが、上京して漫画を描くようになってあまり読まなくなった。
そういえば『あずまんが大王』の明確なオチのない四コマに驚いたものだが、その『あずまんが大王』すらもう一五年前。
『ゆゆ式』は『あずまんが大王』にかろうじて残っていた起承転結が消えて、四コマというフォーマットがコマ割なだけで途切れがないただのリズムになっている!
ずいぶん四コマも遠いところにきたのだな……自分が知らないあいだ過ぎた時間に思いを馳せる。

【本】『おもひでぽろぽろ』 岡本蛍(作) 刀根夕子(画)

最近アニメ監督の高畑勲氏に興味が出てきて、『おもいでぽろぽろ』の原作をどんな風にアレンジしているのか確認するために読んでみる。
映画では一七年前の自分を振り返っていてそれがノスタルジックな雰囲気に満ちていたのだが、それからさらに二〇年以上経過!
僕が原作映画を観たのは学生時代(一九九一年前後)。
原作で描かれていた一九六六年の世界からはもう五〇年!

不思議なのは自分にとって二〇年前がさほど昔に感じないことだ。
でも、九一年の学生時代から二〇年前は僕が生まれた頃で、すごく昔だったように思える。
自分が過ごしてきたから、二〇年が連続性を持っているからだろう。
だってよく考えてみると、一九九一年はネットもない、携帯電話も普及していない、『ドラゴンボール』でセルと戦っている頃、手塚治虫氏が二年前に死んだばかり。
いま二〇歳前後の人からすれば、大昔だ。

本書を読んでいて思春期の頃の甘酸っぱい香りに浸っている。
こんな感情ずっと忘れていた……と思いながらもところどころに強い既視感がある。
忘却していた映画の記憶が原作を読むことによってよみがえり、自分の体験と混然となっている。

そういえば僕も三〇前後の頃、自分が高校時代の体験談漫画『性的人間』を描いていた。
この作者と同じだ。
そういうものなのかもしれない。

そういえば単行本に収録されなかったが僕の描いた漫画『性的人間』には『おもいでぽろぽろ』というタイトルの話があった。

【本】【漫画】『土星マンション(1~3)』岩岡ヒサエ

宇宙エレベーターに興味があったので、それに隣接する設定の物語らしいこの本を手に入れて読んでみる。
ところが何と……冒頭の扉絵で見せている土星のリング状に地球の周囲に浮かぶ都市……というところ以外はセンス・オブ・ワンダーが一切なかった!

人情話として一筋縄でいかず素直に着地しないところが、今っぽい。

【本】【漫画】『三文未来の家庭訪問』庄司創

面白そうなタイトルと表紙の絵に惹かれて手に取ってみる。
冒頭から興味深そうな設定と物語、引きこまれて読んでいると途中から頭に入りづらくなってくる。
あれ、面白かったのに……後半に近づくにつれどんどん観念的になって、僕の中で一般化できない事象が増えてくる。
ある領域から先は完全に感情移入できない領域に入ってしまう。
作者の責任でなく、こういう現在から生まれるものを理解できない僕が悪いのだ。

最近、自分が好きだったSF小説も漫画も意味がわからないものが増えてきた。
学生時代あれだけ熱心に読んでいて、特に好き嫌いもなくどの作家の作品も読んできたのに。
好きなSFから、漫画から心が遠ざかっていく。
年齢のせい? 
勉強不足? 
それともひとつのジャンルが恐ろしく多様化したから??

それにしても真夏の沖縄の海に飛び込んだら、いつのまにか氷山の浮かぶ北海に浮かんでいたような気持ちだ。

【本】【漫画】『キヌ六(全2)』野村亮馬

ネットで紹介記事を読んで面白そうだったので読んでみる。
僕が好きそうな絵と設定だったのだが、読んでみたら実際その通りだった。

設定やテンポは少年漫画的なのに、それ以外の要素があまり一般的でない。
バトルでどんどん身体が崩れていく。
容赦のないアクション描写、肉体感感覚の徹底的な希薄さ。
絵のダークさ未成熟さを含め、そのアンバランスさがまぎれもない個性。

自分の好きなことを漫画にしているように見える。
この自由さがうらやましい。

【本】【漫画】『機械仕掛けの愛(1~2)』業田良家

業田良家氏は高校ぐらいから青年誌の四コマを読んでそれなりに追いかけてきたつもり。
ギャグともシリアスともとれない混じりあった作風だったが、最近は分離する傾向にあるようだ。

『機械仕掛けの愛』は同作者のシリアス志向の方向性である『空気人形』の延長線上にある。
寓話的だったリアリティラインがSF寄りになっている。
アイザック・アシモフ『われはロボット』が、二一世紀になって日本人のギャグ漫画家の手によってリブート(再起動)されるのを見る……不思議な気分。
フレドリック・ブラウン氏や藤子・F・不二雄氏を彷彿とさせるストレートなショートショート。

15年01月28日先日読んだ『ショートショートの世界』で絶滅寸前だったショートショートが、ここによみがえっていた!

個人的には『家族増員法』『罪と罰の匣』が好き。

【本】【漫画】『羊の木(全5)』山上たつひこ(作) いがらしみきお(画)

僕は山上たつひこ氏のドンピシャ世代ではない。
ちょっと後の鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』が小学生時代一番はまったギャグ漫画なのだが、それさえ僕が読んでいた頃は連載が終わって数年が経っていた。
リアルタイムに読んでいた頃の山上たつひこ氏作品で僕が一番好きだったのは『ええじゃない課』。
高校以降は『喜劇新思想体系』『鉄筋トミー』『金瓶梅』などをつまみ食いするように読んでいた。
そんな二〇年ぶりの山上たつひこ氏の漫画。
(いがらしみきお氏は去年『ぼのぼの』と『I【アイ】』を読んだ)

登場人物が多いけれども混乱しないように工夫がされていて非常に読みやすい。
とある地方都市に元犯罪者たちが集まる。
その街で連続殺人が起こる。
過去と現実の軋轢から、貴志祐介氏の『悪の教典』『クリムゾンの迷宮』のような心理的なサスペンスに向かうかと思っていたらそうでもない。
謎解き的な展開はそれほど重要じゃないようで、いくつか謎を残したまま一応の終わり。
一筋縄でいかないのが山上たつひこ氏らしい。

【本】『エスケヱプ・スピヰド(3)』九岡望

三時間半かけて読了。
この厚さぐらいのラノベ(三五〇ページ前後)なら一〜二時間で読みきることができるのに、通常の倍以上かかってしまう。

時間がかかった理由は、難解さのためでなくアクション描写が多いため。
その描写は下手ではなくむしろ非常に達者なのだが、これはもう小説という媒体の問題。
漫画や映画なら映像を観てダイレクトに理解できるのだが、小説の場合は文章を読んでからいったん頭のなかで映像にしなければならないのでそのぶんだけ時間がかかる。
ここまでよくできていると、逆に文章で読む不自由さというか絵がないことに物足りなさを感じる。

媒体がラノベというだけで、少年漫画の基本を完璧に踏襲している。
キャラクターは相変わらず類型的(ベタ)だが、ベタもここまで極めれば芸。

【本】『ショートショートの世界』高井信

ショートショートは中学生の頃むさぼるように読んでいた。
大人小説の読み始めとリンクしていた。
筒井康隆氏、都筑道夫氏、小松左京氏、星新一氏、豊田有恒氏……「ショートショート」と銘打たれた本はかたっぱしから読んでいたように思う。
高校、大学と経るにしたがって、自分の好みが長編志向になっていき物足りなくなくなり読まなくなっていった。
しかし、ショートショートは自分の原型を構成するもののひとつであることにはかわりはない。
もちろんこの著者の高井信氏の著書も読んでいた。

高井氏の言う八〇年代半ば以降のショートショート冬の時代と自分が読まなくなった頃がリンクしている。
確かにショートショートは時代に求められていたものと逆行していたのかもしれない。
長編志向が強くなった漫画、映画より長編ドラマが作られる時代、読み手からしても当たり外れのある短編を読むより連続性のある(前提がわかっている)長編のほうがわかっているだけ楽だ。

しかしさらに現代、それと逆にショートショートも広がる余地があると僕は考える。
スマホで、タブレットで情報を得る時代、長編よりショートショートを読むことの方が生活スタイルに合っているのではないか。
電車で移動中しながら軽食を取りながらトイレで一服しながら、軽くショートショートを読む時代が来るかもしれない。

今年中とはいかないが、ショートショートはいつか系統立てて読むつもりなので、そのときのためのガイドブックとして本棚に仕舞っておくことにする。

【本】『あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生』佐々木敦

メタフィクション、パスティーシュ、パロディのようなものが好きで、筒井康隆氏を始めとして相当読んできたと思う。

パラフィクションは、そのメタフィクションから派生したものらしい。
冒頭で書かれているが、著者自身もパラフィクションという事象を完全に把握しているとは言い切れないようだ。
現在進行中であるところのパラフィクションの萌芽をいち早く取り上げた、ということか。
この本でまだ全貌が明らかになっていないが、パラフィクションはそれまでのメタフィクションと違い、作家だけで完結しない読者を絡めたアプローチのようだ。

ホニョムホニョムがへチョムへチョムのような、コクーンがパージするのはパルスのファルシによってルシにされた……みたいな話だ。

ここで例題として取り上げられているテキストの半分近くはタイトルを僕は聞いたことがなかった。
仕事にかまけて読書できない期間が続き、そもそもメタフィクションの今の環境自体がわからない。
それを知らないとここに書かれていることを理解することは難しい……
勉強不足を恥じて、ここに書かれている本を読んでいこうと思う。

【本】【漫画】『地球戦争(1~3)』小原愼司

今まで僕は勉強不足のため小原愼司氏を寡聞にして知らなかった。
去年、かろうじてトニーたけざき氏(画)で小原愼司氏(作)の漫画『星のポン子と豆腐屋れい子』を読んだのみ。

初めて本を開き絵を見て大層驚いた。
新人かと思ったらそうでもないようだ。
達者とは言えない絵……どう捉えたらいいのか最初はわからなかった。
なのにこれだけキャリアがあるということはこの絵にも意味があるのだろう。
読んですぐ作品世界に引きずり込まれていく。

キャラクターが生きている。
設定がいまどきの子供受けするかはわからないけれども、これは紛れもなく少年漫画の面白さだ。
しかも子供向けで終わらず大人でも楽しめる、万人向けの、普遍性を持った面白さ。
絵は確かに達者でないけれども、きっちり描かれていないことによって補完させる想像の余地が生じる。
そういう意味ではこの物語にこの絵は合っている。

想像の余地と言ったが、この物語はまだ始まったばかりで描かれていないことがたくさんある。
しかし、その時点で伝えるべき情報を作者が惜しげも無く見せ、能動的なキャラクターが真実を探そうと動くので、読者にストレスを感じさせない。
読者が知りたいこととキャラクターが知りたいことがちゃんと一致している。

先が読みたいという衝動が湧いてくる、久々に(子供の頃思っていた)漫画らしい漫画を読んだ。
小学生のころ、H・G・ウェルズ『宇宙戦争』や ジョン・クリストファー『トリポッド』を読んだワクワク感を思い出す。

【本】【漫画】『シドニアの騎士(1~2)』弐瓶勉

一〇年ほど前、絵に惹かれて弐瓶氏の単行本『BIOMEGA』を表紙描いした。
スタイリッシュな絵、意味ありげなタイトルやキーワードに魅力を感じた。
しかし絵と物語の個性が強すぎて何が起こっているのか一読で把握しがたく、困惑した。

一〇年前振りにまた弐瓶氏の今作を読んで、僕にとって難解なことに変わりはなかった。
なかなか手のうちを見せてくれない。
それは絵も物語も同様で、絵は大きく俯瞰で見せてくれない、物語は進行中の情報しか見せてくれない。
情報を強力な弐瓶勉フィルタで厳しく取捨選択している。
僕の思う、絵とストーリーが比例しているタイプの作家。

こんな面白い設定かつ好きになりそうなデザインやガジェットで満ちているのに、作品世界に入り込めず悲しい。
その悲しみは、いまプレイ中のFF13に対して僕が思う気持ちと共通している。

【本】『エスケヱプ・スピヰド(2)』九岡望

今月初めに読んだ第一作目が面白かったので続きを読んでみる。
前作の物語設定をうまく膨らまして繋げている、今作も非常に達者な印象。

市販の材料から極上の創作料理を再構成できる凄腕料理人のようだ。
既成品を完璧に作る腕に長けている。
ワガママを言うことが許されるなら、さらに作家性みたいなものが見えてくればいいのだけれども。
既成品もいいけれど、この達者な作者が内面で醸造、発酵させたものも読んでみたい。

【本】『エスケヱプ・スピヰド』九岡望

【本】【漫画】『大好きが虫はタダシくんの』阿部共実

冒頭の『乙女心』『ドラゴンスワロウ』あたりはボケとツッコミがはっきりしたギャグ漫画。
ラスト表題作『大好きが虫はタダシくんの』あたりはガラリと作風が変わり、マイノリティーに属するキャラクターから見た生きにくい現実を描いた、比較的リアルな漫画。
一見すると作風が異なるけれども、細かく読んでいくと両方共コミュニケーションの齟齬についてが物語の主眼(および感情的な起点)なので、同じことを違う切り口で描いている同工異曲のようなものなのかもしれない。

【本】【漫画】『キーチVS(8~11)』新井英樹

先日ようやく最終巻を読む機会を得たのでさかのぼって読み返す。
結局、最後まで読んでも主人公のキーチが具体的に何をしたかったのかわからなかった。
僕にとって新井英樹氏の漫画は難しい……どう捉えたらいいのかわからない。

大学生の頃、後輩が僕にこう言った。
「漫画を描こうと思っていたんですが、『ワールド・イズ・マイン』を読んだらそういう気持ちがなくなるぐらいショックを受けました」

『ワールド・イズ・マイン』も『キーチVS』も抜群に面白い漫画だ。
新井氏は連続して興味を引く (プロットとしての) クリフハンガー的な面白さを熟知していて、読みだすと途中で本を手放すことができなくなる。
そしていつも主人公の破壊衝動のようなものや鬱屈した感情に圧倒される。
最後は、圧倒的な迫力の前に何が起こったのか把握できずに茫然としてしまう。

おそらく新井氏は物語中の「主人公が社会と対立して起こす化学反応」に興味があって、その過程の先に何が起こるかは目的としていないのだろう。
『キーチVS』のクライマックスは、震災やオウム信者の逮捕など時事ネタが取り入れられ、臨機応変に物語が変化していることがわかる。
作中の社会だけでなく現実の社会とも化学反応しているのだ。

結論を見るために描く、その行為自体が重要。
僕の文脈にはない思考だから捉えにくい。

【本】【漫画】『ASTRONAUTS(全3)』沖一 (作画) 史村翔 (原作)

おそらくロケット打ち上げが日常化している近未来の物語だが、宇宙でやっていることが今と変わることなく、実験や衛星のメンテナンスだけ、商業/冒険目的のミッションがない。
八〇年代初頭に宇宙飛行のリアルを描いた漫画と変わらない現代なんて、そんな未来(二〇一五年)なんてイヤ過ぎる!
……と昔から今に思いを馳せる。

【本】【漫画】『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(1)』浅野いにお

物語は巨大宇宙船が東京上空に現れ、それが日常化した世界。
大震災後、非日常が日常に変わった風景を巨大宇宙船に象徴して描く。

重厚なアナログ風タッチの背景。
どこまでがデジタルでどこまでがアナログか判別しがたい。
デジタルとアナログの新しいアプローチ、融合。

一方で擬音やタイトル、枠線など同時に漫画という構造を解体する作業も行っている。

物語、絵、表現……幾層のレベルの新しいことが絡み合って描かれたこの作品は、間違いなく現代漫画の最前線だ。

【本】『大伴昌司《SF・怪獣・妖怪》秘蔵大図解』紀田順一郎

SFの章、「宇宙の秘境魔境50」にオオウケする。

(19)ゴリラうしの急襲
上半身がゴリラ、下半身がうしの巨大怪物。かに星雲の宇宙人にあやつられて宇宙船をおそう。

(36)けんかずきのねこ宇宙人
地球から3000光年離れたところに、ねこ宇宙人のすむ星がある。ねこ宇宙人は、体長2.5メートル、けんかずきで、いつも戦争をしている。

(44)子どもを産む星
生きている星の中には、子どもを産む星がある。子どもは、流れ星になって、ぞろぞろと親星のあとについて宇宙をさまよい、宇宙線をすって、500年経つと、親星より巨大になる。

絵とキャプションが傑作。
具体的な場所と、具体的な数字がリアリティを担保している。
……というかここまで具体的なウソをなぜ自信持っていうことができるのだろう?
想像力にブレーキがない強さ……僕は中途半端な自分の知識が邪魔をして、弾けることすらできない。
オオウケしているだけでなく反省することしきり。

【本】【漫画】『廃墟少女』尚月地

自分のフェティッシュな嗜好に対して忠実に向き合う作者の姿勢に感動する。
決してひとりよがりでなく、商業的に抑えなければならない部分と折り合いをつけている。
漫画自体は僕の好みにドンピシャなわけではないが、独創的な画面作りに何度も本を開いては読み耽る。

描きたいことと、興味のないことのギャップが大きい。
物語的にも緻密な設定を作るところと描かないところの差が激しい。
描きたい背景と、手前のキャラクターの中間が全くの空白なのに違和感を覚えさせないテクニック……あるいはそういう画面作りの妙というべきか。
漫画家の絵と物語のこだわりは比例する……僕がいつも思うこと。

あとひとつ、デジタルで仕上げているのにアナログっぽい画面作りが素晴らしい。
ゲームの話に脱線するけれども、
FINAL FANTASY6から7へ移行するとき(スーパーファミコンからプレイステーション)、3DCG中心になって天野喜孝要素が消えていった。
今思うとハイスペックなマシンで何故2Dを極めるような方向に進化しなかったのか。
アナログ的な天野喜孝要素を活かす方向だったら、現在の日本のゲーム界でどんな表現を観ることができただろうかと夢想する。
あれが日本のCGの分かれ道だったと思う。

逆に、アニメ監督の高畑勲氏は『ホーホケキョ となりの山田くん』『かぐや姫の物語』で、(いかにもCGアニメらしい表現ではない)CGを使うことによって本来の絵の持ち味をより活かす、かえって新鮮な表現を創りだした。
それをこの漫画の中に見る。

【本】【漫画】『ウルトラヘヴン(1~3)』小池桂一

僕が高校生のとき、小池桂一氏の単行本『G』を購入していたが、ほとんど台詞のない物語で、好きな部分もあるが全体的にハードルが高く理解できなかった。
同じく僕が学生時代に好きだった漫画家板橋しゅうほう氏とタッチが似ている。
描線、ハッチングの先端が破線になって消えていくタッチ。
というより小池氏と板橋氏が共通して影響を受けているのがバンドデシネ(フランスの漫画)の作家メビウス氏ということだろうか。

漫画本流っぽくなくて、見慣れない表現(懐かしい表現、前衛的な表現)が入り交じる。
ずば抜けたコマ割り、絵の達者さ。
連鎖するイメージのスムーズさ……小池氏はおそらく絵の類似性に注意深いのだろう。
メビウス氏に似てはいるがベタがほとんどなく、白っぽい画面。
どちらかといえば大友克洋氏の漫画キャリア中期でSFを描いていた頃の画面と色味が似ている。
大友氏にくらべると質感の描き込みが多い。

【本】『うどん キツネつきの』高山羽根子

タイトルや表紙からして面白そうで、実際、読んでいて実に肌に合う読み心地。
書かれている言葉も難しいわけではなく筋も難しくない。
ところが、物語が閉じられたときになってはじめて自分が理解していなかったことに気づく。
いくつかある短編のすべて最後にはぐらかされてしまった。

ずっとお互い好きだと思っていた(つもりだった)女子に告白したら振られたような、悲しい気持ち。

付記:個人的には「母のいる島」が一番面白かった。

【本】【漫画】『うしおととら(全33+外伝)』藤田和日郎

一年前に初めて読んだとき、主人公が槍から手を離したら「とら」に食べられてしまうという設定に引っかかってしまい、どうしても読み進めることができなかった。
寝ている時もずっと槍を握っているということ? 
学校の授業中も握ったままっておかしいし、乗り物には持ち込めないだろ……
おなじ少年漫画の『DEATH NOTE』なら主人公が他人にノートを見られることに神経質になるがあまり、部屋のドアにシャーペンの芯を差してまで人の出入りを警戒するのに、よりによってずっと槍を持ったままって……それはない!

そんなこんなで放り出して一年、一五年年末にもう一度挑戦してみる。
読み進めるうちに、リアリティラインを低くすることで物語るやりかただということに気づく。
(子供の頃ならもっと素直に入り込めたのかもしれない)
おおまかな物語の設定や展開をこの範囲のどれかにするかというあたりぐらいはつけているのだろうけれども、おそらく最初から細かく設定しているとは思えない。
しかし、物語のアバウトさが隙間を埋める広さ(懐の広さ)になっている。
後半の怒涛の展開で物語の伏線が埋まっていくさまはテトリスで棒が次々と突き刺さっていくがごとく、このリアリティラインの低さが実に生かされている。
伏線を最終話までにちゃんと回収する、読者に誠実な作家の姿勢。

前回読んだときは絵に対してもリアリティラインの低さにも拒否反応を感じて入り込めなかったのだけれども、今回絵に関しても考え方を大幅に改めることになった。
「とら」がアバウトな造形だからこそ、想像の部分が広がるのだ。
この漫画は物語と絵のこだわりが正確に比例している……という好例で、絵に幅をもたせているから、(槍に巻かれている布や書かれている文字など)いろんな要素を後から入れることができる。
最初から設定をきっちりし過ぎると物語が進むにつれ、違和感が生じたりそれがしばりになったりする。

絵と物語のアバウト……逆に最初から変わらず強いものはなにか?
キャラクターだ。
つまりは、キャラクターから絵と物語を逆算して作るという少年漫画の王道に(小手先のテクニックに頼らることなく)この漫画がまっすぐだということ。

【本】『エスケヱプ・スピヰド』九岡望

非常に達者な印象。
ガジェットもキャラクターも申し分がない。物語も破綻がない。
こういうSF設定のラノベが好きな読者にドンピシャ、おそらく僕も小中高生時代に読んでいたらはまっていただろう。

そのぶんあまりに予定調和が過ぎて驚くような展開はない。
FF8のような、既存する概念の延長線上でこういうものとして(ツボは押さえているけれども)
そのままのものを作ったような感じだ。
しかしまだ作者のラノベ一作目、これ以降から深みのある世界観や強い作家性が生じていくのかもしれない、
しばらくは続編を追って読んでいくつもり。

【本】【漫画】『へうげもの(1~8)文庫』山田芳裕

弱肉強食度が有史以来もっとも高い戦国時代において、強さでない、価値観を別に求める強さという、価値転換に素直に感心。
連載開始直後に二巻まで買ってからは中断していたので、もっと早く読めばよかったと後悔する。
ラスト、まだ物語の途中なのにブツッと切れるように終わる。
いわゆる漫画の終わらせ方という既成概念にとらわれない衝撃的なラストに茫然とする。
しかし後で調べてみると、文庫本が出た段階では全八巻と書いていたのだが、連載はまだそれと関係なく続いているみたいで全然完結していなかった……
前衛的な表現を駆使するから、ラストもそういう感じで終わらせたのかと思った!

【本】『ニルヤの島』 柴田勝家

年末から読み始めたのだが、どうも設定や物語が飲み込みづらく、頭に入らず四苦八苦。
敷居の高さに挫けそうになるが、何度も途中から読みかえし理解しようと努力する。
五日ほどかけてやっと読了したけれども、結局、意味がわからない。
物語以前に、根底にある世界観、価値観、哲学のようなものが僕が普段見聞きしていることと共通項が少なく、とっかかりを見いだせなかった。
理解するためもう一度読み返すことも考えたが、とりあえず今の僕の読解力では歯が立たないことを素直に認め、また何年後かに再挑戦する……ことにする。

【本】『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク

ファーストコンタクトテーマに、(ニーチェ的な)人間から直線的に延びる超人思想が絡んでくるのはクラーク氏の個性なのだろう。

同じ地球に住む人類同士ですら場所や時代が違えば理解し難い断絶ができるし、まして昆虫や植物など違う生物種でコミュニケーションできるかどうかはさだかですら無いのに、はるか隔絶した文明を持ち進化の先にいる異星人オーヴァーロードが、人類と価値観を共通していることに驚く。

いかにも欧米文化圏に住む人の発想らしい。

未来について「国が消滅して」「英語を話さない人はいなくなった」という描写にも強烈な違和感。
人間には、他者から独立したい←→他者に取り込まれたい(所属したい)、という相反する本能があって、どんな未来になってもどちらか完全に寄ることはなくその中間を揺らぐだけ。
将来、国の垣根がなくなっても、民族や文化のアイデンティティが強まり、方言や言語が完全に消滅することはない。
そもそも翻訳機が発達すれば、英語を話すことができないハンデもなくなるだろう。

欧米の、人間的な価値観が、宇宙や未来にまで及ぶと思っていた頃の懐かしい寓話。

【本】『暴露:スノーデンが私に託したファイル』グレン・グリーンウォルド

米国家安全保障局(NSA)によるサイバースパイ行為を暴露したスノーデン氏。
年収二〇〇万ドルの仕事を投げ打ちアメリカを捨ててまで何故こういう行為をしたのか、彼の動機がはっきりとわからない。
政府の情報公開問題と戦い続けた著者グレン・グリーンウォルド氏は困惑している。

スノーデン氏は当初、ジョセフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』(リンク)の影響を挙げ、神話に慣れ親しんだ自分が人間として取るべき行為を考えて……と語っていたが、グリーンウォルド氏がそこでもうひと突っ込みすると、実はゲームの影響だと言い出す。
自分の力だけで敵に挑んでいく姿勢、正義感……ゲームが描いている思想のバックグラウンドに共感したとのこと。
もともとスノーデン氏は日本語を学んだり、NSA在籍時に日本で働いていたり、日本文化に傾倒していたらしい。
インターネットやいろんな本を立ち読みしてみると、『鉄拳』など日本のゲームキャラクターに共感したと話しているようだ。

現代的といえば現代的だが……いままでの価値観でスノーデン氏の動機に必死に辻褄を(整合性を)合わせようとしている、グリーンウォルド氏の姿勢が興味深い。

【本】『南シナ海 中国海洋覇権の野望』ロバート・D・カプラン

一九世紀末のカリブ海と、いまの南シナ海の似ているところ/似ていないところ……中国台頭によって変化した南シナ海の状況が、初心者の僕にもわかるようやさしく解説されている。

シンガポール、マレーシアが独裁ゆえに発展したこと。
悪い独裁者の見本だったフィリピンのマルコス政権。
人民を弾圧するが経済は発展させた中国共産党。
独裁からソフトランディングして民主主義に向かった台湾。
南アジアは独裁のいいところとわるいところを比較研究できるような場所のようで、その描写の中から著者の「西洋の民主主義信仰」への懐疑が散見できる。

あとがきでも触れられていたが、日本に対する興味の無さか、日本に対する記述が少なく、あっても反日的な(アメリカのリベラル派の典型的な主張を鵜呑み)記述になっているところが気になる。

シンガポールの独裁者リー・クアンユーの自伝を読んでみようと思う。

【本】『昭和少年SF大図鑑』堀江あき子

もう昭和から二六年過ぎ一回転、こういう世界が逆に新鮮になってきた。
この数年、レトロフューチャーな憧れが高まるばかり。

ここに掲載されている書籍の表紙は、昭和四〇年台から五〇年台の書籍が多い図書館にずっと通っていたせいで、ほぼドンピシャ。
薄皮をぺろりとめくって、自分を形成した核を眺め見るようで、懐かしくすぐったい。
地元に帰ったら久々に図書館に寄って、書庫から出して読ませてもらおうかな。

この書籍に関してはフルカラーだったらもっとよかった。
電子書籍でフルカラーで大きな画像を見ることができたらもっとさらによいのに。

【本】『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック

足掛け一〇日、一五時間以上かけて読了。
段落もなく、四〇〇ページぶっ通しの文章を読むことはかなり困難だった。
一冊の本では僕の人生の中で最も時間がかかった部類に入る。

地図帳を買ってきて横に開き地名を確認しながら風景を思い浮かべて読む。
ただの文字情報なのに、この本と点で接している自分の中に広がる記憶が、実際にあった出来事のように追体験させる。
逆に言うとこの小説に描かれていることも点だが、その奥に膨大な量の人生と世界が広がっているのだ。

僕も、主人公の憧れのニールのような友達がいたことを思い出す。
高校卒業後の彼との二人旅、どれだけ楽しかったことか。
旅の途中、僕に対する彼の態度が悪くなったときは、自分の不完全さ足りなさを呪った。
それから徐々に自分の憧れが幻想だということを気づいていくわけだが、それが決定的になったのは二〇〇八年末、東京に訪ねてきた彼に会ったとき。
何のときめきも感じなかった。
おそらく彼の中に自分の可能性を託していたからで、それが消えたということは、そのとき、三六歳にして僕の青春が終わったということだったのかもしれない。

【本】『失われた宇宙の旅2001』アーサー・C・クラーク

『2001年宇宙の旅』の映画に合わせて作られたノベライズ版の様々な段階をつなぎあわせ、クラーク氏とキューブリック氏の思考の過程をみることができる書籍。

『2001年宇宙の旅』は映画としてはほぼ究極形の傑作だと思うが、小説版(物語として)は映画のバックグラウンドとしては興味深いけれども、歴史に残る傑作かどうかは疑問。
『幼年期の終わり』ほど思索の広がりがあるとは思えない。

しかし『2001年宇宙の旅』ラストのシークエンス、スターゲートを越えた以降の、この書籍に収録されているいくつかのバージョン、映画で描かれることのなかった一連のイメージが素晴らしい。
その片鱗だけで凡百のSF作品を蹴散らすほど。
クラーク氏の小説家として突出している部分である、その途方もない視覚イメージ力が、『2001年宇宙の旅』とその後のシリーズに縛られてしまい、浪費させられた。
クラーク氏のこの労力を小説に向けることができたら、他のたくさんの傑作が生まれたかもしれなかったのに……複雑な思いを抱く。

【本】『中国嫁日記(1~2)』井上純一

エッセイ漫画だが、映画『ブッシュマン(コイサンマン)』のように、文明の衝突を描いたもの。

こういうことがある、という事象としては興味深いが、純粋に漫画としてはどう捉えたらいいのかわからない。
実際にこれがほんとうのことであったとしても、フィクションとして読んだら
「そんな都合いいことあるか!」
途端に漫画としてなりたたなくなってしまうかもしれない。
単行本の中でも嫁本人のコメントや写真をどこかしこに出すことによって、リアリティを担保しているのだ。

しかし萌え/キャラクター漫画として魅力あることもたしかで、考えてみれば小林よしのり『ゴーマニズム宣言』もこういうものだ。
そもそも純粋な漫画の魅力を僕は狭く捉えすぎているのかもしれない。
漫画の背景画を手描きにせず、写真・3Dデータを処理加工しただけで、
「漫画本来のよさがなくなっていく!」
と言い出すような老害にならないよう、自戒の意味を込め読み続けていこうと思う。

【本】『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット

大学院在籍時(二五歳前後)以来の再読。

途方もないスケールのナンセンスSF。
半村良『妖星伝』のアメリカ版のような。
『妖星伝』はもがきながら生きる市井の人々に日本的な(仏教的な)優しさが向けられているように感じられたが、『タイタンの妖女』は(神からの天罰に対する恐怖のある)キリスト教的価値観がバックグラウンドにあるためかもっと容赦ない筆致だ。

運命と自由意志についての物語。
主人公のとっている行動が実は自由意志でなくコントロールされたもので、舞台が変わるたびさらに外側へマトリーショカのごとく、入れ子構造で主人公を操る存在が現れる。

僕も自分の意志だと思っているほとんどのことは、外側の何かによってコントロールされていると思う。
それは主に食欲と睡眠欲と性欲で、あとは高次元のはざまから僕を見守ってくださっている大暗黒陰神様に違いない。