朝食、チキンカレーライス、コロッケとチキンナゲット、サーモンとチーズ とトマトとサラダほうれん草。
昼食、鶏の唐揚げ、サーモンとタコとタマネギのマリネのせトマトとサラダ 菜とサラダほうれん草のサラダ、タマネギとベーコンとジャガイモのコンソメ炒め。
Q「漫画というものの本質をズバリ一言でいうと、なんでしょう。」
A「風刺ですよ。」
あとがきのQ&Aの最後のひとことが興味深い。
ぶっちゃけ本文は、漫画の描き方として基本的な一般論で、本音にまで到達していない。
あとがきで、ようやっと本音を知ることができるといったような感じ。
漫画も映画も、人間の内面や現実を象徴的に表現(一般論化)することだと思う。
その表現の目的(本質)を手塚氏は「風刺」と捉えている……つまり漫画を描く行為を個人的でなく社会的に捉えているということか。
僕の世代で、ポジティブな意味で「風刺」という言葉を、漫画を表現するときに出てきた
試しがない。
戦争を体験した世代だから?
手塚氏の個人的なパーソナリティの問題?
気になったので、しばらく「風刺」という言葉で漫画を考えてみることにする。
モンスター映画なのにノンビリした雰囲気。
普通のロードムービーよりも緊迫感がない。
モンスターに関係するセンス・オブ・ワンダーが物語に絡んでいない。ってか別にモンスターでなくてもいいのではないか?
ゾンビものであっても、ディストピア近未来ものであっても、バイオハザードものであってもほぼ同じプロットで通用する。
高い壁が国境を阻んでいるからモンスターのいる危険地帯を通ってきたのに、壁に近づいたら関所に誰もいないから普通にアメリカに戻ってきましたよって、どういう意図なのだろう。
モンスター同士の交尾を見て唐突に欲情して好き合う二人の感情も、それはそれでアルアルなのかもしれないが、感情移入しにくい。
しかしこの映画の監督が次に撮影した『GODZILLA ゴジラ』は面白いんだから、よくわからない。
この映画を観て判断した製作者サイドは彗眼だ。僕は駄目だった。
五時起床。
五時五分より公園を四五分ジョギング。
いつも通りジョギングしていたら道路の上を歩くセミの幼虫を見つける。
そっと樹の幹に添える。
連続して三匹見つけた。おそらく今日はセミが羽化するラッシュなのだろう。
しかしセミに見返りを求めない。
それは人としてしてはいけない行為だ。
Caterina Caselliのアルバム「組曲「春」Primavera」を聴きながら走る。
普通に歌謡曲っぽいのだけれども、どのあたりがプログレッシブ?
何もなすことなく身の回りのことで時間が過ぎていき、もどかしい。
午後も部屋を片付けたり資料を整理したり……全くもって漫画に集中できない。
何か対策を考えないと。
二二時就寝。
こんなもの食べた!・・・14年07月30日
こんな映画を観た!・・・14年07月30日
【映画】『モンスターズ / 地球外生命体』:DVDで鑑賞。
こんな本を読んだ!・・・14年07月30日
【本】『手塚治虫エッセイ集(8)』手塚治虫
【本】『手塚治虫のマンガの描き方』手塚治虫
【本】『手塚治虫講演集』手塚治虫