【映画】『少女は自転車に乗って』

ヒロインの前に、立ちはだかる保守的なアラブ社会。イスラムの戒律、王族が支配する身分の固定した国家体制、男女差別。
ヒロインはいろんな束縛が見える人として描かれている。行動に制限をつけられたくない。自転車に乗りたい。顔を隠して歩きたくない。
しかし、母親をはじめ、学校の先生は空気のように束縛(=社会のルール)を受け入れている。強制的な低年齢の結婚、一夫多妻制の女性の扱いの悪さ、女性は家族以外の男性に姿を見られてはならない。遠くからでも男性に見られてはいけない。車を運転してはならない。男性に口答えしてはならない。幼なじみの少年がヒロイン宅に遊びに来て、それを発見した母親が「留守宅に男を入れてると知られたらパパに殺されてしまうわ」
日本からみるといかにもひどい国に見えるが、問題は、そこに住んでいると空気のように気づかないことなのだ。

翻って日本を振り返ると、普段は空気のように気づかないたくさんの束縛がある。同調圧力。友達同士のメールのやりとり。SNS。空気を読んだ発言をしなければならない。身内の責任をとらなければならない。そもそも家族の生活保護受給を何故非難されなければならないのか? 

逆に、僕がイスラム教徒でアラブに住んでいたとして、日本よりメリットのあることってなんだろう。

人は隠されると見たときの興奮がより増すものだから、あれだけ黒い布で隠されていたら、初めて女性のエロ画像、動画を見るときの興奮といったらないだろうな。
これだけ性的なものが氾濫する日本ですらヘアヌード解禁、ネット上でモザイクがない映像を再生したときは衝撃だったのだから。ましてや初めて女性をセックスした日ときたら。なんでも見れるからといっていいわけではない。

そしてこの映画をみている限り、核家族化している日本より家族の結びつきは強そうだ。そしてあの詠唱するようなコーランを読みかた、あれは宗教の一体感を高める役割がありそうで……神、信者そして一族、この世界の一体感。僕らの至福の感覚の比じゃないのだろうか。
せいぜい僕の楽しいことは、一人旅で遠い地のちょっとした人とのふれあいだけ、それに比べたら……