こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな映画を観た!

【映画】『武器人間』

武器人間が『電人ザボーガー』『太陽の星アステカイザー』『ロボット刑事K』などを彷彿とさせる七〇年代の低予算特撮に出てくる怪人のようなデザイン。
二〇一〇年代の昨今だと一回転してちょっとかっこよく感じる。

お約束とはいえこういうモキュメンタリー映画は、誰がどうやっていつまでカメラを回し続けるのかという問題が浮上する。
こんな戦場で何故そこまでしてカメラを回し続けなければらなないのか。
最後はカメラマン自体が拘束されて手術台の上、どうするのかと思ったら
「こうやって映すのか」
て他の人が替わりに映し始めることに無理やりさを感じる。
(ギャグ寄りになってしまう)
そしてこの映画もやっぱり、カメラが映し続ける映像の最後と出来事(物語)のラストのリンクがずれ、完全な問題解決を観ることができないまま終わってしまう。

【映画】『インターステラー』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

ワームホールを抜けて到着した先は、恒星とブラックホールと中性子星……三つ以上の連星を回る惑星系。
どう考えても、惑星の軌道が不安定で人間は住むことが出来なさそうだ。

結果的にはそこへ行くこと自体は重要でなく、単にブラックホールに主人公がいけば済む問題だった。
だったらいっそのこと地球の近くにワームホールを作ってそこから直接ブラックホールに向かうことができれば、面倒くさい手間はかけずに済んだのに。

ブラックホール描写は科学者の監修が付いているからケチを付けても仕方ないことにしても、それ以外の物語のファンタジー度と言ったら。
全体的なプロットは藤子・F・不二雄『ドラえもん』の「あやうし! ライオン仮面」で、親子の関係性は楳図かずお『漂流教室』といった体だ。
それにしてもプロット上の穴が多いのは、ブラックホールの穴のメタファーなのだろうか。

【映画】『ラストベガス』

まだまだわしらも若いもんには負けないぞ、ちょっとどんくさい所もあるけどそこもまた味なのだ!
という感じで老人四人組がトラブルを乗り越え活躍するのだが、そこにギミックはない。
例えば物語を通して主人公たちが妙にモテるのだが、そのモテかたが年の功(スキルやエピソード)だったり何か理由があるわけでなくなく、単に性的魅力があるからモテたりする。
彼ら(マイケル・ダグラス、ロバート・デ・ニーロ、モーガン・フリーマン、ケヴィン・クライン)がハリウッドスターという名声でモテるというのならまだわかるが、ただの一般的な年寄りなのに、何故?
チンピラの若者に絡まれたときは、相手をパンチで叩きのめす。
年をとっても格闘技を続けていたようなエピソード、偶然、ギミックなど……説明はない。
入ってすぐに腰をおろして参加したカジノで大儲けすることも……説明はない。
(本当にただ単に大当たりするだけ!)
無条件で世界中が彼らを応援する、そんなパラレルワールドに迷い込んだような印象……これはまぎれもないSFだ。

僕もあと三〇年たったらこういう映画を楽しめるようになるのだろうか?
今の気持ちとしてはこういう映画を楽しめるような年寄りにはなりたくないけれども。

そもそもこういう映画を観に行く人がいるというこの現実世界……これはまぎれもないSFだ。

【映画】『ポンペイ』

『タイタニック』と基本的なプロットはほぼ同じ。
身分違いの恋、男は女に自分の住んでいる場所から一歩外へ踏み出すきっかけを作る……しかしそれだけではなくグラディエーター、ディザスター、ラブロマンスなどたくさんの要素を入れることによってそれぞれのいい部分を相殺し、『タイタニック』にないB級感を増すことに成功している。

結果的に登場人物全員死ぬという容赦無さが『タイタニック』との違いを浮き出させている。
唯一救いがあるとすれば、自分のエゴを捨てて他人のために行動した者は死んだけれども魂は浄化されるということだろうか。
思考停止にもほどがあり作り手の志の低さ推して知るべしだけれども、隠しもせず堂々としているところは見習うべき。

ラスト、二人がキスをした瞬間に火砕流が飲み込んでしまい、カットが切り替わるとキスしたまま彫像のように固まっている二人が大写し、そのままカメラが周囲をグルグル回るシーンは必見!

【映画】『her/世界でひとつの彼女』

現代的な問題を真正面から扱っていて、なおかつ逃げていない。
否定をするわけでもなく一般的な問題として捉えている。
ただし時代性を乗り越えたかというと、そこからは一歩踏み出せていなような気がする。
だからどうなのか、というこの先を見たかった。

それでも「コンピュータに依存するのはやめて現実で生身の彼女と付き合ってハッピー・エンド!」……みたいな思考停止的ラストにならないだけよかった。
日本のドラマや映画だったら普通にこんな感じで終わりそうだ。

それにしてもこんな不安定なOSをコンピュータに入れるなんてリスキー過ぎる。
これで仕事に支障をきたした場合、補償金は出るのだろうか。

【映画】『デッドフォール 極寒地帯』

ただの雪山アクション映画かと思って観ていたら、それぞれの登場人物が持っている問題点(主に親子関係)が物語の展開とともに明らかになっていき……心理サスペンスであることがわかってくる。
ラスト、部屋の中で主要登場人物が一同に会する。
映画『ある戦慄』で、閉鎖空間(電車内)の暴漢によって乗客の人間性があらわになっていくかのようだ。
しかし一番問題があるのは当の場を仕切る強盗であり兄であるアディソン。
ラスト、神のように振る舞うアディソンへ向かい、運命の神の剣の切っ先が逆に向けられ、その因果は閉じる。

【映画】『ラストミッション』

プロフェッショナルが苦戦しながら家族の安寧を取り戻すために戦う話。
昨日鑑賞した『バトルフロント』ほか、『96時間』『トカレフ』など……この数年で同じパターンの映画を観ることが多い。
この手の映画でありがちな展開:壊れている家族間の愛情(離婚してたり片親だったり殺されたり)を取り戻そうとする→家族が危険にさらされる→ウィークポイントになって敵に突かれる。

しかし似たような構造なのに、昨日鑑賞した『バトルフロント』と比べると大きな断絶がある。
作家の必然性なく作られた、柳の下のドジョウに見えて仕方ない。

CIAのエージェントである主人公が第三国で主権侵害行為を繰り返す、その正当性が見いだせない。
敵が悪そうな奴としてしか描いていない(上司からターゲットに命じられている以上の理由がない)ので、主人公がいかにも利己的な動機で暴力をふるっているように見える。

余命いくばくもない病気に侵されている+薬の副作用がある主人公になぜ単独で任務を遂行させるのか?
主人公に指令を与える女が作戦に協力しない不思議(CIAにとって重要で予算をかけている作戦にも関わらず)、ただ単にエロ要員でしかない。

そして娘が敵のターゲットになったような伏線があるのに、最後まで何も起こらず娘は無傷なまま……何このザルのような話?

【映画】『バトルフロント』

いかにもなシルベスター・スタローン脚本。
閉鎖的な街でトラブルに巻き込まれたプロフェッショナルが、能力を読み違えていた人たちを返り討ちにする……現代風にアレンジされた『ランボー』のような印象。
『ランボー』的なことを今映画で作るとしたら、これがリアリティの落とし所なのだろうか。

主人公/ブローカーが精一杯自分の度量のなかで負の連鎖を止めようと娘と同じ学校のモンペと仲直りする展開は嫌いじゃない、むしろ好感が持てる。
ブローカーも勘違いして相手に怒ったり、でもそのままにせず謝まりにいったり。
主人公としての矜持を守りつつも人間としての揺らぎがある(キャラクターの掘り下げ)。
そういうところが、印象が似ている同じ系列の映画のなかで頭ひとつ抜けている理由なのだろう。
ラスト、悪あがきを重ねた敵に正義の鉄槌!
最後の最後に爆発させるカタルシスが心地いい。

【映画】『フューリー』

映画館で観終わったときには新人兵隊が一人前の戦士に成長していく成長譚(ぎりぎりポジティブ)として捉えていたのだが、家に帰り一晩考えてみるとその逆、人間性を喪失していく過程(ネガティブ)を描いたものかもしれないと思うようになる。
(『フルメタル・ジャケット』のブートキャンプのごとく)

主人公は戦争という経験を経て、マシーンというあだ名を付けられる=戦車のパーツとして完成する。
銃を握ることすらできなかった主人公は、ラスト、銃を手放すことを恐れるようになる。
戦争という人間性が究極的に剥がされる出来事を描いているこの映画で、唯一の救いは主人公を助けたドイツSSの少年のように、人間性を最後まで持ち続けることなのだ。

しかし自分にそんな人間性を持ち続ける強さがあるかと問われると
「ない」
と即答するしかない。
人間性を失わないためには肉体的にも精神的にも尋常でない強さが必要だと実感。

【映画】『タクシードライバー』

一〇代の頃、友達と一緒に深夜のテレビ放送で観たときは正直よくわからなかった。
久しぶりに鑑賞してみると、以前に比べると理解できる部分は多くなった。
完全に理解できたわけでない……わかる部分はあるが共感はしにくいといったところだろうか。

観ていて大学時代の友達のことを思い出した。
彼は才能があって頭も良かったのだが、不器用で周囲と折り合いがつかず、いまは絵に関係のある仕事ではなく労働者として働いている。
学生時代から熱心だった政治運動にさらにのめりこんでいき、日本が右傾化していくことをおおいに憂いている。
足元がふらふらしていて寄る辺もない現在の自分、何かしなければならないという焦燥感が社会に向けられているように見える。

僕の友達と同じく、ベッツィー(主人公トラヴィスが好きになった女性)も政治活動をしている。
そこで声をかけてきたトラヴィスにホイホイとすぐついていくということは、何処かへ連れて行ってくれる誰かをつねに望んでいるからだ。
ベッツィーはインテリジェンスがあるから政治活動をしているだけで、本質的にはトラヴィスと同じ、自分の立っている場所が不安で確固とた地面ではない。
(だから大統領候補のような確信を持った行動をしている人に引き寄せられる)

トラヴィスも、ベッツィーも、僕の友達……そして僕も、現実社会の揺らめく不安のなか佇んでいる。
「頑張っても意味ないのさ」としたり顔で言うタクシードライバーの同僚のような、自分が確固としたところにいると思っている(疑いを持っていない)人たちになることの方を恐れなければならない。

誰でも自分の中にトラヴィスがいる。
しかし現実と理想のギャップを埋めるためショートカットしてしまう(短絡的な行動に走る)とトラヴィスそのものになる。
自分の中にいるトラヴィスを飼いならさなければならないのだ。

【映画】『荒野の決闘』

ドク・ホリディ、ワイアット・アープ、OK牧場、西部劇を観ることのない僕でも聞いたことのある固有名詞が飛び交う。
この映画の中の「OK牧場での決闘」事件は実際にあったことであり何度も映画で再現されているようで(この物語では止むに止まれぬ正義のための戦い風に描かれているが史実は全く異なるようだ)、きっとアメリカで語り継がれる大事な物語なのだろう。
日本で言えば「赤穂浪士」のようなものだろうか。
日本の物語が封建的な敵討ち、アメリカは無法者同士の銃の撃ち合い、というのがそれぞれのお国柄を表しているように思える。

荒野に浮かぶ雲がダイナミックで印象的だった。

【映画】『天才スピヴェット』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

ロードムービー的な前半は面白いけれども、スミソニアンに着いて以降はあまりいただけない。
主人公がそれまで住んでいた場所では何をしても周囲に受け入れられることがなかったのに、いきなりトントン拍子に物事が進む。
あまりにもスムーズに展開するので、スピーチしている時点、あるいはテレビに出演している時点で
「……という夢を見てた!」
発明品スケッチの形のオネショしました……的な展開を思っていた。

マスコミでちやほやされている主人公を観て家族が驚く、という描写がないことが不思議。

「あなたは悪くないのよ」
主人公に向かって母親は言うのだが、そらそうだろとしか思えない。
どう考えても弟に銃を与えた父親が悪いのに、父親が責められることがないことも不思議。
弟が犬死に。

【映画】『マイレージ、マイライフ』

解雇宣告のプロフェッショナルである主人公が、新システムの導入によって自らがリストラされるかもしれない立場となる。
環境の変化とささやかな事件の積み重ねで、確固とした信念を持ってきたはずの主人公が、孤独(自由)と連帯感(拘束)のはざまで揺れる。

孤独に耐えて生きる覚悟がある人間でさえも時には動揺する……かように人生は一筋縄でいかない。
それでいて家族愛を選んでハッピー・エンド、という単純な(王道で観客がその場限りで安心できる)結論に至らないところに制作者の一筋縄でいかない姿勢を感じる。

個人的には、あまりに自分とかけ離れたシチュエーションで感情移入しにくいキャラクターで進行するストーリーなので入りづらかった。

【映画】『2010年』

ヘレン・ミレンの鼻をペロン・ペロンしたい!
まだ三〇代、チリチリパーマでピチピチしていてお色気ムンムン。

丁寧に小説『2010年宇宙の旅』をなぞっている。
映画版前作に比べるとはるかにわかりやすい。

非常にわかりやすい演出……怖いシーンには怖い音楽(当時流行りの電子音)が流れ、宇宙空間は最先端SFXで合成されている……製作した時代を考えると手堅く仕上げているけれども、この同時代性は劣化しやすい危険性もはらんでいる。
当時最先端だったからこそ使い古されてしまい、そのチャチさに観ていられない。

原作にない要素、米ソ対立を軸に物語を描いていることも劣化に輪をかけている。
映画公開時はぴったりはまっていたのに一〇年もせずソ連は崩壊、完全にその見せ方が時代遅れとなってしまった……

【映画】『2001年宇宙の旅』

中学生のころ鑑賞したときはちんぷんかんぷんだったのだけれども、今回、小説版で予習してから鑑賞したらずば抜けた傑作に思えた不思議。
全て説明しきっている小説版より、象徴的かつ哲学的。
サスペンスタッチの探査船内の攻防もスリリング。

キューブリック監督のモンタージュのテクニック(というよりもはや魔術)はすごい。
スターゲートを超えた後、主人公のポッドが部屋に現れ、急激に老い、最後の晩餐をしてから眠る、それを見つめるモノリス……視線誘導からミスリードを誘わせるようなカットをつないだ一連のモンタージュは、小説を読んだ後にこそ真価がわかる。
人間とコンピュータのサバイバル戦に勝利し、「超人への道」を通った人間が生まれ変わり赤ん坊(スターチャイルド)になって地球へ戻ってくる……R・シュトラウス「ツァラトゥストラかく語りき」が高らかになりだすエンドロール。
ピッタリはまりすぎて恐ろしいくらい。

今回の鑑賞で、これはSFというジャンルで最高レベルの作品でないか、という気がしてきた。

【映画】『インドへの道』

結婚に悩んで揺れているイギリス人女性(主人公)が、インドの持つプリミティブな力に圧倒されさらに情緒が不安定になる話……だと思う。

後半の法廷シーンでもっと盛り上がりそうなものなのに、僕の中でいっこうに盛り上がらない。
主人公がインド人医師に洞窟で襲われたか襲われなかったか……真相は「藪の中」的なミステリ展開にだったらまだ納得がいく。
しかし観客には完全な客観的事実を観せているので、そこで盛り上がることはない。

ということで主人公が何故あんなことを言ったかという点に興味が集中するのだが、そのみせ方があやふやで歯切れが悪い。
演出意図が理解しがたい。