【映画】『オアシス』

あくまで僕の偏見なのだが……韓国映画は、
「こんなに自分は相手のことを思っているのにどうしてわかってくれないんだ!」
という思いの押し付け、すれ違いを描いていることが多いように思われる。

この映画も、そういう思いの押し付け、すれ違いが物語の主軸だ。
脳性麻痺のヒロインに対する主人公の一方的な思い。いきなり求愛するまでの段取りが性急かつ一方的。何故かヒロインはその気持を受け入れる。

途中で、主人公が兄の身代わりで刑務所に入っていたということがわかってくる。彼を疎ましく思うと同時に何かあるとかばおうとする家族にとって主人公は、自分たちの罪を一身に背負う原罪のような存在。
同じように、家族から隠されるように日当たりの悪いアパートに住まわされているヒロイン。彼女の家族はあきらかに障害を持ったヒロインを恥じている。しかし彼らはヒロインのために用意された障害者用の設備のいいマンションで生活しており、高い水準の生活を維持しているのは彼女のおかげなのだ。
主人公とヒロインは二人とも似たもの同士なのだ。

しかし二人が結ばれようとしたとき、
「こんなに自分は相手のことを思っているのにどうしてわかってくれないんだ!」
今度は、主人公とヒロインに対して周囲の無理解の攻撃にさらされる。
純粋な気持ちを理解できない社会、家族は、障害者をレイプしようとした犯罪者として主人公を扱う。主人公は警察に逮捕される。ヒロインの訴えをちゃんと聞くことなく、家族と警察は調書をレイプとして受理する。
ヒロインは抗議して暴れるが、
「こんなに自分は相手のことを思っているのにどうしてわかってくれないんだ!」
その行為自体も、レイプされて悲しがっている、興奮しているとしか見てくれない。

……このボタンの掛け違いが今日の日韓関係を象徴しているようで興味深い。