こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな映画を観た!

【映画】『猿の惑星 新世紀(ライジング)』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

前作から一〇年後、致死性ウィルスによって絶滅寸前となった人類、地球は知能を得た猿が支配しつつあった……かろうじてコロニー内で生き延びた人類は猿のテリトリーに足を踏み入れ、衝突が起こる……

人間の中の敵、猿の中の敵……共感できるものできないものは種を超える。
コミュニケーションの衝突がドラマを作る。

映画が終わってから考えてみると、ボス猿とワル猿が衝突することは避けられなかった。
たまたま人類と出会ったことをきっかけに下克上を起こしたに過ぎず、出会わなくても、いずれ衝突していただろう。

日本と中国、中東とアメリカ……国同士のいがみあい、人類の本質を象徴的に描いている。
たかが猿の話なのに考えさせられることしきり。

こんなによくできた物語はそうそうないのに『猿の惑星』というだけで敬遠する人も多いことが残念。
(僕が観た回も、上映開始から一週間以内なのに観客は数人)

はたして『猿の惑星』だから観に来ることのメリットと敬遠するデメリット、天秤にかけてどちらが有利なのだろうか。

【映画】『がんばれ! ベアーズ』

地元少年野球の弱小チーム「ベアーズ」は勝つことの喜びを次第に知っていく……

監督が、知り合いの女子豪腕ピッチャーを連れてきてレベルアップ、運動神経抜群の不良を連れてきてまたレベルアップ。

チームの他のメンバーの練習は適当。
葛藤は描くが成長するところはあまり描かれない。
現代のハリウッド映画ほど、精密な伏線の積み上げが見られない。
ただ段取りっぽくなく、精密でないところがかえってリアルだったりもする。

チグハグな映画だな〜と思って観ていたら最後の最後でそれぞれの葛藤がある程度解決して終了。
監督と女子と不良以外はあまり成長しなかったが、終わりよければ全てよしってことで。

【映画】『バードケージ』

オカマバーのオーナーとパートナーはひょんなことから授かった息子を育てている。
二〇歳になった息子は結婚したいと言いだす。
二人は息子のために、オカマであることを隠し身分を偽り、相手家族(堅物の政治家)を自分の家に招待するが……

ヨーロッパで公開されたミュージカルおよび映画をハリウッド化したもの。

コミニュケーションすれ違い型エスカレーションドタバタコメディ。
ネタはよく出来ているのだが、それ自体で完結していて、現実に生活している僕とつながりを感じることが出来ない。

三谷幸喜氏の映画を観ているときと同じ「面白いは面白いんだけどな〜……」という絵空事な印象。

【映画】『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

宇宙を股にかけるトレジャーハンター(ピーター)は宇宙の秘宝のオーブを手に入れたことをきっかけに、宇宙規模の戦いに巻き込まれていく……

映画が進むにつれ、自分の頭がおかしいのかと疑い始める。
周囲のクリエイターさんたちがこの映画をこぞってほめている理由がさっぱりわからないのだ。
この映画、ぶっちゃけ退屈なところ多過ぎじゃない? 

情報が多いにも関わらず、説明不足感がある。
前半は誰が主要登場人物で何をしようとしているのか、さっぱりわからなかった。

SFの皮をかぶっているが、新鮮なセンス・オブ・ワンダーはほぼ皆無。
舞台が古代ローマでもアメリカ開拓時代でも現代でも、同じプロットで容易に物語が成立する、本来の意味(クラシックなタイプ)でのスペースオペラ。

僕はそこまでSFにこだわっているわけではないけれど……普通のアクション映画が、今風SFテイストとマーブルコミックのブランドで評価が嵩上げされているような気が……

地球よりはるかに進んだ惑星に建ち並ぶビルのデザインがそろいもそろって東京モード学園みたいなのは面白かった。

【映画】『マチェーテ』

敵の汚い罠にかかり、不法移民となった元捜査官マチェーテ。
そんな彼に議員の暗殺を依頼する謎の男が近づいてきた……

先日鑑賞した『マチェーテ・キルズ』がイマイチだったので確認するため観直す。

シナリオが整理されていてシンプル、社会風刺、遊びが全て絡み合っている。
変にCGが自己主張しておらず、手作り感が心地よい。
思い出補正でなく、こちらのほうが断然面白かった。

【映画】『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』

主人公のマリアッチ(流しのミュージシャン)は妻と子供の敵と戦うため、死人のような生活から立ち上がる……

うっすらと連続性のある『マリアッチ』シリーズの三作目。
いくつもの視点から物語が錯綜してわかりにくい。

マリアッチがあまり活躍しない。
マリアッチが手の傷でギターをうまく弾くことができないという設定はどこかへ行ってしまった。
オートバイに追いかけられるチェイスが適当すぎて笑える。
マリアッチが相棒を連れてくる意味がわからない。

マリアッチ軍団がギターを駆使して軍隊と戦う展開を期待していた。

【映画】『鬼が来た!』

日中戦争の末期、日本軍が駐屯する村のある家に夜半に訪れた正体不明の男は、主人公の頭に銃を突きつけ二つの麻袋を預かるように言う。
その袋の中にはそれぞれ日本軍兵士と中国人通訳が入っていた。
村人たちは袋の二人をどうするか相談を始める……

日本軍は、史実に沿って描くというより不条理で抗えないものの象徴。

通訳を交えてのコミュニケーションに関するギャグはコミカルだが、それも映画の一要素にすぎない。
不条理な暴力。
予定調和にならない展開。
選択と行動……麻袋を預けられた男はいったい、どんな行動をすればよかったのだろうか?

たくさんの要素が入り過ぎていて自分の中でまとめることができない。

【映画】『プラネット・テラー』

軍基地から漏れた生物兵器によってゾンビ化した人々が街を襲う。
コメディアン志望のダンサー・チェリーはゾンビに襲われ失った片足にマシンガンを装着して戦う……

B級映画の体のメタ作品。
シナリオは説明不足なところも含め、B級っぽく丁寧に仕上げられている。
(「B級っぽく丁寧に」って矛盾する概念だ)

だから単純にB級映画を楽しむような感覚で観ることできない。
バカなシーンも
「どうせワザとやっているんでしょ」
と計算が見えてしまい、素直に楽しめない。
自分のひねくれ具合が悲しい。

チェリー役のローズ・マッゴーワンの年齢を感じさせる腋の黒い剃り跡、肌のたるみがリアルで興奮。
僕のよだれ心をそそる。

【映画】『デスペラード』

ギターケースを手に男が街にやってくる。しかしその男はマリアッチ(流しの歌唄い)ではなくギターケースの中には復讐のための武器が入っていた……

ロドリゲス監督の前作『エル・マリアッチ』と関連があるみたいで、主人公が見る悪夢に前作のラストシーンを示唆する映像が現れる。
しかし悪夢の中で前作のヒロインを前作の悪役の前で抱きかかえているのは、今作の主人公アントニオ・バンデラスなので直接的なつながりがあるのかないのかわからなくなって混乱する。

しかも今作の主人公が呼んだ助っ人が前作の主人公だから混乱によけい拍車がかかる。

銃撃シーン、見せ場は面白かったが、物語自体は前作より行き当たりばったりな印象。
ブシェミ登場も活躍することなく死ぬし。
ダニー・トレホも何の目的で歩き回っているのかよくわからない。
前作のようにひとつの歯車が狂うことによって事態がエスカレーションしていく、シナリオの面白さはあまり感じられない。

【映画】『エル・マリアッチ』

マリアッチ(ギターを持った歌手)がたまたま訪れた街で、マフィアの抗争に巻き込まれる……

物語自体はシンプルだがものすごく僕好み。

ただ、これは見慣れていないということもあるだろうが、メキシコ人の男性がみなモジャモジャ黒髪、一様に口ひげで小太り、区別がつきにくい。
誰かひとり髪型を刈り上げにしたら、メリハリがついていたらもっとわかりやすかった。

主人公であるマリアッチとマフィアの首領も、眼の色が薄い白人という点で区別がつきにくい。
どちらかが刈り上げにすればなおよかった。

【映画】『ショーシャンクの空に』

刑務所ショーシャンクに無実の罪で収監された男はそれでも希望を失わず、前向きに生きていくのだった……

二〇年ぶり二度目の鑑賞。
エンタメとしてわかりやすいけれど、その間口の広さが深みを失わせているかというとむしろその逆。
「希望を失わない」というテーマは、学生時代よりも現在のほうが実感として身にしみる。

まったく、僕は今、魂の牢獄に閉じ込められているかのようだ。
「悪いことは長く続かない」
と信じてひたすら頑張ろう。

【映画】『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』

「例のあの人」とハリーは決戦のときをむかえる……

最後まで行き当たりばったりな展開。
演出が間延びしすぎ。
主人公の危機から逆転に至るまでのシーン、緊張感が続かない。

最高のタイミングでクライマックスを迎えることができたのに、中途半端に原作に忠実であろうとしたためか、どっちつかずになっている。

それにしても最後までハリーの主体的な選択しない感はすごい。
最後の命を賭けた選択を含め、全部段取り通りなんて。

そういえばクライマックス手前、セブルス・スネイプ先生のとあるシーンでようやく涙をながすことができたが、そこにいたるまでシリーズの第一話から第七話まで映画を観た時間は合計二〇時間近く経過……
涙のコストパフォーマンスが悪い。

【映画】『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』

ハリーたち三人は「例のあの人」の魂が封印されている七つの分霊箱を探す旅に出る……

『ハリー・ポッター』シリーズは本を読んで楽しむことが前提で、映画はあくまで本を補完するものなのかもしれない。

映画単体で観ると、あきらかにおかしい演出が多くて展開がグダグダ。
到底意味があるとは思えない行動を行ったり来たり。

例えば、ハリーの両親が死んだ地を訪れたとき、たまたまそこを歩いていたいかにも怪しい老女を
「ダンブルドアの友人だ!」
と思い込みついていき、案の定襲われてしまう。

それが次のエピソードに繋がっているわけでもない。
つながりの薄いエピソードが数珠つなぎに並んでいるだけ。
原作通りにやらなければならないということで無理やり入れたエピソードが、映画の尺ゆえの時間制限で説明不足になっている、ということなら納得がいく……
というか、そういう理由でもないと理解不能過ぎる。

登場人物の行動はみな支離滅裂、その場を反射的に動くだけでとうてい主体的に行動しているとはいえない。
危機に陥ったとき、機転や能力で脱するわけでなく、偶然や誰かの助けによってその場はなし崩しに何とかなるのだ。

【映画】『ハリー・ポッターと謎のプリンス』

「あの人」の不死の力を探るため、校長に命じられてハリーが頑張る……という話。

『ハリー・ポッター』シリーズの中で最も脈絡のないストーリー。
つながりがよくわからないエピソードがずっと続き、物語がどこに向かおうとしているのがさっぱりわからない。
それぞれのエピソードも細かいところに変な部分が多すぎ、観ていて集中できない。

特にクライマックス、校長が連れて行った洞窟にて、そこに何故「分霊箱」があると校長が知っているのかわからない。
そして校長は
「容器の中の水を飲み干さなければならない」
と言って頑張り始めるが、飲み干さなければならないその前提はどこから出てきたのかわからない。

飲み干した後、ハリーがせっかく飲み干した容器の中に魔法で水を出し、校長に飲ませようとするのもよくわからない。

飲み干した後、水面から敵が襲ってくる顛末もよくわからない。

そもそも何でそんな危険なことをふたりきりで行おうとするのだろうか?
大事な「選ばれし者」であるハリーがそこにいなければならない必然性がわからない。

ハリーはここに至るもまだ主体的に行動しない。
命じられたとおりに行動し、何か出来事が起こってから反射的に動くだけ。

【映画】『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』

「あの人」がとうとう復活、しかし世間は恐ろしいがあまり誰も信じてくれない。
仕方なしにハリーたち生徒は魔法を自主練して闇の力に対抗しようとするが、魔法省から派遣された悪い先生が邪魔をする……という話。

新しく赴任したいじわるな先生に不条理ないやがらせを受けても、ハリーはあくまで直接的に逆らわないので観ていてイライラする。

先生の体罰によって手に刻まれた字が何の意味もない。
それが手枷になるのかと思ったら、ただ絵面だけのことだった。

クライマックス手前、悪い先生をいったん巨人に会わせてからシリウスを助けにいく、その展開がモタモタして死ぬほどイライラする。
小説版にある重要なエピソードが抜けているため、段取りが悪くなっている、あるいはつながりが悪くなっているのかもしれない。
どちらにしろシナリオのレベルで問題があり過ぎる。

ラスト、ハリーがどういう必然で敵の意識を打ち払ったのかわからない。
敵を克服する訓練が完全には成功しておらず、しかも中途で訓練を抜けているのに。
根性?
友情パワー?
どちらにしろ、やっぱり最後は機転や努力と関係がない。

【映画】『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』

ひょんなことからハリーは魔法学校対抗試合に参加することになるが、気が進まない。
実はその裏では「あの人」が復活のため暗躍していたのだった……という話。

ここまで進むと、『ハリー・ポッター』シリーズの共通する法則が見えてくる。
「誰かが悪いことをしようとしてることが冒頭で明示されるが、物語の中で一番怪しい人がその誰かではなく、無害そうな人が実は犯人なのだ」の法則。

思いがけずクジでハリーが対抗試合に選抜されるところから物語は始まる。
また受動的にハリーが事件に巻き込まれるのか、とうんざりする。

相変わらず、対抗試合の中でハリーがあきらかにタイムオーバーなのにそれを誰も突っ込まず高得点をとったり、先生はえこひいきに過ぎる。

ハリーは危機を脱するとき、血のつながりや彼にだけ与えられた特別なものが事態を好転させる。
ハリー自身は努力するわけでもないし、機転も利かせない。

……観ていてモヤモヤする。