五時起床。
カーテンを開けて外を見ると、激しく雪が降っている。
窓ガラスを隔てた向こう側の硬質な冷気が突き刺すように侵入する。
暖房を入れても追いつかない。
夕方から外出。
相変わらず曇り空だが降雪は一段落、すでに溶け始めている。
クロッキー会で知り合ったS君と豊島園駅前で待ち合わせ。
マクドで外食してから、二一時四五分よりユナイテッド・シネマとしまえんで映画鑑賞。
二人で感想を言いながら歩き、練馬駅から地下鉄に乗って帰宅。
二三時半就寝。
面白そうなタイトルと表紙の絵に惹かれて手に取ってみる。
冒頭から興味深そうな設定と物語、引きこまれて読んでいると途中から頭に入りづらくなってくる。
あれ、面白かったのに……後半に近づくにつれどんどん観念的になって、僕の中で一般化できない事象が増えてくる。
ある領域から先は完全に感情移入できない領域に入ってしまう。
作者の責任でなく、こういう現在から生まれるものを理解できない僕が悪いのだ。
最近、自分が好きだったSF小説も漫画も意味がわからないものが増えてきた。
学生時代あれだけ熱心に読んでいて、特に好き嫌いもなくどの作家の作品も読んできたのに。
好きなSFから、漫画から心が遠ざかっていく。
年齢のせい?
勉強不足?
それともひとつのジャンルが恐ろしく多様化したから??
それにしても真夏の沖縄の海に飛び込んだら、いつのまにか氷山の浮かぶ北海に浮かんでいたような気持ちだ。
去年末、NHKのドキュメンタリー観たベイマックス』のメイキングを確認するという意味で鑑賞。
たしかによく出来ている。
細かい部分を観れば観るほどよく出来ている。
しかしこれは感覚の違いなのかもしれないが、エピソードの塊が大きくなるほど矛盾点や物足りない部分が見えてくる。
ブラシアップは全体から細部に向かって行われるわけで、その逆になればなるほどチェックは甘くなる。
大きなマスの修正は小回りがきかなくなる。
(細部を進行しているたくさんのクリエーターに影響が及ぶから)
さらに原作のレベルまで戻ると、主人公と主人公をサポートするヒーローキャラたちが活躍するぶんキャラクター全体の掘り下げが浅くなっている。
爆発事件と教授の行動の因果関係は微妙だし、悪い企業のトップは悪さも中途半端なうえそれ以外の面もなく何の感情移入もできない。
一人の作家が作っているわけでないので、論理が一貫しない。
整合性が最大公約数的なのものになっていく。
もっと完璧に近い作品を観ると思っていたが、圧倒的な部分とそうでない部分があって、僕は思ったよりも圧倒されなかった。
それでもこのレベルのものを量産できるシステムを作り上げたことはすごい。
多くの人々が作品作りに協力する姿に、民主主義の最終形態である(理想としての)共産主義を見た!
逆に、あきらかに共産主義思想の影響をうけているであろう日本のアニメ監督が独裁で作っていることの不思議……