日別アーカイブ: 2015年1月15日

【食】15年01月15日

朝食:おにぎり、焼きメカジキ、スイートポテト、トマトとソーセージとチャーシューととほうれん草のサラダ。
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昼食:冷かけうどん、ゴマネギ豆腐、海苔巻きモチ、スモークチキンとほうれん草のサラダ。
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夕食:ヨーグルト、豆乳にフルーツグラノーラ。
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【本】【漫画】『廃墟少女』尚月地

自分のフェティッシュな嗜好に対して忠実に向き合う作者の姿勢に感動する。
決してひとりよがりでなく、商業的に抑えなければならない部分と折り合いをつけている。
漫画自体は僕の好みにドンピシャなわけではないが、独創的な画面作りに何度も本を開いては読み耽る。

描きたいことと、興味のないことのギャップが大きい。
物語的にも緻密な設定を作るところと描かないところの差が激しい。
描きたい背景と、手前のキャラクターの中間が全くの空白なのに違和感を覚えさせないテクニック……あるいはそういう画面作りの妙というべきか。
漫画家の絵と物語のこだわりは比例する……僕がいつも思うこと。

あとひとつ、デジタルで仕上げているのにアナログっぽい画面作りが素晴らしい。
ゲームの話に脱線するけれども、
FINAL FANTASY6から7へ移行するとき(スーパーファミコンからプレイステーション)、3DCG中心になって天野喜孝要素が消えていった。
今思うとハイスペックなマシンで何故2Dを極めるような方向に進化しなかったのか。
アナログ的な天野喜孝要素を活かす方向だったら、現在の日本のゲーム界でどんな表現を観ることができただろうかと夢想する。
あれが日本のCGの分かれ道だったと思う。

逆に、アニメ監督の高畑勲氏は『ホーホケキョ となりの山田くん』『かぐや姫の物語』で、(いかにもCGアニメらしい表現ではない)CGを使うことによって本来の絵の持ち味をより活かす、かえって新鮮な表現を創りだした。
それをこの漫画の中に見る。

【映画】『悪魔は誰だ』

韓国映画でを観るときいつも思うこの違和感。
ハリウッド映画で考え方の違いに違和感を思うことは少ない。
人種の見栄えが離れているから文化の違いも受け入れやすいからだろうか。
しかしルックスが似ている同じアジア人の中国/香港映画でも違和感は少ない。
人間離れしたアクション、あるいは歴史の特殊さから、人種は同じだが別の世界だという認識があるからだろうか。

韓国はなまじ日本人とルックスが似ていて文化的にも共通項が多いから、少しずれた部分が余計に目立つということだろうか。
フロイトの言う「微差のナショナリズム」だ。
似ている同士は、自分のユニークさを強調するため小さな違いを強調する。
この心理が民族主義の対立を生み出すという。
同じ一神教から別れたユダヤ教、キリスト教、イスラム教の対立も同じ心理だ。

アイデア、プロットは文句なしに面白い。
韓国映画のレベルの高さを思い知る。

しかし、この映画の物語も韓国ならではの着地をする。
(違和感の正体は韓国特有の「恨」?)
これが日本からみると、感情論で物事を決める遵法意識の低さに見える。
韓国から裏返しに日本を見ると、情がなくて法律に振り回されているのだろう。

作品は、それぞれの社会システム(文化のハードル)に寄り添っていて、その中で自覚的であれ無自覚的であれ、越えることは困難。

【日記】15年01月15日 体重60.0kg

四時半起床。
猛烈に眠いけれども、頑張って起床する。

朝八時二二分より光ヶ丘公園を分三四分ジョギング。
どんより曇った空の下、陰鬱な気持ちで走る。
King Crimsonのアルバム「Three Of A Perfect Pair」を聴きながら走る。
第一期のクリムゾンはあれだけ好きだったのに、聞き続けることが苦痛になるぐらい退屈。

ジョギングから帰ってきたら雨が降り出す。
買い物に行けなくなり一日の食事をありあわせのもので済ませる。

朝から晩までずっと仕事。

就寝前にFF13のプレイ。六時間→七時間半。
召喚獣オーディンをやっとのことで倒し、次のエリアへ進む。
移動だけが続き話が核心に進まず、観ていてイライラする。
選択できる行動範囲が狭くプレイしている感が少ないから一層そう思う。

午前〇時就寝。

               ◇

こんなもの食べた! 15年01月15日

こんな映画を観た! 15年01月15日
【映画】『悪魔は誰だ』:DVDで鑑賞

こんな本を読んだ! 15年01月15日
【本】『廃墟少女』尚月地