こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな映画を観た!

【映画】『セレニティー』

冒頭から何度も入れ子構造のドンデン返しを繰り返す。
タイトルまで入れ子構造ときたもんだ。
面白そうなのに、ちっとも面白くならない不思議。最後まで他人ごとのように画面を観ている。
方向性がはっきりせずモヤモヤとした展開、ラストもハッキリとしたカタルシスがない。

観終わった後で、この映画がドラマの続編だったことを知る。
しかしこの映画がつまらなかったのはおそらくドラマの続編だからではない。
そもそも単独の映画として魅力のないプロットだからだ。

……冒頭は面白くなりそうだったんだけどね。

【映画】『サブウェイ123 激突』

電車の中で乗客のノートパソコンからチャット中の画像がネット上に流されるが、それが何の伏線にもならない。意味が無い。現代にリメイクしたんだから、これは需要な要素だったのではないか?

ハリウッド映画だからこういうハラハラする演出は仕方がないにしても、身代金を持ってくる警察車両があまりにどん臭すぎる。
カーチェイスでもなくただ単に走って運んでいるだけで、タクシーにぶつかり、トラックにぶつかり、回転して高架橋から落ちてトンネルから飛び出してきた車に玉突き衝突。

ラスト、地下鉄の構内から出た犯人をあくまで追いかける主人公の執念が理解できない。
そこまで執着するほどの敵対もなかったではないか。人質とられているわけでもなく、親友を殺されてもいない。
まあハリウッド的なヒロイズムといえばそうだが、ただの鉄道職員なのに、最後は通行人の車を奪って犯人を追跡。しかも犯人は主人公が追わなければ捕まらなかったというわけでもない、普通に前後から警察に囲まれているわけ状態で、本当に主人公が命がけで銃を向ける意味がない。
トニー・スコット監督の、『サブウェイ123 激突』の次回作『アンストッパブル』
http://matsudanozomu.com/?s=『アンストッパブル』
は、似たような電車アクション映画でなおかつ主人公がそこまでやる動機がしっかり描けているので、この映画は予告編のようなものだと思ったほうがいいのかもしれない。
完結編は次の『アンストッパブル』でお楽しみ! という二部構成の映画。

【映画】『オール・ユー・ニード・イズ・キル』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

漫画なら奥浩哉『GANTZ』とか小説なら筒井康隆『しゃっくり』とか三島浩司『ダイナミックフィギュア』とか映画で言えば『恋はデジャ・ブ』とか『ミッション: 8ミニッツ』など既視感のある要素が詰め込まれたアメリカ映画。
限定された空間で繰り返される箱庭的な作りがどことなく日本で作られたものを想起させる。

トムは自分と同じようなリープ能力を持っている女性と出会うが、彼女はリープ能力を失っている。
ここで、リープ能力を失っていることを本人が気づくことができるのか、という疑問が湧いてくる。
感覚的に気づいた……みたいなことも彼女は言うが、そもそもそういう能力を持っていたときも死なないと実感できなかったわけだから、失ったときに気づくことができるっておかしくないですか? 
死んでループしないと気づかないわけだから、ループしなくなったら気づかない。
だから永遠にわからないままなのでは?

あと、宇宙に流れる時間そのものをリセットするわけじゃなくて、選ばれた一人が時間ループを繰り返すわけだから、主人公がループするたびに未来の分岐が増えていくわけだよね。
ということは訓練中、主人公が再起不能のケガ後のヒロインに殺されリセットは、主人公の死体がある状況でヒロインだけが残される未来になるわけで……
主人公がたとえ宇宙人を倒すのに成功したとしても、今まで主人公に協力した誰も助からず、確実に生き残るのは主人公だけ。訓練を繰り返したぶんだけ人類が破滅した未来が増えてしまう。

ドラえもん『のび太の魔界大冒険』で、ドラミちゃんがタイムマシンで助けにくる。
しかしのび太は出来事が起こる前の過去へ逃げることなく、未来が分岐することないようにその現実で踏みとどまって戦う……僕はこれを初めて読んだとき頭がぐんにゃりした。
ジャイ子と結婚する未来を阻止するためにきたドラえもんの存在じたい矛盾になるやんけ、と。

過去を干渉するたび、ふえる未来への分岐。
もしいろんな時間改変もの作品が本当にあるのなら、当の本人が関知することのない、たくさんの不必要な未来を含む平行世界が、不燃ゴミのようにこの宇宙の外にうず高く堆積しているんだろうな。

【映画】『アメリカン・ハッスル』

弱みを握られた詐欺師が、FBIに協力して政治家をハメるため筒井康隆『富豪刑事』のような大掛かりなセットの芝居に付き合わされる話。
「本当の愛じゃない」と愛人に罵倒される詐欺師。
しかし、一目惚れも浮気も初恋も本質的な違いはない。恋愛というにはそもそも、根拠のないことに熱病に浮かされたようになることだから。
仏教やキリスト教など教義が体系化されているものも、新興宗教やカルト宗教も、宗教は本質的にイワシの頭を拝むようなものだから、本質的に違いがない。
同じように、FBIが政治家を捕まえるため元々なかった収賄事件をデッチ上げることと、主人公の詐欺行為とどう違うのか。

こんなもやもやする物語なのに、思いの外いい話で終わって驚く。
やっぱり主人公は、主人公である矜持を守らないとならないんだな。

【映画】『少女は自転車に乗って』

ヒロインの前に、立ちはだかる保守的なアラブ社会。イスラムの戒律、王族が支配する身分の固定した国家体制、男女差別。
ヒロインはいろんな束縛が見える人として描かれている。行動に制限をつけられたくない。自転車に乗りたい。顔を隠して歩きたくない。
しかし、母親をはじめ、学校の先生は空気のように束縛(=社会のルール)を受け入れている。強制的な低年齢の結婚、一夫多妻制の女性の扱いの悪さ、女性は家族以外の男性に姿を見られてはならない。遠くからでも男性に見られてはいけない。車を運転してはならない。男性に口答えしてはならない。幼なじみの少年がヒロイン宅に遊びに来て、それを発見した母親が「留守宅に男を入れてると知られたらパパに殺されてしまうわ」
日本からみるといかにもひどい国に見えるが、問題は、そこに住んでいると空気のように気づかないことなのだ。

翻って日本を振り返ると、普段は空気のように気づかないたくさんの束縛がある。同調圧力。友達同士のメールのやりとり。SNS。空気を読んだ発言をしなければならない。身内の責任をとらなければならない。そもそも家族の生活保護受給を何故非難されなければならないのか? 

逆に、僕がイスラム教徒でアラブに住んでいたとして、日本よりメリットのあることってなんだろう。

人は隠されると見たときの興奮がより増すものだから、あれだけ黒い布で隠されていたら、初めて女性のエロ画像、動画を見るときの興奮といったらないだろうな。
これだけ性的なものが氾濫する日本ですらヘアヌード解禁、ネット上でモザイクがない映像を再生したときは衝撃だったのだから。ましてや初めて女性をセックスした日ときたら。なんでも見れるからといっていいわけではない。

そしてこの映画をみている限り、核家族化している日本より家族の結びつきは強そうだ。そしてあの詠唱するようなコーランを読みかた、あれは宗教の一体感を高める役割がありそうで……神、信者そして一族、この世界の一体感。僕らの至福の感覚の比じゃないのだろうか。
せいぜい僕の楽しいことは、一人旅で遠い地のちょっとした人とのふれあいだけ、それに比べたら……

【映画】『ブラック・スネーク・モーン』

僕はツタヤディスカスで常に二百本前後DVD登録している。観終わった映画DVDを送り返すと、次のものが送られてくるようになっている。
そんなわけで最初に登録した映画DVDを登録したのはもう数年前、こうなってくると自分がどうしてこの映画を観ようと思ったのか理由がわからないものもあらわれる。
この映画もDVDが届いた当初はタイトルとサミュエル・ジャクソンが出演しているところから、『ブラックホーク・ダウン』みたいな社会派アクションを想像していた。
そんなつもりで観始めたらぜんぜん違う展開。ヒロインが性的な衝動で人格が変わること『エクソシスト』のごとく……彼女がいかつい黒人サミュエル・L・ジャクソンに鎖で繋がれるところから、猟奇的な『ソウ(SAW)』みたいな映画かと推測したら、また一転、違う展開に。
主要人物はみな心に傷を持ち、どうすることもできずにもがいている。サミュエル・L・ジャクソンの突飛な行動が波紋を広げ、本人も含めそれぞれの内面に変化が生まれる。
スタイリッシュではないが、ちゃんと段取りを踏んでいる丁寧な作り。思いがけない感動作に、少し戸惑う。

【映画】『この空の花 -長岡花火物語』

CGなどパッとみえる画面が、NHKスペシャルの再現ドラマみたいな印象。
フェイクドキュメンタリー風だけど、キャストは知名度の高い俳優使っているからフェイクではないみたい。なのにこの映画のモデルになった人も出てくるからやっぱりドキュメンタリー風?
脈絡なく知名度の高いタレントを演じさせたり、歴史と登場人物の年齢に矛盾があったり、震災のエピソードを唐突に重ねたり……そもそも花火と戦争の論理の飛躍が通常の感覚では理解しがたく、整合性はなくグチャグチャ、やりたい放題。枝葉末節のノイズにイチイチひっかかってしまい僕は本筋に集中できない。いや、そもそも本筋があるのかわからない。
ノイズをモザイクみたいにギッチリ集めて作ったような、部分的な塊には整合性がないけれども、全体を通して観るとよくわからない鵺のような怪物として成り立っているような……

歯痛と痛み止めの副作用で朦朧としていたこともあり、僕の意識はオーバーヒートしてしまった。
でも空襲から花火に至るシーンの鬼気迫る表現には圧倒された。悪い夢を見そうだ。

【映画】『エルマー・ガントリー/魅せられた男』

エルマー・ガントリーが売春婦にハメられ、スキャンダル写真が新聞に掲載された後の、大衆の手のひら返しがすごい。
仮にもキリスト教国家だから、
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
とイエスが言ったエピソードを知らぬはずがないのに、どんだけ居丈高で責めるんだ。
TwitterなどSNSの炎上は、ネット時代特有のものかと思っていたら、そうでもないのな。
そういえばカトリック国イタリアでも、ファシスト党幹部は吊るされ、民衆の晒し者にされているし。
教会を扱った映画なのにかえって、イエス・キリストから百万光年離れた人間を見てしまう皮肉さ。
この映画における最後の希望の光が、宗教を超えたところにあるエルマー・ガントリーの優しさだった、というのが何とも……

【映画】『ブレイブハート』

先日見た『300 〈スリーハンドレッド〉』と比べて、歩兵のレベルの低さよ。ギリシア時代の盾があれだけ堅牢なのに、スコットランド人は木の鍋の蓋みたいなものを盾に使って矢がブスブス刺さっている。中世って本当ダサイ。
牧歌的な雰囲気が残虐な戦闘シーンに一転、また牧歌的な雰囲気に……その繰り返しがメリハリ効いていて三時間近くあるのに飽きさせない。
残虐シーンの一番どぎつい部分は映さないようにしているところがいかにもハリウッド仕様。
裏切りから希望そしてまた裏切り。
最後の処刑場。自分たちを救うはずだったが失敗した主人公に対して群衆の石つぶて。鬼の首をとったように野々村議員、小保方晴子氏、佐村河内守氏を叩きまくる人たちと同じ。(倫理的に)自分が立場が上だからと容赦なく相手を叩いていたら、韓国が日本を叩く心情と同じだ。
……などとりとめなく連想しながら観ていたが、(史実的な正しさはともかく)この映画単体としては、ハリウッド映画として神話譚として大変勉強になった。

【映画】『三重スパイ』

フランスに亡命したロシア帝政の元軍人とその妻……の会話劇。
フランスで有名な事件なのだろうか、実話をヒントにして製作者の解釈を交え作られているらしい。 
登場人物の政治的立場がよくわからないので、何が起こっているか把握できない。
誰が三重スパイなのかわからないまま観ている。
説明を絵でなく会話で行ううえ、その会話が退屈なので眠くて仕方がない。
最後に、ああこの人が三重スパイなのか〜とわかるが、何と何と何の三重だったかまではわからなかった。

【映画】『パイオニア』

宇宙空間のような深海の映像から映画が始まる。
昨今の宇宙ブームにも乗っかっているうえ、宇宙に比べ低予算で製作できるし、うまいところに目をつけたものだと思う。
ところが中盤から舞台は地上に移り、クライム・サスペンス風になる。
アクション要素が入って船は爆発、主人公は高圧力の拷問を受け、最初と全然違うけどサービス精神もあるしこれはこれで……と思っていると、実話をもとに作られている映画なのでラストはカタルシスのある展開にならず、落ち着くところに落ち着く。
煮え切らず物足りない。全てが中途半端な印象

【映画】『300~帝国の進撃~』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

『300』の続編、『300』と同じ時間軸で進行している出来事をアテネ側から描いたもの。
前作と同じ時間軸の出来事なのに、登場人物の主観によって、時間が行ったり来たり場所が転々とするので混乱してしまう。

前回の三〇〇対一〇〇万に比べると戦いは底まで切羽詰まっていなくグダグダな印象。
病んでる女性悪役が新鮮、対して主人公のキャラが薄い。

エンドロールのアニメのほうが本編より格好よかった。

【映画】『未知との遭遇』

今どき初めて鑑賞。なかなかに新鮮だった。
宇宙人の意図がわからない。恒星間飛行する科学力を持った宇宙人がどうして民家の窓や床板や煙突から入ってきて子供をさらおうとするのか。
宇宙人の電波に影響されてデビルズタワーに集まってくる人たちもよくわからない。音階で緯度経度を教えているのなら、どうしてこのうえ間違って解釈する可能性のある映像を宇宙人は配信してしまうのか。主人公含め受信者は周囲との関係に破綻をきたしてしまう。いい迷惑だ。
そして最後に宇宙船から出てきた、行って帰ってきた人達が地球に住む我々と大きな変化がない。普通の格好で着の身着のままでダラダラ歩いてくる。じゃあ何のため連れて行ったんだ。
全くもって宇宙人の意図がよくわからない。

【映画】『300』

やっぱりアメリカって
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
と本気で思っているのかもしれない。
この映画で正しい決断、行動をしているとされるスパルタ王は見事なまでの筋肉で鎧もつけず裸で戦い、正義=健全なる精神=健全な肉体を体現している。
生まれたときにスパルタの選別から落とされた醜いせむし男(健全でない身体)は祖国を裏切り(健全でない精神)、ペルシア王のもとへ。
西洋を侵略しようとする(健全でない精神)ペルシアは、オカマ風のペルシア王(健全でない身体)が身障者(健全でない身体)を周囲に侍らせてハーレムを作っている。
王妃を裏切ろうとしたスパルタ評議会のメンバーはスパルタ王のようにマッチョでない(健全でない身体)から、健全なる精神を持っていないということだろうか。

この世界観なら僕は一番に殺されるだろうな。

【映画】『三人のゴースト』

クリスマスにあらわれたゴーストが時間と空間を超えて、主人公に真実を目の当たりにさせ、冷たい人間になってしまった主人公に人間性を取り戻させる。
……何でわざわざ主人公にだけそんなおせっかいな出来事がおこるんだ。
映画だからといえばそれまでだけど、そもそも主人公って冷たい人間であっても悪意で人に危害を加えたりしておらず、被害を受けた人もたかが知れている。独裁国家の元首とかもっとしかるべき人のもとにゴーストはあらわれてやれよ。
そしてこういう映画の定番通り主人公は改心して、テレビの前で演説を始めるが、そこまで人間って単純なのか! と最後までピンとこないこと甚だしかった。

【映画】『狼たちの午後』

夏の暑い午後、男たちは銀行強盗を企んだが……
行ったり来たり強盗も警察も人質もハッキリ状況が把握できない、どこに話が転ぶのかわからない、先の見えなさ、何もうまくいかないもどかしさが画面から伝わってくる。
そのまま強盗が人質と暮らす生活が日常化して続くような筒井康隆氏のSF的なドタバタかと思うとそうでもなく、終盤、銀行から場面転換する。どうやら実際にあった出来事を映画化したもののようだ。
しかし僕にとってそれが面白いとも思えず、もどかしいだけのカタルシスのない映画だった。リアルタイムで観て映画がつくられた背景を知っていれもっとば楽しめたのかもしれないが。