フィリップ・K・ディック『マイノリティ・リポート』のごとく、ウイグル自治区ではAIの予言による犯罪(テロ)取締りが行われている。
AIが事前に予測した人物を問答無用で収容施設に放り込み、再教育(という名の洗脳)を施す。
拷問は当たり前、家族を人質にして行動をコントロールする。
もちろん現代の科学力ではAIは不完全なものなのだが、それが故にどんな行動が危険とみなされるかわからないそれ自体が縛りになって、ウイグル人は中国政府の不条理な取り締まりに従順に従わざるを得ない。
街角はもちろん自宅にも複数の隠しカメラを政府に設置され、政府から派遣された監視員と一緒に住むことになる……
そもそもウイグル自治区で中国政府が使用しているテロ対策のシステムは、911事件の後、対テロ戦争で手を組んでいたときアメリカからノウハウを学んだものなのだ……
「こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ
【本】辻村 深月『映画ドラえもん のび太の月面探査記』
【本】ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』
【本】矢樹純『マザー・マーダー』
今年初めて読んだ文字の本。正月から人殺しの本を読んでいる。
ワン・シッティング(一度座って読みはじめて最後まで集中力が途切れることなく席を立たず読む)で読み終えることが出来た。
面白かった!
けれどプロットが複雑で一読めでは物語の構造を完全に理解することができなかったので、もう一度読み直してみる。
(01月03日)
一度目の読書、完全に理解したとは言い難かったので、二度目は詳細にメモしながら読む。
プロット密度が通常の物語の倍。
けれど文章は読みやすく工夫されているのでうどんみたくツルツル読みすすめることができる。
ただし読みやすさで伏線をスルーしていると、突然作者の罠にかかってしまって飛び上がってしまう。
一度目はわからなかったけれど、メモを確認しながら読むと、ラストの物語が収束に向かっていく過程で今までの登場人物が再登場していたことに気づく。
熟読していればわかったであろうことで、複雑でなくちゃんとオチていた……反省。
(01月06日)
【本】伊吹有喜『犬がいた季節』
【本】マーサ・ウェルズ『マーダーボット・ダイアリー (上下)』
【本】エラン・マスタイ『時空のゆりかご』
読書猿『アイデア大全』
【本】町田そのこ『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』
【本】小松左京『継ぐのは誰か?』
【本】苫米地 英人『自伝ドクター苫米地 脳の履歴書 』
【本】カート ヴォネガット『カート・ヴォネガット全短篇 2 バーンハウス効果に関する報告書』
【本】カート ヴォネガット『カート・ヴォネガット全短篇 1 バターより銃』
戦争についての短編中心に編まれている。
作家は自分が「知っていることを書く」べきである……という信条でヴォネガット氏は書いているとのこと。
戦争ものにもかかわらず華々しい活劇はなく、ヴォネガット氏自身が体験した要素がどこかしこに入っている。
すなわちいつも腹をすかせ、捕虜収容所にはこす狡く監視係に取り入る兵がいて、味方であるはずの連合国軍から爆撃を受け絶望し、ドイツが逃げた後は市民から略奪し、ソ連兵が近づいてくると同じ連合国なのに怯える……全てこのバリエーション。
そういえば、硫黄島で戦った日本兵とアメリカ兵が数十年ぶりに出会うドキュメンタリーをしばらく前に観たのだが、同じアメリカ兵でも「日本人にどんな顔をして会えばいいのかわからない」という人もいれば「生意気なことを言ってきたらまたコテンパンにやってやればいいさ」といまだイケイケの人もいて、同じ戦場でも感受性によって随分差があるんだなと。
【本】三方 行成『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』
【本】かんべむさし『38万人の仰天』
左遷されたサラリーマンが新天地の大阪で一発逆転を賭けたイベントを企画する話。
いい言い方をすれば(?)池井戸潤のドラマみたいだ。
SF要素は付け足し程度。
SF以外の、八〇年代の大阪の住まいやオフィスの風俗的な描写が興味深い。
四〇年前ってこんなふうに話していたっけ?
明石家さんまやダウンタウン以降、みんな過剰にお笑いっぽく話すようになった一方、角が取れた部分もあり、登場人物たちがうちの両親と同世代にしてはもう少し上の世代みたいな話し方するな〜と大阪出身者は感じる。
大阪マスコミの作中のドメスチックな雰囲気については、僕は会社勤めの経験はないけれどマスコミ業界に出入りすることも多かったので、比較的わかるところもあるけれど違和感もあり、それが今と四〇年前の差なのか東京と大阪の差なのかはわからない。
物語的には淡白。
仕掛けがあるわけでも大きなどんでん返しもない。
四〇年前の男女ってこんなにうぶだったのか?
【本】かんべむさし『宇宙の坊っちゃん』
もう四〇年前に出版されたのか……
僕が以前読んだのはたぶん一九八五年前後。
三五年近く前読んだのに、全てのストーリーと筋を覚えていて、表題作は登場人物の名前まで覚えていた。
正確に言うと、手に取るまでどんな内容の短編が入っているのか忘れていたけれど、手にとってパラパラめくったら脳内映写機に投影されるように内容が浮かんできた。
漫画か映画で観たような感じで映像化された記憶だった。
逆に、最近の自分記憶のぼんやりぶりにショック!
当時(中学生)はこういう短編は何でも大好物で、バクバク食べていた。
今でもこういうのが好きという記憶の残滓が残っているからSFを手に取るんだと思う。
いつのまにかこれを書いていた当時のかんべむさし氏の年齢まで越えてしまった。
当時読んだ自分がこう感じて、今回こうだった……という感じ方の比較が楽しかったのだが、初読でここまで楽しむことができたかどうかはわからない。