備忘ログ」カテゴリーアーカイブ

あんなことこんなこと、本や映画や夢や食べ物のことなど、様々な日々の出来事を記ログしています。
数年前から物忘れがひどくなってきて、何でもかんでもメモしないと不安になってきました。
ここは僕の第二の大脳皮質、記憶を司る場所です。

【本】トルーマン・カポーティ『冷血』

取材している主体(作者)が登場しない。
インタビューできない登場人物(被害者・死人)の心情を作者が代弁する。
前後の状況は克明に描かれるのに、肝心の犯行シーンは間接的な描写(証言や裁判で描かれたもの)のみ。

ノンフィクション小説として読んでみると不思議なつくり。
ドキュメンタリーで言うと再現ドラマの範疇だ。
そういう事件や歴史物の再現されたものでも、最近テレビで放映されているものは前後にインタビューを挿入したりして真実味を担保することが多い。

「当日の被害者の気持ちを何でお前が知っているんだよ!」
しかし、そもそも事実を正確に再現することはできない。
インタビューならば、された人のとした側の主観が入る。
当事者が書くと書き手の主観が入る。
完璧な資料があったとしてもそれを取捨選択することで主観が入ってしまう。

この小説のリアルさは、取材を通して知った事実をふまえるとこう考えるであろうことが最大公約数として導かれる、というレベルのリアルさなのだろう。
(大きな誤差はないだろうということ)
この誤差があるから真実でないと捉えるか、積み重ねられた事実を蓄積して作られたいちばん事実に近い真実と捉えるかは、それこそ考え方次第だ。

【日記】15年07月14日(火) 体重61.0kg

光陰が矢のごとく過ぎていく。

四時半起床。

六時五〇分より公園を四〇分ジョギング。
この時刻でもう走っていると暑くてたまらない。
太陽の光の強さに道半ばでへこたれそうになる。
Samla Mammas Mannaのアルバム『資本主義をぶっ壊せ!~踊る鳥人間~』を聴きながら走る。
普通によい。

八時に家を出て、練馬の耳鼻科でアレルギーの注射、大塚の図書館で本の貸し借り、池袋の世界堂で画材を購入して帰宅するともう一三時。
あまりの暑さでうとうとして目覚めると一四時。
今日も何も為すことができず、二二時就寝。

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【日記】15年07月15日(水) 体重60.7kg

あの頃は何でも大きく見えた。

四時半起床。

四時五〇分より公園を三九分ジョギング。
昨日のジョギングの暑さから学び、日の出前後に時間を繰り上げて走ることにする。
公園のトイレの前でヒキガエルが僕の前を横切る。
幼稚園のときはヒキガエルが三〇センチぐらいあるように思えたんだけど、今見ると一五センチぐらい。
それ以降大阪では見ることがなかったのに、東京では何処に引っ越してもヒキガエルが跳んでいる

Secret Greenのアルバム『To Wake the King』を聴きながら走る。
朝の雰囲気にあっている。
ミュージカルのサントラのようだが、重厚さは物足りない。

午前中は成増図書館へ行ったり買い物したり片付けしたり身の回りのことで終始。
午後から懸念の原稿仕事を始めるが、いっこうにはかどらない。
読書を始めると眠気が襲い集中できない。
二一時半就寝。

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【日記】15年07月16日(木) 体重60.8kg

夜の寝付きは悪いのに、昼は眠くてたまらない……
自分の中の睡魔を飼いならさなければ!

台風の影響で外は激しい風雨、なのに涼しくない。生暖かい。
五時起床、仕事場に移動したあと机にうつ伏して寝てしまい、七時起床。
午前は仕事しているが集中力が続かない。
ともあれ下描きまで仕上げたので確認してもらうため編集者にメールで送る。
午後、編集者からの返事を待つ間に、ずっと遅れていた確定申告をするために片付けて書類を整理していると止まらなくなる。
本格的に部屋の模様替えを始める。
雨が降り止んだのでホームセンターへ行って板や棒を購入、帰宅してからノコギリで形を揃え家具にジョイントする。
そんなことをやっていたので今日は確定申告も原稿もできなかった。
二二時布団に入るが興奮して寝付けず、午前零時まで布団の中でモゾモゾうごめいている。
耐えられなくなって仕事場に移動、本を読んで眠気を誘うがなかなか睡魔は訪れない。
午前一時半ようやく眠気の片鱗を感じたので布団に入る。

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【日記】15年07月17日(金) 体重60.2kg

確定申告の還付金でノートパソコンを……

七時起床。
ジョギングしようと外に出ると、細かい粒子のような雨が降っていたので家に出戻りする。

午前中は原稿仕事、完成させて編集者にメールで脱稿。
その後は部屋を片付けたり公園前図書館に行ったりプランターに苗の植え替えをしたり。
植木鉢を外の水道で洗っている最中に割ってしまったので不燃ゴミで捨てる。
夜の公園でヒキガエルが僕の前を横切る。
確定申告にとりかかり領収書を整理をし始めた途端に眠くなってくる。
集中力が続かなくなってきたので中断して布団に入る。
二三時就寝。

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【日記】15年07月18日(土) 体重60.5kg

エクトプラズムを引きずりながらジョギング。

四時四五分起床。
少し肌寒い。
台風の影響はまだ完全に消えておらず、風がまだ強い。
濡れた地面に、折れた枝や草木が散らばっている。

四時五九分より公園を三六分ジョギング。
起きてすぐシャワーを浴び頭をシャッキリさせたつもりが、身体がまだ完全に目覚めていないようでついてきていない。
走っていると意識が前のめりに身体からとびだしそうになる。
Soft Machineのアルバム『Third』を聴きながら走る。
自分の文脈にない音楽なので、いい悪いの判断ができない。

郵便物を取りに外にでると、街路樹にタマムシがとまっている。
小学生のとき以来だ。

午前中は部屋の片付け買い物、料理の作り溜め。
午後は確定申告や健康診断やマンション更新の手続きなど身の回りのこと。
やらなければならない仕事に到達できない。
二一時半就寝。

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【日記】15年07月19日(日) 体重60.2kg

いっこうに痩せない。
銀河鉄道に乗ってアンドロメダ駅まで行けば、甘いものをいっぱい食べても太らない身体をもらえるのだろうか。

四時四五分起床。
熱いシャワーを浴び外に出る。

五時五分より公園を四五分ジョギング。
Syd Barrettアルバム『帽子が笑う…不気味に』を聴きながら走る。
音の一つ一つがたゆんたゆんと弦の緩んだギターで引いたみたいに輪郭がはっきりしない。
たゆんたゆんが中毒になってつい繰り返し聴いてしまう。

エアコンのない仕事部屋が暑い……と言うより熱い!
午後は室温が三五度超えしてサウナのごとく。
何度も何度もシャワーを浴びる。
汗まみれになりながらホームページのシステムを作りなおしているうちにあっという間に一日が終わってしまう。
二二時就寝。

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【日記】15年07月20日(月) 体重60.6kg

エアコンのない狭い部屋、汗まみれ全裸で仕事していると『まんが道』の上京したばかりの才野茂と満賀道雄を思い出す。

四時四五分起床。
熱いシャワーを浴びても眠気が流せない。
濁った意識でゾンビのようにヨロヨロと家の外に出る。
これが習慣になったら、僕がゾンビになったとしても、早朝は公園を回り続けるのだろう。

五時より公園を三八分ジョギング。
眠くて眠くて歩くようなスピードで空気を漕ぐように前へ進む。
早足のおばちゃんが歩いて僕を追い抜いていく。
今朝の眠気は半端ない。
普段の半分の距離を走るのに、普段と同じぐらいの時間がかかってしまう。
Tai Phongのアルバム『Windows』を聴きながら走る。
朝日の切実なまでのオレンジ色が、こちらに迫ってくる曲調の一曲目とマッチして映画のワンシーンみたいだ。
途中からケーブルが断線しノイズ混じりになったので、イヤホンを外して走る。

朝からずっと仕事。
エアコンのない倉庫みたいな部屋(四畳)で僕は仕事している。
昼間は三五度超え。
液晶タブレットで低温火傷をしないよう注意しながら、パソコンで原稿を描いている。
暑さ対策は頻繁に浴びるシャワー。
夕方ようやくラフを編集者に送り、一段落。
DVDで映画鑑賞している途中で睡魔に襲われる。
今朝の眠さを思い出し、なるべく七時間睡眠を心がけるようにして二一時半就寝。

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【本】井ノ口馨『記憶をあやつる』

でも脳科学はやっとアメフラシやハツカネズミの頭のなかがうっすらとわかった程度。
それから二〇年後の未来の人工知能なんてたかが知れすぎている……

スリリングな思考実験を提供してくれる書籍だが、腑には落ちることがない。
消化できずにノドに挟まったままのような読後感。

『ゼンデギ』と関連して思ったこと。
キャラクターは、作り手が観客に向けての共同幻想を介したローカルな人工知能のbot。
同人誌や二次創作でbotが作り手の手を離れて動き出す。

宗教そして神こそ共同幻想のbotの最たるもの。
聖書や預言者を介して神は言葉を伝える。
人工知能が神になる短編を星新一氏は書いていたが、共同幻想が本当の神を作ることもあるかもしれない。
(三浦建太郎氏の『ベルセルク』はそういう設定?)

【本】グレッグ・イーガン『ゼンデギ』

先日読んだ同じイーガン氏の『白熱光』に比べると、これはだいぶ普通の小説で肩透かし。
普通に起承転結がある、構成がさほどトリッキーでない。
しかしイーガン氏はやはり一筋縄でいかない。

舞台は二〇年後のイラン。
癌に侵された主人公が死ぬ前に自分の思考をコンピューターにアップロードする。
ヨーロッパのジャーナリストだった主人公は友達(死後、子供を引き取ろうと言ってくれた)のイラン人の倫理観が信用出来ない。
そこでアップロードされた自分の人格(人工知能)に、子供を教育させようと考える。

SF系の読書会に参加するとこの小説に対して肯定的な意見が多かったので驚愕。
善意の友達を信用できず自分の分身を作ろうとするこの小説の主人公に僕はとうてい感情移入できない。
そもそも、その行為自体が倫理的にダメではないか。

今から毛が生えたレベルの人工知能って、高度なbotにしか過ぎない。
最適な言葉を選んで言うだけで、人間のような思考ルーチンはない。
外から見て人間と変わらないリアクションをとる、というだけで魂のない存在に倫理観を託すぐらいなら、元ジャーナリストなんだから口述筆記(Siriのようなものも相当発達しているだろう)で言葉を残せばいいじゃないか。
SF的設定にするために無理に作ったプロットのような気がしてならない。

【日記】15年07月21日(火) 体重61.0kg

蒸す暑さの仕事部屋、上半身裸で作業していると、
右手でペンを握り、空いた左手は乳首へ延びてしまうのは必然。

四時四五分起床。
早寝のリズムができてきたのか、昨日に比べると目覚めがいい。

五時五分より公園を三八分ジョギング。
比較的覚醒度の高い状態で走ると、空の高さやほとばしるような森の緑が、意識の中にビンビン伝わってくる。
Tai Phongのアルバム『Windows』を聴きながら走る。
昨日はイヤホンケーブルの断線で途中から聴くことができなくなったので、今日はじっくりと全曲聴く。
リズムよりも、日本的な情緒に訴えかけるような曲が多い。
歌詞が日本語だったらそのまま八〇年代の歌謡曲みたいだ。
擬似ノスタルジックの世界にたゆたいながらゆっくりと走る。

帰宅してすぐに原稿に取り掛かり、仕上げ。
一一時に脱稿、編集者にメールで送る。
返事待ちの間に積ん読状態で放置していた本を読んでいく。
うだるような暑さ、寝室の網戸の隣に座椅子を置いて扇風機で足を冷やしながら読書。
何かと意識がそれ、思うように読み進めることができない。
二三時半就寝。

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【本】井ノ口馨『記憶をあやつる』

最近僕は脳の可塑性について興味があって、その脳の中の記憶についての書籍。
この数十年、脳内ビッグバンといってもいいぐらいの脳に関する学問が進化しているとのこと。
大脳生理学では追いつかず、分子生物学や遺伝学などいろんな隣接する化学を統合したニューロサイエンスという学問が登場したとか。
これから人工知能のようなものが作られるなら量子力学までが必要になるかもしれない。
まるでヴァン・ヴォクト『宇宙船ビーグル号』の主人公が総合科学(Nextialism)で宇宙怪物に立ち向かうみたいで、ワクワクする。
しかしまだ生まれたばかりのこの学問、記憶の固定や移動がハツカネズミやアメフラシを使った実験に終始していて人間の脳の段階に至るまで程遠い。

フィクション世界ではもうすぐ『ドラえもん』のアンキパンや『トータル・リコール』の時代がもうすぐ到来するというのに。

【日記】15年07月22日(水) 体重60.5kg

カンブリア紀大爆発って大爆発していっぱい絶滅したかと思わせるネーミングだ。
実際は爆発的に生物の多様性が広がったというのに……こんなトラップってない

昨夜遅くに寝たため定刻に目覚めることができず六時起床。
混濁した意識をシャワーで無理矢理シャキッとさせる。
文明に頼りっきりだ。

日がな一日、読まなければならない書籍に目を通している。
合間に買い物と洗濯。
そもそも読書はリズミカルな眼球運動なうえ姿勢もリラックスした状態なので催眠作用があり、眠くなるのは必然。
集中できなくて当たり前なのだ。
そこであえて三〇分毎に家事を挟み込むと、逆にぶっ通しで一六時間本を読むことができた。

二二時就寝。

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【本】トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』

この短篇集は、『冷血』に至る直前のカポーティ氏最後のイノセンスな輝き。
感覚的なところがあるので完全に意味を把握したとは言いがたいが、僕なりに楽しく読むことができた。

この短篇集は初期作品と『冷血』の橋渡しとなるもので、共通する要素を含んでいる。
カポーティ氏の小説に共通する要素……
田舎の閉塞感からここでない何処へ行きたくて辿り着いた都会で心を虚無に蝕まれる。
檻の外へ出たらまた新しい檻だった、そしていまの檻から過去の檻を懐かしんでいる。
表題作の『ティファニーで朝食を』にはそんな要素がまぎれもなく残っている。

しかし『ティファニーで朝食を』はそれだけではない。
それまでの自分の経験をもとに感覚的に描いた物語と異なり、ホリーのような実在の女性(他社の経験)を素材に使い、小説特有の大胆な飛躍をせず(小説技巧を制限)、実際にありそうなエピソードで構成されている。
文体もウェットものから、抑制した乾いたものへ。
カポーティは戦略的転換をはかったのだ。

長い活動期間に比して作品数が少ないのは、次第にカポーティ氏は手持ちのたまが少なくなっていったのだろう。
カポーティ氏は自在に物語を生み出すというより、体験/取材したことから作り上げるタイプだったのだ。
『ティファニーで朝食を』は小説(フィクション)の体をとっているが、それ以前の作品に比べるとはるかに現実に近い。
『冷血』の一歩手前といえるかもしれない。

『ティファニーで朝食を』は成功したが、さらにこの作品を越える素材を手に入れるため、陰惨な連続殺人事件を取材することになる。
連続犯に囚われ死刑に臨席し、『冷血』を完成させ、とうとうカポーティー氏は素材に飲み込まれてしまったのだ。

【日記】15年07月23日(木) 体重60.2kg

今日も全裸、左乳首をビィ〜ンビィ〜ンと弾きエアギターごっこにいそしむ。

台風の影響でずっと雨が降っている。
網戸の隣で寝ていると風が冷たく、何度も目覚めてしまい、明け方ガラス戸を閉める。
五時起床。
ジョギングにでない。
一日家にこもって読書。
夕方少し晴れてきたので、業務スーパーで買い物。
寝る直前まで読書。
二二時就寝。

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【本】マルコス・マテウ-メストレ『クライマックスまで誘い込む絵作りの秘訣』

その独特の論理展開に、アメコミと日本の漫画との違いを僕に考えさせるきっかけになった。

アメコミ作家でありアニメーターである氏のコミック……というより一枚絵の指南書。
日本のマンガと違いアメコミは線より形、白黒の面積が重要みたいだ。
白黒の面積比によって記される構図の分析は興味深い。

アメコミは一枚絵で動きを表現しない。
コマの組み合わせで動きを表現するが、決め絵(大ゴマ)だけを並べるので、コマ間の動きは読者が想像しなければならない。
直接的な動きは表現しない。

日本の漫画は一枚絵の中には動きを表現する。
スピード線を用いたり、人物/足/手を複数(ブラして)描くことにより動きを表現する。
その上でアニメのように大ゴマと大ゴマの動きも細かく描くから、アメコミと動きの表現は桁違いに多い。
逆に言えば、一般的に日本の漫画は一枚絵としての魅力はアメコミより低い。

この書籍はアメコミ表現を取り入れたい人には良書だろう。
静止した一枚絵や動きの前兆など(特定のシーン)の考え方は、あまり日本人にはない論理展開をする。
絵コンテ、挿絵、イラスト向けかもしれない。