こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
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【本】『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

人類が人類であることを構成するあらゆる自然科学の発展の歴史をエッセイ風に描いている。
八〇〇ページ超え、軽く辞書のようだ。

アインシュタインがあの数百年あるいは一〇〇〇年単位の快挙だった相対性理論の発見のあと、人生の半分を有意義でないことの研究に費やしたことを知り、そんな天才ですら誤るのだから僕みたいな凡人ならなおさら……と未完成過ぎる人類の知性に対して諦観し、あとほんの少しの安心する。

たかだか一〇年前の本だが、ここに書かれていることの幾つかはもう陳腐化している科学の進歩のはやさがなかなかに感慨深い。

【本】『かもめ・ワーニャ伯父さん』チェーホフ

チェーホフは初読。
『桜の園』が吉田秋生「櫻の園」(映画化された)の元ネタということは知っている。
あと最近読んだ、ふみふみこ『さくらの園 』も『桜の園』のオマージュらしいが、何しろ『桜の園』を読んでいないのでわからない。

読んで身につまされ痛々しい。
『かもめ』の主人公トレープレフのラストのような勇気もない、ワーニャ伯父さんがごとく偏屈な中年になった自分は、それでもこの現実を生きていかざるを得ない。
一〇代のときはそんなこと思いもしなかっただろうし、この小説の意味を実感することもできなかっただろう。
そんな気持ちを理解できることが、いいことなのかどうなのか……

それでも、生きていかざるをえないのだ! 

【本】『竹取物語』星新一

星新一氏の翻訳本は、他人が訳したものを氏の名前だけ貸すケースが多いらしいので警戒して読み始める。
読んでみて安心、これは他人作ではなく、『できそこない博物館』や『進化した猿たち』のように創作論と絡めて描いている実に星新一的な視点の入った新約と言ってよい『竹取物語』。
主観が強い(解釈が個性的な)読み物けれども、星新一ファンあるいはSFファンなら読んで楽しいはず。

【本】『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』フィリップ・K・ディック

数年ぶりの再読。
それまでは中盤までのわかりやすさに比べてラストのわかりにくさといったらない……という印象だったが、今回読んでみてこのラストが当然の帰結と納得。
意識的か無意識的かわからないけれども、ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』に沿って物語が作られている。
「ニューロマンサー」の影響も感じるがそれはよく考えたら逆か。
読んだ順番が逆だからいつもこんがらがってしまう。

この小説に関しては時期をおいて再読するごとに自分の理解が深まったことを実感できる。 
読書量と国語力はやはり比例するのだ。

【本】【漫画】『竹取物語』池田理代子

かぐや姫はUFOで地球に送られたというSF的設定、月の世界からの使者もUFOで訪れる。
なのにこの『竹取物語』の大筋は池田理代子氏なりに解釈して表現されたものではなく、日本の古典文学を漫画で読みやすくしてみましたという程度のアレンジ。
何故、SF的要素を入れたのだろうか。
かぐや姫が地球上に赤ん坊の姿で転送されたのが謎なことと同じぐらいの謎。

【本】『果しなき流れの果に』小松左京

三年ぶりの再読。
やはり読書一度目は確認にしか過ぎない、再読以降からやっと理解できるようだ。
いかにして人間を超えるかというニーチェ的なテーマが包有されている。
それは同時期の『二〇〇一年宇宙の旅』と内容のシンクロニシティがあり、時代が反映された作品だったことがわかる。
宇宙と宇宙から新しい宇宙が生まれるイメージは、さながら超弩級マクロな止揚(アウフヘーベン)。

小道具(電話など)は古くなっているが、この小説で扱われている本質的な問いかけはちっとも古びていない。
これからもずっと普遍的に読み継がれるテーマ。
そしてこの小説に描かれている未来(二〇一八年)は今からあと三年後……

【本】【漫画】『WATCHMEN』アラン・ムーア(作) デイブ・ギボンズ(画)

読書会の課題図書『完璧な夏の日(上下)』ラヴィ・ティドハーをより理解するために幾度目かの再読を試みる。

……今回も内容を把握できなかった。
何回も映画を観て解説もそれなりに読んだが、主人公たちが何を悩んでいるのか感情移入できないのだ。
架空の出来事について架空の登場人物が悩む……当たり前のことだけれども、他の感情移入できる物語とどこが違うのだろうか。
アメコミをはじめとしてアメリカ文化がわかっていればもっと理解しやすいのだろうか。
一般的な(?)評価の高さと裏腹に自分が理解できないもの、代表格だ。

【本】『超記憶術―「ぜったい覚える・忘れない」生活のヒント』ダグラス・J・ハーマン

これは昨今の記憶術ブーム以前に出版された本で、連想を使った定番の記憶術を古いものとして一蹴している。
しかし、現在記憶術コンテストの主流は単純な記憶力で競うことはない。
テクニックを使うことが主眼になっている。
これは、単純な記憶力を地道に上げていくことを主眼になっていて、今からすればちょっと古い。
記憶術を漫画を描く技術でたとえると、
現在の主流はストーリー漫画の描き方とすれば、
この本は漫画の基本はカートゥーン(一コマ漫画)だとして、動物園クロッキーさせたり風刺漫画を描かせるようなものだろうか。
無駄ではないけれど……遠い。

【本】『地球の長い午後』ブライアン・W・オールディス

想像力の限界の世界を描くためにはドラマチックな物語はその妨げになるのだろうか。
その都度の行き当たりばったりの行動しか描かれない。
悲劇的な再会を予感させる重要な伏線が機能していないし、ラストで主人公がとった選択も人類の未来に対しては消極的なものだ。

この小説から影響を受けただろう『風の谷のナウシカ』には芳醇な物語世界が生まれたから、これは「そういう世界観モノバージョン1.0」とでも呼ぶべきものなのかもしれない。