こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
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【本】『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

人類が人類であることを構成するあらゆる自然科学の発展の歴史をエッセイ風に描いている。
八〇〇ページ超え、軽く辞書のようだ。

アインシュタインがあの数百年あるいは一〇〇〇年単位の快挙だった相対性理論の発見のあと、人生の半分を有意義でないことの研究に費やしたことを知り、そんな天才ですら誤るのだから僕みたいな凡人ならなおさら……と未完成過ぎる人類の知性に対して諦観し、あとほんの少しの安心する。

たかだか一〇年前の本だが、ここに書かれていることの幾つかはもう陳腐化している科学の進歩のはやさがなかなかに感慨深い。

【本】『かもめ・ワーニャ伯父さん』チェーホフ

チェーホフは初読。
『桜の園』が吉田秋生「櫻の園」(映画化された)の元ネタということは知っている。
あと最近読んだ、ふみふみこ『さくらの園 』も『桜の園』のオマージュらしいが、何しろ『桜の園』を読んでいないのでわからない。

読んで身につまされ痛々しい。
『かもめ』の主人公トレープレフのラストのような勇気もない、ワーニャ伯父さんがごとく偏屈な中年になった自分は、それでもこの現実を生きていかざるを得ない。
一〇代のときはそんなこと思いもしなかっただろうし、この小説の意味を実感することもできなかっただろう。
そんな気持ちを理解できることが、いいことなのかどうなのか……

それでも、生きていかざるをえないのだ! 

【本】『竹取物語』星新一

星新一氏の翻訳本は、他人が訳したものを氏の名前だけ貸すケースが多いらしいので警戒して読み始める。
読んでみて安心、これは他人作ではなく、『できそこない博物館』や『進化した猿たち』のように創作論と絡めて描いている実に星新一的な視点の入った新約と言ってよい『竹取物語』。
主観が強い(解釈が個性的な)読み物けれども、星新一ファンあるいはSFファンなら読んで楽しいはず。

【本】『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』フィリップ・K・ディック

数年ぶりの再読。
それまでは中盤までのわかりやすさに比べてラストのわかりにくさといったらない……という印象だったが、今回読んでみてこのラストが当然の帰結と納得。
意識的か無意識的かわからないけれども、ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』に沿って物語が作られている。
「ニューロマンサー」の影響も感じるがそれはよく考えたら逆か。
読んだ順番が逆だからいつもこんがらがってしまう。

この小説に関しては時期をおいて再読するごとに自分の理解が深まったことを実感できる。 
読書量と国語力はやはり比例するのだ。

【本】【漫画】『竹取物語』池田理代子

かぐや姫はUFOで地球に送られたというSF的設定、月の世界からの使者もUFOで訪れる。
なのにこの『竹取物語』の大筋は池田理代子氏なりに解釈して表現されたものではなく、日本の古典文学を漫画で読みやすくしてみましたという程度のアレンジ。
何故、SF的要素を入れたのだろうか。
かぐや姫が地球上に赤ん坊の姿で転送されたのが謎なことと同じぐらいの謎。

【本】『果しなき流れの果に』小松左京

三年ぶりの再読。
やはり読書一度目は確認にしか過ぎない、再読以降からやっと理解できるようだ。
いかにして人間を超えるかというニーチェ的なテーマが包有されている。
それは同時期の『二〇〇一年宇宙の旅』と内容のシンクロニシティがあり、時代が反映された作品だったことがわかる。
宇宙と宇宙から新しい宇宙が生まれるイメージは、さながら超弩級マクロな止揚(アウフヘーベン)。

小道具(電話など)は古くなっているが、この小説で扱われている本質的な問いかけはちっとも古びていない。
これからもずっと普遍的に読み継がれるテーマ。
そしてこの小説に描かれている未来(二〇一八年)は今からあと三年後……

【本】【漫画】『WATCHMEN』アラン・ムーア(作) デイブ・ギボンズ(画)

読書会の課題図書『完璧な夏の日(上下)』ラヴィ・ティドハーをより理解するために幾度目かの再読を試みる。

……今回も内容を把握できなかった。
何回も映画を観て解説もそれなりに読んだが、主人公たちが何を悩んでいるのか感情移入できないのだ。
架空の出来事について架空の登場人物が悩む……当たり前のことだけれども、他の感情移入できる物語とどこが違うのだろうか。
アメコミをはじめとしてアメリカ文化がわかっていればもっと理解しやすいのだろうか。
一般的な(?)評価の高さと裏腹に自分が理解できないもの、代表格だ。

【本】『超記憶術―「ぜったい覚える・忘れない」生活のヒント』ダグラス・J・ハーマン

これは昨今の記憶術ブーム以前に出版された本で、連想を使った定番の記憶術を古いものとして一蹴している。
しかし、現在記憶術コンテストの主流は単純な記憶力で競うことはない。
テクニックを使うことが主眼になっている。
これは、単純な記憶力を地道に上げていくことを主眼になっていて、今からすればちょっと古い。
記憶術を漫画を描く技術でたとえると、
現在の主流はストーリー漫画の描き方とすれば、
この本は漫画の基本はカートゥーン(一コマ漫画)だとして、動物園クロッキーさせたり風刺漫画を描かせるようなものだろうか。
無駄ではないけれど……遠い。

【本】『地球の長い午後』ブライアン・W・オールディス

想像力の限界の世界を描くためにはドラマチックな物語はその妨げになるのだろうか。
その都度の行き当たりばったりの行動しか描かれない。
悲劇的な再会を予感させる重要な伏線が機能していないし、ラストで主人公がとった選択も人類の未来に対しては消極的なものだ。

この小説から影響を受けただろう『風の谷のナウシカ』には芳醇な物語世界が生まれたから、これは「そういう世界観モノバージョン1.0」とでも呼ぶべきものなのかもしれない。

【本】五代ゆう『〈骨牌使い(フォーチュン・テラー)〉の鏡(上下)』

運命論を人間の意志で乗り越えようとする物語に僕は弱い、ということを実感。

前半ではラノベっぽい印象があったが、後半で雰囲気が変わる。
物語の世界観に著者独自の哲学が見える。
ファンタジーとはこういうものという落とし所で思考停止せずにその先へ踏み込んでいる。
キャラも物語も一筋縄でいかない方向へ向かう、そこがラノベっぽくない。
もともとこの作品が発表されていたラノベレーベルのなかで位置づけはどうだったのだろう?

長距離を旅しているのに、移動している感じの少ないところが玉に瑕。

【本】アクセル・ハッケ『ちいさなちいさな王様』

小保方晴子氏が帯で推薦していたのから、今あえて読んでみる。
説教臭いところは好きでないが、話が日常から飛躍する段取りのうまさ、洒落た表現、うまくオチをつけるところなど、寓話として抜群の完成度。
小保方晴子氏の帯で読まなかったひとはもったいないことをしている。

あえて読んでよかった!

【本】トム・コネラン『たった1%変えるだけであなたの人生に奇跡は起きる』

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』をもう少しふんわりさせたような印象。
あまり科学的な理屈は出てこない。
ストーリ仕立てのほうが導入として入りやすいことはわかるけれども、理屈に説得力がないと納得しにくい。
ある層に売るためには仕方ないことなのかもしれないけれども、結局、最後のところで納得しにくかったら読まなかったことと一緒ではないか。

【本】ロバート・A・ハインライン『輪廻の蛇』

ハインライン傑作集は全部目を通したと思っていたので、先日映画化された『輪廻の蛇』=『プリデスティネーション』を鑑賞して、
「原作と違う、どころかこんな話読んだことがない!」
とSHOCKを受けた。

確認のため、ハインライン傑作集第二巻であるこの『輪廻の蛇』を読んでみると、
「……この短篇集だけとばして読んでいなかったからだ!」
ということに気づいた。うへえ。

現代的にブラシアップされた新しく追加された要素含め、原作の短編より映画のほうがより深みのある内容だった。
それはともかくこの短篇集、他のアンソロジーで既読のものがいくつかあったがそれだけ優れたものが集められたということ。
間違いなく面白い。

『ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業』
主観のゆらぎの描き方がディック的。
面白いけれどもページ数に対して内容が薄い。

『象を売る男』
ハインライン氏らしくない、ジャック・フィニイ氏を彷彿とさせる、強烈なまでのノスタルジック。

『輪廻の蛇』

『かれら』
冒頭の『ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業』と同じく、ディック的な現実認識の揺らぎから今となってはありふれた感のあるオチ。

『わが美しき町』
ヤング氏のような甘い味わい。ハミルトン『風の子供』のような風や竜巻を擬人化する話、アメリカでは定番なのだろうか。
ドラえもんの台風のフー子の元ネタはむしろここにあるのかもしれない。

『歪んだ家』
SFアンソロジーの定番。

【本】山田正紀『宝石泥棒』

大人になってからいま読んでも楽しむことができたが、少年時代にこそ読んでみたかった。
その頃なら現実と物語世界の区別がつかないから、この物語世界を旅する自分を体験するかのように過ごすことができただろう。
これを小説として読んでしまうことがもったいない。

第一章とくに冒頭はジョーゼフ・キャンベル『神話の力』ではないが、物語の原型だけ抜き出したような展開、RPGのテレビゲームをプレイしているようだ。
少し淡白に思えたが、想像力のある若いころなら自分で肉付けして足りない部分を補ったのだろう。
内面描写が描かれ物語らしくなってくるのは第二章以降。
第三章は飛躍しているように見えるが、こういう展開になることはこの物語が生まれた文脈で読めば当然の帰結。
遺伝子、物理法則の帰結のように、運命じたいがプログラミングされたものであるという旋律がアレンジを変え、ずっと物語の底辺で流れ続けていた。

【本】堀晃『太陽風交点』

中学時代、堀晃氏の小説はそれなりに読んでいたはずだが、この短篇集に関しては何ひとつ覚えてなかった。
物語パートとセンス・オブ・ワンダーのパートが交差する瞬間が、(うまくはまっていればいるほど)気持ちいい。
表題作『太陽風交点』は傑作。

気になったのは、星野之宣氏の漫画との共通点。
時代的なものもあるのだろうが、内容やネタそのものよりセンス・オブ・ワンダーの感覚が似ている。
もちろん理数系ではない星野氏はファンタジー寄りで、絵を駆使したアクロバティックな飛躍だけれども、空気感が驚くほど『2001夜物語』と似ている。

【本】倉田タカシ『母になる、石の礫【つぶて】で 』

全体から細部に向かって描写する定石の描写をしない。
ものすごく手前のことしか描写しないので、最初は何が起こっているか理解できなかった。
一〇〇ページ超まで読んでよくわからなくなったので、また冒頭から読み直す。
冒頭に戻ると、いくつかの事象についての説明を読んでいるので理解しやすくなった。
いつものペースで読まず、ゆっくりめに、何が起こっているか正確に確認していく読み方をして足掛け六日……
普段の数倍の時間がかかったけれども、ちゃんと内容を把握した上で最後まで読むことができた。

この作品と同じ第二回ハヤカワSFコンテスト出身の、柴田勝家『ニルヤの島』が理解できなかった自分。
もういまのSFについていくことができなないのではないかと不安に思っていた矢先だったので嬉しかった。

この小説に関しては、自分が絵を描く人だからどんどんバージョンアップされていく視覚情報に混乱してしまった。
作者は絵を描く人らしいので、その喚起するイメージが悪い方に僕とバッティングしてしまったのかもしれない。

【本】池谷裕二『記憶力を強くする』

数年前に読んでいたが、この本に書かれた理論通り復習しなかったので、印象程度にしか記憶に残っていなかった。

僕が最近思うに人間のあらゆる幸福の中で、知識(記憶)が有機的につながっていく世界がクリアに見えてくる瞬間……が最も長続きする(何度も継続的に発生しやすい)もしあわせだと思う。
勉学を極めるということはそれを利用するということなのだな。

【本】王城夕紀『マレ・サカチのたったひとつの贈物』

経済と量子力学と、詩的な物語世界の出会い。
発想の根幹は「奇妙な味」で、マルセル・エイメ『壁抜け男』のような奇譚で終わりそうな設定なのに、それをこういう方向(しかも長編!)に広げるのかという驚き。

王城夕紀氏の人生観がラストの一言に集結している。
もっとひねくれたもっとシュールな展開になってもおかしくないのに、こんなストレートなメッセージが来るとは……
僕には到底思いつかない展開、不思議過ぎる。
(こういうシュールな設定を思いつくことができる人が、何故ストレートなメッセージを伝えるのかという)

【本】マーカス・セイキー『ブリリアンス―超能ゲーム―』

超能力者が、高機能自閉症レベルの能力を持っている健常者……がこの物語の特色。
リアルといえばリアルだけれども、X-メンみたいな非現実的までの派手なアクションを想像していると肩透かしを食らう。
かといって退屈かというとむしろその逆、現代的にいくつかツイストをきかせた展開になっていて全く飽きさせない。
六〇〇ページ(二〇〇ページで終わりそうな話だが)を長いと感じさせず、一気読みさせてしまう手腕は素晴らしい。
ひさびさにページをめくるのがもどかしく思える面白い物語に出会った。

読んでからよく考えると基本的な構造は平井和正氏のゾンビーハンターシリーズと同じ。
絶対悪/ゾンビーを狩る主人公にもゾンビーと重なる部分(能力)があり、ラストで価値観が一変する。
僕はゾンビーハンターシリーズが好きだからハマった部分もあるのかもしれない

【本】小松左京『復活の日』

数年前からポツポツ小松左京作品を読み返したり、未読作品を読んでみたり。
この作品は僕にとって初読。
『日本沈没』『首都消失』と同じくSFというよりIF小説な色合いが強い。
もちろん小松左京氏らしいセンス・オブ・ワンダーも入っていて、世界で流行するウィルスの由来や結末はSFならではのアイデア。
生物学から社会学、国際政治まで知識の厚みが半端ないうえ稀有な文学的な素養もある、本当に稀有な作家だった……と今更ながら思う。

いろんな種類の人間を物語世界に放り投げ攪乱したその反応を丁寧に時間軸にそって描いていく、化学変化を観察するかのような小説。
自分的には寓話的な『日本アパッチ族』のほうがより好みなのだが。

【本】熊谷奈緒子『慰安婦問題』

慰安婦問題に対して肯定的、否定的な意見を照らしあわせて読むこと自体に意味がある。
読んでみると、やはり当初言われていたような拉致して強制労働させるという狭義の慰安婦問題ではなく、戦争という場で行われた広義の強制が問題の焦点になっているようだ。
ヨーロッパでユダヤ人を拉致して強制収容所に入れるようなイメージで慰安婦問題を教えられていたので、いつの間にかそうでなくなったことにモヤモヤする。
隣国は意図的にそんな強制収容所のようなイメージ(sex slave)で世界に広めようとしているのではないか。
結果的に(広義の)強制になったことを検証することは意味が無いこととは思わないが、その結果、日本だけ謝罪したら日本だけが悪いイメージになってしまう。
(戦争中の軍のレイプ問題は?)
それはそれで罪を認めることが出来るよい国というアイデンティティを持つことができて素晴らしいことかもしれないが、果たして自国以外の世界でそう捉えてくれるのだろうか。
隣国など日本がそれを認めたら国が存続するかぎり今よりいっそう(自分のことを棚に上げ)上から非難し続けるだろう。
認めたら損、という風潮を作ることが日本の国益だけでなく世界のためにもよいこととは思えない。

【本】ドミニク・オブライエン『試験にパスする画期的テクニック』

幾つか読み比べた記憶術関係の実践本の中ではいちばんバランスがとれている。
かなり具体的に覚え方が書かれているのだ。
記憶術を会得するためには記憶の取っ掛かりになる材料を事前に作っておかなければならない。

「耳たぶの大きな白鳥が黄色い出っ歯を生やして上階から百円玉が雪崩のように落ちる階段を下まで滑り降りる」
ちなみにこれが三月二六日百円ショップで買い物をする、という僕の記憶メモ。

【本】夏目漱石『行人』

描かれている出来事のレベルで言えば、電話や鉄道、車……現代と基本的には変わらない。
しかし変わらないところが多いとよけい現代との微差が気になる。

主人公の兄が悩んでいることが現代的……おそらく現代なら考えても仕方のないことだと一笑に付されるようなことを真剣に悩んでいる。
(結婚した相手が本当に自分を愛しているのか?)
逆にそれまで(鎖国時代以前)の日本的価値観でもそれはそういうものだと割り切っていたのではないか。
兄は、急激な西洋文化の流入とそれまでの日本的価値観の対立の犠牲者?

僕が今たまたま平行して読んでいる宮部みゆき氏(現代の大衆文学)と違い、実は主人公がどう考えているのかという完全な答えは最後まで明示されない。
主人公を誘うような素振りを見せた兄嫁、それは主人公の自意識過剰だったのか、本当に誘っていたのか。

ニーチェやテレパシーの概念のような物を扱っている。
ギリギリ江戸時代生まれの人が、明治時代の末期に書いた小説に最先端の(同時代の)言葉が出ていることに驚き。
当時は時事ネタを取り入れた流行作家、現代で例えば伊坂幸太郎みたいな感じだったのだろうか。

【本】池谷裕二『受験脳の作り方―脳科学で考える効率的学習法』

最初のハードル、実践するかどうかという説得力を脳科学で担保しているので突破しやすそうだ。
受験だけでなく、仕事や個人的に学びたいことでも役に立つだろう。
人生の折り返し地点に辿り着いたが、コップ半分しか入っていなくてもあと半分と思わず、その半分を最大限活かす気概を見せてやろうと思う。

(メモ)

●記憶の正体は「新たな神経回路の形成
赤色は気持ちをひるませる。
(食欲を昂進する)

●海馬が進化的に未完成……記憶するという行為は新しいことだから進化に組み込まれていない。

記憶するためには海馬をだまさなければならない。

●記憶の干渉……古い記憶と新しい記憶が影響を与え合う(似ている記憶を統合してしまう)

●復習すれば忘れる早さが遅くなる……脳が生存のために重要とみなす
海馬が取捨選択する

●潜在的な記憶期間は一ヶ月…大事な記憶は一ヶ月以内に復習する

翌日に一回目
その一週間後に二回目
二回目の復習から二週間後に三回目
三回目の復習から一ヶ月後に四回目

●参考書は一冊復習を繰り返すだけでじゅうぶん
出力をしなければ記憶を重要とみなさない

参考書より問題集を繰り返すほうが重要

●長期増強LTPを活性化する方法
扁桃体(感情を司る部位)を刺激…エピソード記憶を使う
(LTPはストレスに弱い)

飢餓状態になるとグレリンというホルモンが胃から放出、海馬へLTPを起こりやすくする。
歩く→シータ波
部屋を寒くする→シータ波

●寝る直前は記憶のゴールデン・アワー(勉強にはベスト)

●その道を極めるためには、
大局をつかんで、それを細かくいくつかに切って、細かく刻む。

●恋愛すると頭は悪くなる。
(他の選択を考えさせなくするため)

●学習は「べき乗則の効果」
勉強量と成績の関係は幾何級数の急カーブで成長する
勉強を続けている(努力の継続)と霧が晴れ渡るように見えてくる瞬間がある。

ユリイカ!(ある種の悟りに似た境地)

【本】高橋和夫『イスラム国の野望』

放送大学の高橋先生の授業はここ数年繰り返し観ている。
大学講義らしくないエンタメ要素があるうえ専門家ならではの通り一遍でない見方も入り、考えされることが多い。
最近、ISIL(イスラム国)の日本人人質事件絡みでテレビに出演されることが多くなったが、この書籍はその直前に書かれた本。
だがほぼ最新のISILについての情報が書かれている。

イスラム教が指導者をルックスで決めるケースが多く、アルカイダもやISILもそうだということを知り驚く。
血筋とかルックスとか運命論じゃないか……と思いさらにイスラム教について調べてみると、奴隷から君主になった者(しかも女性)も存在していたり、それ以外の要素も複雑に絡んでいることがわかる。

日本では一部の過激派の印象で危険な宗教と捉えられることも多いが、それは信じている人の解釈の問題。
貧しかったり資源が集中していたりと地政学的に複雑な場所で現在信じている人が多いからそう見えるだけ。
人類の歴史の大きなスパンで見るとキリスト教、ユダヤ教、仏教など他の宗教(あるいは共産党などの政治思想)と変わらない。
むしろ沈滞していた中世のキリスト教文化圏より、はるかに進んでいたのは当時のイスラム圏だった。

国力が、人口と陸軍力と経済力で決まるなら、これから数十年で世界の国力分布は大きく変わるだろう。
大きな力を持ちつつあるイスラム教圏で、現在進行中「アラブの春」の段階のひとつであるISILがどうなるのか、ますます目が離せない。

【本】宮部みゆき『ソロモンの偽証 第I部 事件』

読み始めてエンジンがかかるまで二週間かかった。
この手の本はエンジンがかかると一時間で二〇〇ページ近く読み進められるのに。

ものすごくゆっくりと物語時間が進む。
このまま宮部みゆき氏が定向進化していったら『カラマーゾフの兄弟』なんか目じゃないボリュームなものを完成させそうな気がする。
(『カラマーゾフの兄弟』自体もよく考えるとこの小説と同じくらいドメスチックな事件を扱っているし)
七〇〇ページ以上かけて物語のさわりにしか到達していない、というあたりも似ている。

【本】宮部みゆき『ソロモンの偽証: 第II部 決意』

何が偽証なのか、物語の肝になる言葉に一四〇〇ページ読んでもまだ到達しない。
少なくともどういう部分が物語(事件でなく)の焦点なのかもう少し絞ってもよかったのではないかという気がする。
自殺/他殺された少年の真相を調べる……ということは、確かに学校レベルなら大事件だが、大人が長時間かけて読む小説としては推進力が弱い。
第I部で『カラマーゾフの兄弟』を想像したが、第II部に限って言うと『カラマーゾフの兄弟』ほど普遍性がない。
自分や自分の周囲にいる人が抱えている問題とずれたところに登場人物がいるから、ちょっと引いて見てしまう。
宮部みゆき氏というブランドがなかったらおっつかっつ読んでいなかったかもしれない。

【本】グレッグ・イーガン『白熱光』

何度もイーガンを読もうとして挫折した挙句、満を持しての初読了イーガン!。
難しい! 
この手の厚さの本なら三〜四時間で読破かな〜と思って手に取ってみたものの、読み終わるまで一〇時間以上かかってしまう。
国語力の問題でなく細部が理解できないことがもどかしい。

あとがきで作者自身がこの『白熱光』を読んだ人に共通の誤読があると四つあげていたが、多くの人がそう誤読してしまうのなら、書き手の問題もあるのではないか?

(SFをかなり読んできたのが)自分がジャンル小説としてのSFが苦手だということを実感する。
要素としてセンス・オブ・ワンダー要素が入っていると楽しめるが、純度の高いSF小説は読んでいて楽しさより苦痛が勝つ。
(自分はSFを好きだと思って読んできたけど、雰囲気が好きなだけで本当はもっと自分に合うものが他にあって、SFに傾けた自分の時間は無駄だったかもしれない)
好きとか嫌いは恋愛や宗教と同じなので、何がスイッチになっていきなり好悪が逆になるかわからない。

……………………

(15年06月10日付記)
上記のようなことを読了後つらつら思っていたのだが、時間が経ってもう一度考えてみると自分が好きなものは極端なモノや変なモノ。

論理と感情で、感情が勝ってしまい『白熱光』を受け入れなかった自分だが、逆に論理で考えるとこんな偏った小説は滅多にない。
自分はこんな「変な」小説と出会ったことを素直に喜ぶべきではなかったのか。
歴史に詳しくないとわかりにくい小説もあれば、文学的に高度な小説もあるだろうし、人の機微に長けていないと理解できない小説もある。
数学や物理学や天文学に精通していないと理解が難しい小説もまた「アリ」だ。

ということで三週間経って、自分の中で『白熱光』の評価が高まっている。

【本】宮部みゆき『ソロモンの偽証 第III部 法廷』

『ソロモンの偽証』全部で二一〇〇ページ! 
宮部みゆき氏の筆力の凄まじさと問題点が同じぐらいあらわれている問題作。

内容に比してあまりにも長過ぎる。
それなりに速読できる僕でも一気読みできないので寸断された時間で読まざるを得なく、時間がかかる。
スピードが上がらず一巻につき七時間、他の本を平行して読んでいるので一週間に一巻しか読めず、読了に三週間が必要だった。
普通のスピードで読む人ならその倍はかかるのではないか。
逆に言えば、ゲームやテレビやSNSなど他に娯楽が多い現代人に時間をかけて本を読ませるのだから、宮部氏の筆力のなせる技か。

登場人物が(中学生なのに)頭が良すぎたり、頭が悪すぎたり……小説のキャラクターというより漫画のキャラクターっぽくて現実味が少ない。
学校裁判という設定自体が現実離れしているために描くリアリティラインを意図的に下げて生じた事象?

事件の真相に関わることが比較的早い段階からの予想の範囲内。
それが現実味を持たせ且つ物語的にドラマチックな展開という意味ではじゅうぶん面白いが、二一〇〇ページというページ数で無駄にハードルを上げてしまった。
これで納得するかしないかはどのぐらいラストに期待しているかに比例すると思う。
僕は期待しすぎた。
これと同じことが『ソロモンの偽証』とほぼ同時進行でプレイしていたドラクエ7にも言え……前作から時間が経って発売された、売れっ子の大作が陥りやすいことなのかもしれない。

最後までソロモンが出てこなかった。
そう言えば『ブラックジャックによろしく』にもブラックジャックが出てこなかった。
逆に『ブッキラによろしく』にはブッキラが出てきたし『ジョー・ブラックをよろしく』にはジョー・ブラックが出てきたし『よろしくメカドック』にはメカドックが出てきたのに。