こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。

【本】『What’s Michael?(1~6)』小林まこと

何と! 思っていたのと違い「マイケル」という名前だけ共通した猫のオムニバス漫画だった。実験的!

マイケルという名前のペットと飼い主の交流譚、あるいは『我輩は猫である』のような猫一人称視点の物語かと思い読み始めたら、いきなり第一話で猫のマイケルが死亡。
第二話、何事もなかったように同じトラ柄同じ名前のマイケルという猫が登場……そういうオムニバス漫画だった! 思いがけずハイブローな物語の枠組みに仰天する。
基本的に大きな物語はない、スケッチのような物語の漫画なのに背景がちゃんと描き込まれていて、流麗なデッサンで人物が実によく動き、そのギャップがギャグ漫画として面白い。
マイケルが踊ることだけは事前知識で知っていて、猫嫌いの僕からすればもっとむかつくかと思っていたが、意外と演出で、漫画のキャラ付けとしてじゅうぶん自然に成り立っている。

猫嫌いで敬遠していたけれども面白かった!

何でも読んでみるもんやねんな!

【本】『 奇才ヘンリー・シュガーの物語』ロアルド・ダール

数年前、異色作家短編集の『キス・キス 』を読み、なんとも言いがたい読後感に興味を持ち、続けて『あなたに似た人』を読んだ。
どちらも印象に残ったのに、見事なまでに具体的な物語についての記憶が欠落している。
言語化できない感覚だけ残っている。

この短篇集からも……特に『ヒッチハイカー』と表題作の『 奇才ヘンリー・シュガーの物語』を読んでいるとその不思議な感覚が蘇ってくる。
本を閉じた後、読んだ内容を咀嚼するために宙を見つめるが、どうも消化しにくくストレートに言葉で表現できないもやもやとした感情が僕の中で渦巻いている。
奇妙な味、そのものの作家。

【本】『 太陽・惑星』上田岳弘

『ニルヤの島』同様去年末からSF界隈で話題になっていたので読んでみる。
なるほど『ニルヤの島』と似ているところもある。
物語を時系列順に描かず、シャッフルしながら絵を構成するように並べていく。

絵画と違って小説は一度に情報を出すことが出来ないので、時系列がバラバラの情報を線条的に読み取っていかざるを得ない。
頭のなかで再構成しなければならないから厄介だ。

二つの短編が収録されているが「太陽」と「惑星」に直接的な関連はない。
二編とも、物語の最初から最後まで把握している神の視点の誰かが時系列をシャッフルされた状態で提示される。
カート・ヴォネガットと語り口が似ているかもしれない。
「太陽」は叙述そのものにギミックはない。
神の視点である作者が、連想ゲームのように環状に情報をつなぎバランスをとりながらラストまでに読者に伝えなければならない情報を伝達する。
「惑星」は時間軸がバラバラであることにSF的ギミックがあり、それ自体がラストに繋がる。
表現は似ているが方法論は違う、逆に言えば方法論は違うが表現は似ている。
どちらかといえば著者の上田氏の中では表現が先にあって方法論が後のような印象。

内容自体は極めて僕が好きなタイプの小説。
個人的な内面のことと究極の外の世界がアクロバティックなアイデアで結び付けられる。
いわゆるSF小説ではないが、SF的な物の考え方で書かれた小説だ。
SFはもうジャンルでなく、物の考え方になっていることを実感する。

最近、好きなSFなのに理解することができず悲しい思いをすることが多い。
ハヤカワSFコンテストに入選した『ニルヤの島』が理解できなかっただけに、この本は素直に面白く感じることができ嬉しかった。

【本】『地政学の逆襲』ロバート・D・カプラン

昨年末読んだ『南シナ海 中国海洋覇権の野望』の著者が書いた本。
地政学の歴史と現在の世界における地政学的なものの見方の概観。
昔から興味のあった学問で意味のわからない部分はないけれども、はじめて読む概念があったりして覚えたり考えたりしながら読んでいると思いのほか時間がかかる。
毎日少しずつ」合計五時間前後、期間は足掛け一〇日ほど。

気になるのは(解説にも書いてあったが)驚くほど日本に関する記述が少ない点。
イランやトルコ、ギリシアにすらそれなりの章を割いているのに、日本に関しては「ファシスト日本」など定型化した表現でさらっと書いているのみ。
アメリカのリベラル一般はこんなものなのだろうか。

いま中国の海洋進出を防ぐという意味で、地政学的に一番重要な場所は台湾だという。
たしかにそのとおりだが、それは日本が対中国で踏ん張っている前提もあるだろう。
日本が中国よりの国になったら台湾どころの話ではない。
そもそも第二次世界大戦以前の状況を経ての今があるわけで、イランやトルコ、ギリシアより日本が地政学的に軽いとはけっして思えないのだけれども。

日本はアメリカに従順すぎるからなめられているのかもしれない。
主張すべきことは主張しないと……

【本】【漫画】『もっと!  スリム美人の生活習慣を真似したら リバウンドしないでさらに5キロ痩せました』 わたなべぽん

半年前に前作を読んだ。
そのときは人生何度目かのデブピークからの本格的なダイエット一年半目だった。
そのおかげかどうかわからないけれども、その後五キロ落とすことに成功した。
(年末年始にモチを浴びるように飲んだのでまたリバウンドしてしまったが……)

絵がすごく達者。
この手のエッセイ漫画描いている人の中では一番達者。

巷では様々なダイエット法があふれているが、ダイエットなんてあきらかに間違っていることをやらないかぎりどんな方法であってもある程度は成功するもの。
問題はそのダイエットを続けられるかどうかだ。
太っている人はそんな生活を続けているから太っているので、ダイエットで体重を落としても元の生活に戻れば体重はまた元通りになる。
ダイエットは一生は続く。
それをダイエットと考えるから辛いので、スリム美人を目指す生活をしましょう、というのが本書。
スリム美人というの象徴を作ることによってダイエットを中心とした生活のレベルを引き上げる……
どういうダイエット法をやるかということに焦点をおいていない、まさにメタなダイエット論。

ダイエットに対してスリム美人を持ってくるコンセプトで成功した本だが、これは他のことでも成り立つのだ。
勉強や、仕事や、趣味……それぞれのスリム美人に該当する何かを見つけて、自分にないところ、その相手にあるところを比較すればいいのだ。
その実例をその観察できることこそわたなべ氏のスキルだけれども。

【本】【漫画】『さくらの園 (1)』ふみふみこ

ウェブで試し読みしたら思いのほか面白かったので一巻を手に入れてみる。

絵がいかにもデジタルで描かれたという感じで決して丁寧ではない。
しかしこの描き飛ばし感が、読み進めるうえで不利に働かない。
紙で描いた絵はそれなりの重さがあって、逆にそれが読み応えにつながるのだが、この漫画にはそれがない。
ひっかからないのだ。
構図の視線誘導に優れ、一枚一枚の絵でなく全体で見ることができる。

紙で読むと若干の違和感があるが、ディスプレイ上の読みやすさに優れている、新世代の漫画の描き方。

キャラ絵の萌ポイントもちゃんとおさえられている。
逆に言うと、他の部分は極力排除されている。
絵とストーリーが比例していて、物語もキャクターの周辺以外はほぼ描かれることがない。
ポイントを絞ることによって象徴的な効果を上げているのだ。
思春期ならではの心の動き……不安定さ、周囲の見えなさ、好奇心などが、SF的設定とシンクロして稀有な作品に昇華されている。

続刊が待ち遠しい。

【本】【漫画】『ゆゆ式 (1~2)』三上小又

学生時代はよく四コマ読んでいたものだが、上京して漫画を描くようになってあまり読まなくなった。
そういえば『あずまんが大王』の明確なオチのない四コマに驚いたものだが、その『あずまんが大王』すらもう一五年前。
『ゆゆ式』は『あずまんが大王』にかろうじて残っていた起承転結が消えて、四コマというフォーマットがコマ割なだけで途切れがないただのリズムになっている!
ずいぶん四コマも遠いところにきたのだな……自分が知らないあいだ過ぎた時間に思いを馳せる。

【本】『おもひでぽろぽろ』 岡本蛍(作) 刀根夕子(画)

最近アニメ監督の高畑勲氏に興味が出てきて、『おもいでぽろぽろ』の原作をどんな風にアレンジしているのか確認するために読んでみる。
映画では一七年前の自分を振り返っていてそれがノスタルジックな雰囲気に満ちていたのだが、それからさらに二〇年以上経過!
僕が原作映画を観たのは学生時代(一九九一年前後)。
原作で描かれていた一九六六年の世界からはもう五〇年!

不思議なのは自分にとって二〇年前がさほど昔に感じないことだ。
でも、九一年の学生時代から二〇年前は僕が生まれた頃で、すごく昔だったように思える。
自分が過ごしてきたから、二〇年が連続性を持っているからだろう。
だってよく考えてみると、一九九一年はネットもない、携帯電話も普及していない、『ドラゴンボール』でセルと戦っている頃、手塚治虫氏が二年前に死んだばかり。
いま二〇歳前後の人からすれば、大昔だ。

本書を読んでいて思春期の頃の甘酸っぱい香りに浸っている。
こんな感情ずっと忘れていた……と思いながらもところどころに強い既視感がある。
忘却していた映画の記憶が原作を読むことによってよみがえり、自分の体験と混然となっている。

そういえば僕も三〇前後の頃、自分が高校時代の体験談漫画『性的人間』を描いていた。
この作者と同じだ。
そういうものなのかもしれない。

そういえば単行本に収録されなかったが僕の描いた漫画『性的人間』には『おもいでぽろぽろ』というタイトルの話があった。

【本】【漫画】『土星マンション(1~3)』岩岡ヒサエ

宇宙エレベーターに興味があったので、それに隣接する設定の物語らしいこの本を手に入れて読んでみる。
ところが何と……冒頭の扉絵で見せている土星のリング状に地球の周囲に浮かぶ都市……というところ以外はセンス・オブ・ワンダーが一切なかった!

人情話として一筋縄でいかず素直に着地しないところが、今っぽい。

【本】【漫画】『キヌ六(全2)』野村亮馬

ネットで紹介記事を読んで面白そうだったので読んでみる。
僕が好きそうな絵と設定だったのだが、読んでみたら実際その通りだった。

設定やテンポは少年漫画的なのに、それ以外の要素があまり一般的でない。
バトルでどんどん身体が崩れていく。
容赦のないアクション描写、肉体感感覚の徹底的な希薄さ。
絵のダークさ未成熟さを含め、そのアンバランスさがまぎれもない個性。

自分の好きなことを漫画にしているように見える。
この自由さがうらやましい。

【本】【漫画】『三文未来の家庭訪問』庄司創

面白そうなタイトルと表紙の絵に惹かれて手に取ってみる。
冒頭から興味深そうな設定と物語、引きこまれて読んでいると途中から頭に入りづらくなってくる。
あれ、面白かったのに……後半に近づくにつれどんどん観念的になって、僕の中で一般化できない事象が増えてくる。
ある領域から先は完全に感情移入できない領域に入ってしまう。
作者の責任でなく、こういう現在から生まれるものを理解できない僕が悪いのだ。

最近、自分が好きだったSF小説も漫画も意味がわからないものが増えてきた。
学生時代あれだけ熱心に読んでいて、特に好き嫌いもなくどの作家の作品も読んできたのに。
好きなSFから、漫画から心が遠ざかっていく。
年齢のせい? 
勉強不足? 
それともひとつのジャンルが恐ろしく多様化したから??

それにしても真夏の沖縄の海に飛び込んだら、いつのまにか氷山の浮かぶ北海に浮かんでいたような気持ちだ。

【本】【漫画】『機械仕掛けの愛(1~2)』業田良家

業田良家氏は高校ぐらいから青年誌の四コマを読んでそれなりに追いかけてきたつもり。
ギャグともシリアスともとれない混じりあった作風だったが、最近は分離する傾向にあるようだ。

『機械仕掛けの愛』は同作者のシリアス志向の方向性である『空気人形』の延長線上にある。
寓話的だったリアリティラインがSF寄りになっている。
アイザック・アシモフ『われはロボット』が、二一世紀になって日本人のギャグ漫画家の手によってリブート(再起動)されるのを見る……不思議な気分。
フレドリック・ブラウン氏や藤子・F・不二雄氏を彷彿とさせるストレートなショートショート。

15年01月28日先日読んだ『ショートショートの世界』で絶滅寸前だったショートショートが、ここによみがえっていた!

個人的には『家族増員法』『罪と罰の匣』が好き。

【本】【漫画】『羊の木(全5)』山上たつひこ(作) いがらしみきお(画)

僕は山上たつひこ氏のドンピシャ世代ではない。
ちょっと後の鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』が小学生時代一番はまったギャグ漫画なのだが、それさえ僕が読んでいた頃は連載が終わって数年が経っていた。
リアルタイムに読んでいた頃の山上たつひこ氏作品で僕が一番好きだったのは『ええじゃない課』。
高校以降は『喜劇新思想体系』『鉄筋トミー』『金瓶梅』などをつまみ食いするように読んでいた。
そんな二〇年ぶりの山上たつひこ氏の漫画。
(いがらしみきお氏は去年『ぼのぼの』と『I【アイ】』を読んだ)

登場人物が多いけれども混乱しないように工夫がされていて非常に読みやすい。
とある地方都市に元犯罪者たちが集まる。
その街で連続殺人が起こる。
過去と現実の軋轢から、貴志祐介氏の『悪の教典』『クリムゾンの迷宮』のような心理的なサスペンスに向かうかと思っていたらそうでもない。
謎解き的な展開はそれほど重要じゃないようで、いくつか謎を残したまま一応の終わり。
一筋縄でいかないのが山上たつひこ氏らしい。

【本】『エスケヱプ・スピヰド(3)』九岡望

三時間半かけて読了。
この厚さぐらいのラノベ(三五〇ページ前後)なら一〜二時間で読みきることができるのに、通常の倍以上かかってしまう。

時間がかかった理由は、難解さのためでなくアクション描写が多いため。
その描写は下手ではなくむしろ非常に達者なのだが、これはもう小説という媒体の問題。
漫画や映画なら映像を観てダイレクトに理解できるのだが、小説の場合は文章を読んでからいったん頭のなかで映像にしなければならないのでそのぶんだけ時間がかかる。
ここまでよくできていると、逆に文章で読む不自由さというか絵がないことに物足りなさを感じる。

媒体がラノベというだけで、少年漫画の基本を完璧に踏襲している。
キャラクターは相変わらず類型的(ベタ)だが、ベタもここまで極めれば芸。

【本】『ショートショートの世界』高井信

ショートショートは中学生の頃むさぼるように読んでいた。
大人小説の読み始めとリンクしていた。
筒井康隆氏、都筑道夫氏、小松左京氏、星新一氏、豊田有恒氏……「ショートショート」と銘打たれた本はかたっぱしから読んでいたように思う。
高校、大学と経るにしたがって、自分の好みが長編志向になっていき物足りなくなくなり読まなくなっていった。
しかし、ショートショートは自分の原型を構成するもののひとつであることにはかわりはない。
もちろんこの著者の高井信氏の著書も読んでいた。

高井氏の言う八〇年代半ば以降のショートショート冬の時代と自分が読まなくなった頃がリンクしている。
確かにショートショートは時代に求められていたものと逆行していたのかもしれない。
長編志向が強くなった漫画、映画より長編ドラマが作られる時代、読み手からしても当たり外れのある短編を読むより連続性のある(前提がわかっている)長編のほうがわかっているだけ楽だ。

しかしさらに現代、それと逆にショートショートも広がる余地があると僕は考える。
スマホで、タブレットで情報を得る時代、長編よりショートショートを読むことの方が生活スタイルに合っているのではないか。
電車で移動中しながら軽食を取りながらトイレで一服しながら、軽くショートショートを読む時代が来るかもしれない。

今年中とはいかないが、ショートショートはいつか系統立てて読むつもりなので、そのときのためのガイドブックとして本棚に仕舞っておくことにする。

【本】『あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生』佐々木敦

メタフィクション、パスティーシュ、パロディのようなものが好きで、筒井康隆氏を始めとして相当読んできたと思う。

パラフィクションは、そのメタフィクションから派生したものらしい。
冒頭で書かれているが、著者自身もパラフィクションという事象を完全に把握しているとは言い切れないようだ。
現在進行中であるところのパラフィクションの萌芽をいち早く取り上げた、ということか。
この本でまだ全貌が明らかになっていないが、パラフィクションはそれまでのメタフィクションと違い、作家だけで完結しない読者を絡めたアプローチのようだ。

ホニョムホニョムがへチョムへチョムのような、コクーンがパージするのはパルスのファルシによってルシにされた……みたいな話だ。

ここで例題として取り上げられているテキストの半分近くはタイトルを僕は聞いたことがなかった。
仕事にかまけて読書できない期間が続き、そもそもメタフィクションの今の環境自体がわからない。
それを知らないとここに書かれていることを理解することは難しい……
勉強不足を恥じて、ここに書かれている本を読んでいこうと思う。