こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな映画を観た!

【映画】『300』

やっぱりアメリカって
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
と本気で思っているのかもしれない。
この映画で正しい決断、行動をしているとされるスパルタ王は見事なまでの筋肉で鎧もつけず裸で戦い、正義=健全なる精神=健全な肉体を体現している。
生まれたときにスパルタの選別から落とされた醜いせむし男(健全でない身体)は祖国を裏切り(健全でない精神)、ペルシア王のもとへ。
西洋を侵略しようとする(健全でない精神)ペルシアは、オカマ風のペルシア王(健全でない身体)が身障者(健全でない身体)を周囲に侍らせてハーレムを作っている。
王妃を裏切ろうとしたスパルタ評議会のメンバーはスパルタ王のようにマッチョでない(健全でない身体)から、健全なる精神を持っていないということだろうか。

この世界観なら僕は一番に殺されるだろうな。

【映画】『未知との遭遇』

今どき初めて鑑賞。なかなかに新鮮だった。
宇宙人の意図がわからない。恒星間飛行する科学力を持った宇宙人がどうして民家の窓や床板や煙突から入ってきて子供をさらおうとするのか。
宇宙人の電波に影響されてデビルズタワーに集まってくる人たちもよくわからない。音階で緯度経度を教えているのなら、どうしてこのうえ間違って解釈する可能性のある映像を宇宙人は配信してしまうのか。主人公含め受信者は周囲との関係に破綻をきたしてしまう。いい迷惑だ。
そして最後に宇宙船から出てきた、行って帰ってきた人達が地球に住む我々と大きな変化がない。普通の格好で着の身着のままでダラダラ歩いてくる。じゃあ何のため連れて行ったんだ。
全くもって宇宙人の意図がよくわからない。

【映画】『300~帝国の進撃~』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

『300』の続編、『300』と同じ時間軸で進行している出来事をアテネ側から描いたもの。
前作と同じ時間軸の出来事なのに、登場人物の主観によって、時間が行ったり来たり場所が転々とするので混乱してしまう。

前回の三〇〇対一〇〇万に比べると戦いは底まで切羽詰まっていなくグダグダな印象。
病んでる女性悪役が新鮮、対して主人公のキャラが薄い。

エンドロールのアニメのほうが本編より格好よかった。

【映画】『パイオニア』

宇宙空間のような深海の映像から映画が始まる。
昨今の宇宙ブームにも乗っかっているうえ、宇宙に比べ低予算で製作できるし、うまいところに目をつけたものだと思う。
ところが中盤から舞台は地上に移り、クライム・サスペンス風になる。
アクション要素が入って船は爆発、主人公は高圧力の拷問を受け、最初と全然違うけどサービス精神もあるしこれはこれで……と思っていると、実話をもとに作られている映画なのでラストはカタルシスのある展開にならず、落ち着くところに落ち着く。
煮え切らず物足りない。全てが中途半端な印象

【映画】『三重スパイ』

フランスに亡命したロシア帝政の元軍人とその妻……の会話劇。
フランスで有名な事件なのだろうか、実話をヒントにして製作者の解釈を交え作られているらしい。 
登場人物の政治的立場がよくわからないので、何が起こっているか把握できない。
誰が三重スパイなのかわからないまま観ている。
説明を絵でなく会話で行ううえ、その会話が退屈なので眠くて仕方がない。
最後に、ああこの人が三重スパイなのか〜とわかるが、何と何と何の三重だったかまではわからなかった。

【映画】『ブレイブハート』

先日見た『300 〈スリーハンドレッド〉』と比べて、歩兵のレベルの低さよ。ギリシア時代の盾があれだけ堅牢なのに、スコットランド人は木の鍋の蓋みたいなものを盾に使って矢がブスブス刺さっている。中世って本当ダサイ。
牧歌的な雰囲気が残虐な戦闘シーンに一転、また牧歌的な雰囲気に……その繰り返しがメリハリ効いていて三時間近くあるのに飽きさせない。
残虐シーンの一番どぎつい部分は映さないようにしているところがいかにもハリウッド仕様。
裏切りから希望そしてまた裏切り。
最後の処刑場。自分たちを救うはずだったが失敗した主人公に対して群衆の石つぶて。鬼の首をとったように野々村議員、小保方晴子氏、佐村河内守氏を叩きまくる人たちと同じ。(倫理的に)自分が立場が上だからと容赦なく相手を叩いていたら、韓国が日本を叩く心情と同じだ。
……などとりとめなく連想しながら観ていたが、(史実的な正しさはともかく)この映画単体としては、ハリウッド映画として神話譚として大変勉強になった。

【映画】『エルマー・ガントリー/魅せられた男』

エルマー・ガントリーが売春婦にハメられ、スキャンダル写真が新聞に掲載された後の、大衆の手のひら返しがすごい。
仮にもキリスト教国家だから、
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
とイエスが言ったエピソードを知らぬはずがないのに、どんだけ居丈高で責めるんだ。
TwitterなどSNSの炎上は、ネット時代特有のものかと思っていたら、そうでもないのな。
そういえばカトリック国イタリアでも、ファシスト党幹部は吊るされ、民衆の晒し者にされているし。
教会を扱った映画なのにかえって、イエス・キリストから百万光年離れた人間を見てしまう皮肉さ。
この映画における最後の希望の光が、宗教を超えたところにあるエルマー・ガントリーの優しさだった、というのが何とも……

【映画】『この空の花 -長岡花火物語』

CGなどパッとみえる画面が、NHKスペシャルの再現ドラマみたいな印象。
フェイクドキュメンタリー風だけど、キャストは知名度の高い俳優使っているからフェイクではないみたい。なのにこの映画のモデルになった人も出てくるからやっぱりドキュメンタリー風?
脈絡なく知名度の高いタレントを演じさせたり、歴史と登場人物の年齢に矛盾があったり、震災のエピソードを唐突に重ねたり……そもそも花火と戦争の論理の飛躍が通常の感覚では理解しがたく、整合性はなくグチャグチャ、やりたい放題。枝葉末節のノイズにイチイチひっかかってしまい僕は本筋に集中できない。いや、そもそも本筋があるのかわからない。
ノイズをモザイクみたいにギッチリ集めて作ったような、部分的な塊には整合性がないけれども、全体を通して観るとよくわからない鵺のような怪物として成り立っているような……

歯痛と痛み止めの副作用で朦朧としていたこともあり、僕の意識はオーバーヒートしてしまった。
でも空襲から花火に至るシーンの鬼気迫る表現には圧倒された。悪い夢を見そうだ。

【映画】『ブラック・スネーク・モーン』

僕はツタヤディスカスで常に二百本前後DVD登録している。観終わった映画DVDを送り返すと、次のものが送られてくるようになっている。
そんなわけで最初に登録した映画DVDを登録したのはもう数年前、こうなってくると自分がどうしてこの映画を観ようと思ったのか理由がわからないものもあらわれる。
この映画もDVDが届いた当初はタイトルとサミュエル・ジャクソンが出演しているところから、『ブラックホーク・ダウン』みたいな社会派アクションを想像していた。
そんなつもりで観始めたらぜんぜん違う展開。ヒロインが性的な衝動で人格が変わること『エクソシスト』のごとく……彼女がいかつい黒人サミュエル・L・ジャクソンに鎖で繋がれるところから、猟奇的な『ソウ(SAW)』みたいな映画かと推測したら、また一転、違う展開に。
主要人物はみな心に傷を持ち、どうすることもできずにもがいている。サミュエル・L・ジャクソンの突飛な行動が波紋を広げ、本人も含めそれぞれの内面に変化が生まれる。
スタイリッシュではないが、ちゃんと段取りを踏んでいる丁寧な作り。思いがけない感動作に、少し戸惑う。

【映画】『少女は自転車に乗って』

ヒロインの前に、立ちはだかる保守的なアラブ社会。イスラムの戒律、王族が支配する身分の固定した国家体制、男女差別。
ヒロインはいろんな束縛が見える人として描かれている。行動に制限をつけられたくない。自転車に乗りたい。顔を隠して歩きたくない。
しかし、母親をはじめ、学校の先生は空気のように束縛(=社会のルール)を受け入れている。強制的な低年齢の結婚、一夫多妻制の女性の扱いの悪さ、女性は家族以外の男性に姿を見られてはならない。遠くからでも男性に見られてはいけない。車を運転してはならない。男性に口答えしてはならない。幼なじみの少年がヒロイン宅に遊びに来て、それを発見した母親が「留守宅に男を入れてると知られたらパパに殺されてしまうわ」
日本からみるといかにもひどい国に見えるが、問題は、そこに住んでいると空気のように気づかないことなのだ。

翻って日本を振り返ると、普段は空気のように気づかないたくさんの束縛がある。同調圧力。友達同士のメールのやりとり。SNS。空気を読んだ発言をしなければならない。身内の責任をとらなければならない。そもそも家族の生活保護受給を何故非難されなければならないのか? 

逆に、僕がイスラム教徒でアラブに住んでいたとして、日本よりメリットのあることってなんだろう。

人は隠されると見たときの興奮がより増すものだから、あれだけ黒い布で隠されていたら、初めて女性のエロ画像、動画を見るときの興奮といったらないだろうな。
これだけ性的なものが氾濫する日本ですらヘアヌード解禁、ネット上でモザイクがない映像を再生したときは衝撃だったのだから。ましてや初めて女性をセックスした日ときたら。なんでも見れるからといっていいわけではない。

そしてこの映画をみている限り、核家族化している日本より家族の結びつきは強そうだ。そしてあの詠唱するようなコーランを読みかた、あれは宗教の一体感を高める役割がありそうで……神、信者そして一族、この世界の一体感。僕らの至福の感覚の比じゃないのだろうか。
せいぜい僕の楽しいことは、一人旅で遠い地のちょっとした人とのふれあいだけ、それに比べたら……

【映画】『アメリカン・ハッスル』

弱みを握られた詐欺師が、FBIに協力して政治家をハメるため筒井康隆『富豪刑事』のような大掛かりなセットの芝居に付き合わされる話。
「本当の愛じゃない」と愛人に罵倒される詐欺師。
しかし、一目惚れも浮気も初恋も本質的な違いはない。恋愛というにはそもそも、根拠のないことに熱病に浮かされたようになることだから。
仏教やキリスト教など教義が体系化されているものも、新興宗教やカルト宗教も、宗教は本質的にイワシの頭を拝むようなものだから、本質的に違いがない。
同じように、FBIが政治家を捕まえるため元々なかった収賄事件をデッチ上げることと、主人公の詐欺行為とどう違うのか。

こんなもやもやする物語なのに、思いの外いい話で終わって驚く。
やっぱり主人公は、主人公である矜持を守らないとならないんだな。

【映画】『オール・ユー・ニード・イズ・キル』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

漫画なら奥浩哉『GANTZ』とか小説なら筒井康隆『しゃっくり』とか三島浩司『ダイナミックフィギュア』とか映画で言えば『恋はデジャ・ブ』とか『ミッション: 8ミニッツ』など既視感のある要素が詰め込まれたアメリカ映画。
限定された空間で繰り返される箱庭的な作りがどことなく日本で作られたものを想起させる。

トムは自分と同じようなリープ能力を持っている女性と出会うが、彼女はリープ能力を失っている。
ここで、リープ能力を失っていることを本人が気づくことができるのか、という疑問が湧いてくる。
感覚的に気づいた……みたいなことも彼女は言うが、そもそもそういう能力を持っていたときも死なないと実感できなかったわけだから、失ったときに気づくことができるっておかしくないですか? 
死んでループしないと気づかないわけだから、ループしなくなったら気づかない。
だから永遠にわからないままなのでは?

あと、宇宙に流れる時間そのものをリセットするわけじゃなくて、選ばれた一人が時間ループを繰り返すわけだから、主人公がループするたびに未来の分岐が増えていくわけだよね。
ということは訓練中、主人公が再起不能のケガ後のヒロインに殺されリセットは、主人公の死体がある状況でヒロインだけが残される未来になるわけで……
主人公がたとえ宇宙人を倒すのに成功したとしても、今まで主人公に協力した誰も助からず、確実に生き残るのは主人公だけ。訓練を繰り返したぶんだけ人類が破滅した未来が増えてしまう。

ドラえもん『のび太の魔界大冒険』で、ドラミちゃんがタイムマシンで助けにくる。
しかしのび太は出来事が起こる前の過去へ逃げることなく、未来が分岐することないようにその現実で踏みとどまって戦う……僕はこれを初めて読んだとき頭がぐんにゃりした。
ジャイ子と結婚する未来を阻止するためにきたドラえもんの存在じたい矛盾になるやんけ、と。

過去を干渉するたび、ふえる未来への分岐。
もしいろんな時間改変もの作品が本当にあるのなら、当の本人が関知することのない、たくさんの不必要な未来を含む平行世界が、不燃ゴミのようにこの宇宙の外にうず高く堆積しているんだろうな。

【映画】『サブウェイ123 激突』

電車の中で乗客のノートパソコンからチャット中の画像がネット上に流されるが、それが何の伏線にもならない。意味が無い。現代にリメイクしたんだから、これは需要な要素だったのではないか?

ハリウッド映画だからこういうハラハラする演出は仕方がないにしても、身代金を持ってくる警察車両があまりにどん臭すぎる。
カーチェイスでもなくただ単に走って運んでいるだけで、タクシーにぶつかり、トラックにぶつかり、回転して高架橋から落ちてトンネルから飛び出してきた車に玉突き衝突。

ラスト、地下鉄の構内から出た犯人をあくまで追いかける主人公の執念が理解できない。
そこまで執着するほどの敵対もなかったではないか。人質とられているわけでもなく、親友を殺されてもいない。
まあハリウッド的なヒロイズムといえばそうだが、ただの鉄道職員なのに、最後は通行人の車を奪って犯人を追跡。しかも犯人は主人公が追わなければ捕まらなかったというわけでもない、普通に前後から警察に囲まれているわけ状態で、本当に主人公が命がけで銃を向ける意味がない。
トニー・スコット監督の、『サブウェイ123 激突』の次回作『アンストッパブル』
http://matsudanozomu.com/?s=『アンストッパブル』
は、似たような電車アクション映画でなおかつ主人公がそこまでやる動機がしっかり描けているので、この映画は予告編のようなものだと思ったほうがいいのかもしれない。
完結編は次の『アンストッパブル』でお楽しみ! という二部構成の映画。

【映画】『セレニティー』

冒頭から何度も入れ子構造のドンデン返しを繰り返す。
タイトルまで入れ子構造ときたもんだ。
面白そうなのに、ちっとも面白くならない不思議。最後まで他人ごとのように画面を観ている。
方向性がはっきりせずモヤモヤとした展開、ラストもハッキリとしたカタルシスがない。

観終わった後で、この映画がドラマの続編だったことを知る。
しかしこの映画がつまらなかったのはおそらくドラマの続編だからではない。
そもそも単独の映画として魅力のないプロットだからだ。

……冒頭は面白くなりそうだったんだけどね。

【映画】『愛と追憶の日々 』

正直、この映画はどう受け取ったらいいのかわからなかった。

本当に浮気したのか確証もないのに大騒ぎして実家へ変える主人公。そのくせ自分も浮気を始める。それも純愛を貫くわけでもなく、耐え忍んだ挙句の本当の愛を見つけたわけでもなく、普通の平凡な浮気。
バスルームで浮気相手と電話していて、入って用を足そうとする子供を邪険に扱うシーンは観ていられない。

主人公の母も何を考えているかわからない。
モテたい女子的な願望と年齢が折り合いをつけることができない、主人公と同じような感情が先に立つ女性の将来を描いている?

ラスト、主人公が唐突に悪性腫瘍で死の床に。しかし今までの流れで、好き勝手にやった因果応報だと思ってしまう。
死ぬ間際に息子を呼んで、
「お母さんのことが好きなのはわかっている」
という上からの物言いにもうんざり。

自分の父親がガンになったとき、見舞いに行ったら今までと変わらない態度と上からの物言いで、
「この人(父親)は最後までこんななのか……」
とうんざりして足が遠のいたことを思い出す。
ま、それも今から二〇年前、普通に父親はガンが完治してピンピンしてるんですけどね。

【映画】『オアシス』

あくまで僕の偏見なのだが……韓国映画は、
「こんなに自分は相手のことを思っているのにどうしてわかってくれないんだ!」
という思いの押し付け、すれ違いを描いていることが多いように思われる。

この映画も、そういう思いの押し付け、すれ違いが物語の主軸だ。
脳性麻痺のヒロインに対する主人公の一方的な思い。いきなり求愛するまでの段取りが性急かつ一方的。何故かヒロインはその気持を受け入れる。

途中で、主人公が兄の身代わりで刑務所に入っていたということがわかってくる。彼を疎ましく思うと同時に何かあるとかばおうとする家族にとって主人公は、自分たちの罪を一身に背負う原罪のような存在。
同じように、家族から隠されるように日当たりの悪いアパートに住まわされているヒロイン。彼女の家族はあきらかに障害を持ったヒロインを恥じている。しかし彼らはヒロインのために用意された障害者用の設備のいいマンションで生活しており、高い水準の生活を維持しているのは彼女のおかげなのだ。
主人公とヒロインは二人とも似たもの同士なのだ。

しかし二人が結ばれようとしたとき、
「こんなに自分は相手のことを思っているのにどうしてわかってくれないんだ!」
今度は、主人公とヒロインに対して周囲の無理解の攻撃にさらされる。
純粋な気持ちを理解できない社会、家族は、障害者をレイプしようとした犯罪者として主人公を扱う。主人公は警察に逮捕される。ヒロインの訴えをちゃんと聞くことなく、家族と警察は調書をレイプとして受理する。
ヒロインは抗議して暴れるが、
「こんなに自分は相手のことを思っているのにどうしてわかってくれないんだ!」
その行為自体も、レイプされて悲しがっている、興奮しているとしか見てくれない。

……このボタンの掛け違いが今日の日韓関係を象徴しているようで興味深い。

【映画】『ピラニア3D』

関係なさそうな事件をきっかけにして、事件が社会に波及していく、その広げ方が抜群にうまい。

水面下に潜むピラニアに気づかない主人公の視点と、主人公の母親である事件をいちばん俯瞰できる立場にいる保安官、主人公と彼女の視点と交互に映していく。

ピラニアに襲われているとわかった後、水辺で若者のパニックがエスカレーションしていく。
ステージのワイヤーが切れて飛び、水着姿の女性がたすき掛けに切断されずれた上半身だけ水中にドボン!
助けようとして向かってきたボートにぶつかって頭がチョーン!
もはやピラニア関係ないやんけ、と笑い転げる。
よくできたスラップスティック。

これだけの阿鼻叫喚もちゃんと一定のルールがあるから混乱しない。
因果応報どおり道徳によろしくないことをした人はより悲惨な最期を、そして主人公の縁遠い人から順番に死んでいく。

【映画】『GODZILLA ゴジラ』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

映画館がほぼ満員、異様な雰囲気。

物語は富士山の麓にある原子力発電所の事故から始まる。
ドライアイスそっくりな放射能が隔離扉に迫ってくるシーンに受ける。放射能って見えないよ!

一転、原発の放射能漏れで隔離された都市。
東北大震災から膨らませたイメージだろうか。
街に植物が繁茂して動物が走り回っている様を見て、
「大丈夫だ」
と防護服のマスクを外す主人公たち。
地面で蠢く巨大ゴキブリが熱帯地方に住んでそうな形のやつなんですが……本当に大丈夫?

ゴジラが登場、あの独特の金属音で咆哮するシーンにしびれる。

街の破壊シーンが格好いい。
日本の描写が東北大震災をイメージしているなら、アメリカは911?
天災のように宣戦布告がなくルールもない容赦無い攻撃にさらされる一般市民。スクリーンのこちら側(観客にとって)はお祭り騒ぎ、震災のときの恐怖と混じった非日常の後ろめたいワクワク感を思い出す。

ラストの攻防は床をドタバタ踏みしめ叫びそうになるぐらい興奮。

エンドロール後、観客席から拍手が起こった。
今まで観たゴジラ映画の中で僕はこれが一番好きかもしれない。グダグダなところも含めて愛らしい。
次回作は是非『パシフィック・リム対ゴジラ』で観てみたい。

【映画】『トランセンデンス』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

自分に関係のない話過ぎて、感情移入のポイントがなかった。
こういうネット監視人工知能もの映画ならエンターテイメントだけど『イーグルアイ』のほうが楽しめる。星新一『声の網』だって面白い。

緊張感が少ない。
テロリストと軍が人工知能と戦うため共闘しているのに、スケールの小さなことと言ったら。
しかも、大量にばら撒かれた人工知能がその辺にいることがわかっているのに、盗聴も気にせず突撃作戦を立てているし。

かゆい所に手が届かない展開。
ナノテクノロジーで人間同士の意識を繋ぐのもよくわからない、個人の自我は残したままネットみたいに並列に繋がっているだけなのか、人工知能が恣意的に繋がった人間の意識をシャットダウンして支配しているのかわからないから、観ていて微妙な感じになる。そこは重要じゃないのか。
ナノロボットを含んだ雨が降っているのに、取り立てて世界に変化がないし。
兵士が街に攻めてきても人工知能にコントロールされた住人は何をするでもなくゆらゆら見ているだけ。最後の最後に攻撃らしいことを始めるが、じゃあ何でそれまでボーっと見ていただけなのか。何この演出。

そもそも人工知能の意思はネット経由で世界中のコンピュータにコピーされていてそれが強みのはずなのに、街の地下に住処であるコンピュータ施設を作ることがよくわからない。何でわざわざ弱点を作るのか。

それでも視覚的に楽しいシーンがあったら、それはさておき面白かった、となるのだけれども……全体的に地味。

【映画】『愛を読むひと』

主人公が成長するに従って、感情移入し難い存在になっていく。

一五歳当時は、あきらかにこちらに好意をもってくれている同級生さえ袖にして、ハンナ(ヒロイン)のもとへ通う主人公だったのに……

裁判所で、ホロコースト事件の被告として座っている彼女を見て動揺する主人公。
戦争犯罪者の彼女と一時期でも関係があったと思われることがいやだったのか、あるいは初恋の熱が冷めて客観的に見たらハンナが老けたおばさんだったせいなのか……自分だけがこの裁判の結果を覆す重要なことがわかっているにも関わらず、自ら動こうとしない。

(ハンナは文盲であることを知られる恥が、沢山の人を殺した罪を背負うことより上回る……屈折した罪の意識のあらわれ?)

たとえいま彼女のことが好きでないとしても過去の自分の思いを大切にするためでも、あるいは法律を学ぶものとして筋が通っていないことを正すためでも、本当は世界中の人を全て敵に回してもほのかに残る彼女への思いを消さないため……でも何でもいいんだけど、自主的な行動はしない。

それでも重い腰を上げ留置所のハンナと面会に行こうとするが、やっぱり途中で逃げだして、法科の同期の女性と身体を重ねる。
しかも性欲だけで、その娘を愛しているわけではなく、セックスした後は、
「夜は一人で寝たいから」
と彼女の部屋から去っていく。

その後、主人公はハンナをずっと放ったらかしていたが、結婚、離婚を経て、ふと思い出したかのように自分が何かをしたというアリバイ作りためか、本を朗読したテープを一方的ハンナに送り続けるようになる。彼女はそれによって字を学び手紙を送ってくるようになるが、彼は決して返事を書かない。

出所直前、彼はハンナのもとを訪ねる。
ハンナの差し出した手を彼が引っ込めることによる拒絶。
……ハンナは言う。
学んだのは字を書くことだけ。
刑務所で、自分の犯した罪については思い出しもしなかった。

しかし、彼の訪問が引き金になったのか、出所の日に彼が送り続けたテープと本の上に足を置きハンナは……

そこで僕のイライラは爆発。
毅然とした彼女の態度の裏にあった思いを主人公は察することができなかった。
言葉通りにしか受け取らなかった。

主人公が積極的な行動を取ることで変えることができる未来もあったのに、傷つけられることが怖いのか傷つくことが怖いのか、彼はずっと消極的な行動と言葉だけ。

僕が好きな少年漫画の主人公からはるか遠い位置にいるこの映画の主人公に、僕は全然感情移入できない。

最後に。
ハンナ(ケイト・ウィンスレット)のワサっとした脇毛にグッとくる。見どころ!

【映画】『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

ドラッグ、セックスは副作用に過ぎなくて、金という幻想が欲望に主人公は溺れている。物を生み出すことによってではなく、金を回すことによって生まれる金。

僕は終始、ドン引き。

劇中の乱痴気パーティーを見てもちっともうらやましくない。
あんなカロリーの高いものを食べていたら太るし、アルコールを飲んだら二日酔いがしんどいし、集団で盛り上がる一体感も僕は興味がないし、売春婦をみんなでシェアする感覚もわからない。

豪邸に住んだら維持が大変、金がかかるし、顔を合せる使用人との煩わしい人間関係が増えるし。
豪華クルーザーを買ってもらってよろこぶ嫁の単純さにもびっくりするし、さらにもっと言うと船を買ってもらって喜ぶ嫁なんかいらない。

欲望が完全になくなれば死んでいるのと同じだけど、やっぱり程度問題だ。性欲や食欲と違って、金の欲望は数字だから(幻想だから)天井がない。どこまで行ってもとまらない。
金儲けに奔走する人たちが、普段の行動まで衝動のままで動いて抑制が効かなくなっていくところが恐ろしい。

そういう現象を興味深く観ることが出来た。

そして、もはや顔がまんまるになったディカプリオが、ちょっと顔立ちの整ったジャック・ニコルソン風に見える。

【映画】『マルタの鷹』

気絶するほど眠い映画だった。
まず、白黒映画だから色の印象で人の区別がつけることができず(特に女性)、誰が誰だか油断しているとわからなくなる。

話が無駄にややこしい。
しかも肝心な部分は絵で見せてもらえず、伝聞情報のみなので頭に入ってこない。
うとうとするたびにチャプターを戻して観るけれども、やはり同じシーンで眠くなる。眠くなるサブリミナルがはさみこまれている?

ラスト、怒涛の口の説明にまたもや爆睡。
途中で気づき慌ててチャプターを戻すと、マルタの鷹がナスビを咥え富士へ飛んでいくシーンで終わった。
夢でなければいいのだが。

【映画】『モンスターズ / 地球外生命体』

モンスター映画なのにノンビリした雰囲気。
普通のロードムービーよりも緊迫感がない。

モンスターに関係するセンス・オブ・ワンダーが物語に絡んでいない。ってか別にモンスターでなくてもいいのではないか?
ゾンビものであっても、ディストピア近未来ものであっても、バイオハザードものであってもほぼ同じプロットで通用する。

高い壁が国境を阻んでいるからモンスターのいる危険地帯を通ってきたのに、壁に近づいたら関所に誰もいないから普通にアメリカに戻ってきましたよって、どういう意図なのだろう。

モンスター同士の交尾を見て唐突に欲情して好き合う二人の感情も、それはそれでアルアルなのかもしれないが、感情移入しにくい。

しかしこの映画の監督が次に撮影した『GODZILLA ゴジラ』は面白いんだから、よくわからない。
この映画を観て判断した製作者サイドは彗眼だ。僕は駄目だった。

【映画】『疑惑の影』

『イノセント・ガーデン』、言われてみればこの映画をなぞっている。
家庭に闖入した都会人でおしゃれなおじさん……主人公の少女だけがその異常性に気づく。

しかし多感な思春期の少女でなくてもこのおじさんがおかしいことはあからさまなわけで、
「老いたブタは役に立たない」
「この世界は地獄だ」
「家の中にいるのはブタばかりだ」
叔父さんのチャーリーは人前で無神経な言葉、奇行を連発。
どちらかというと、これだけフラグが立っているのにも関わらず誰も何も気づかない、(少女以外の)家族の無神経さのほうが恐ろしい。