【映画】『セブン・イヤーズ・イン・チベット』

オーストラリア人の探検家が第二次大戦のどさくさで七年間チベットで過ごすことになったという話。

こういうアジア人がいたらいいなあ、というアメリカ人の理想を押し付けられたような印象。

主人公であるオーストリア人/ドイツ人が英語で会話することは、(よくないけど)まあいいとして。
文明が届いていないところ、チベットの奥地の人はわけのわからない言葉を喋っていて、文明化している人は英語で喋るって、そんな演出をする神経を疑う。
ダライ・ラマが幼少から英才教育受けていたにしろ、主人公と出会った時点で流暢な英語で語りかけてくるのは不自然過ぎる。

『G.I.ジョー』で、東京と思しきスラム街で日本語で話そうとする少年に「失礼だ、ちゃんとした言葉で話しなさい」と老師が英語で話すよう促してきたり、
『ラスト・サムライ』の御前会議で閣僚がろくに英語を話せない中、明治天皇が英語で話しかけてきたり……霊的に高いレベルにいる人は、当然のように英語を喋ることができるとアメリカ人は思っている、ように見えてしまう。

それでもこの映画の最初のほうは、留学経験者や大臣レベルしかチベット界隈で英語を話せる人がいなかったのに、途中ぐらいから猫も杓子も英語を話し始める。
中国人とチベット人の交渉も英語。
そのへんに歩いている老婆も英語。
工事現場のおっちゃんまで「ミミズがいるから工事ができない!」って英語で訴えはじめる。
じゃあ最初の方の言葉の伝わらなさは何だったんだ。

わかりやすすぎる反共プロパガンダも疑問。
大事な話し合いに訪れた中国の軍人は
「何日もかけて砂で曼荼羅を作りました」
とチベット側から説明されたらわざと軍靴で踏みにじりながらその上を歩いていく。
こんなわざとらしいぐらいの悪いことを本当にしたのだろうか?

その後、幼いダライ・ラマが真摯に話し合いに応じたにも関わらず、軍人は「宗教は毒だ」とだけ吐き捨てて去っていく。
これは一九五三年に北京で毛沢東がダライ・ラマに会ったとき
「宗教は毒だ」
と語ったという有名なエピソードから引用したものだが……ということは、やはり映画のこのエピソードそのものは事実から大きく脚色されて作られていることの証左じゃないか。

こういうシーンを映画で描写するなら、高い精度で真実を反映しないと、その一点から説得力が崩れていく。
中国が悪逆の限り尽くしている描写を観ても、この映画の中ではそういうプロパガンダに見えて今ひとつ信頼できない。

中国共産党が素晴らしいわけではないが、日本も同じことを中国で行ったわけで、そして欧米も世界中で大なり小なり、侵略と文化破壊を行ってきたわけで、世界中の国々がそういう連鎖の中にある。
日本の中だけに限定しても明治維新のときに改革の中、たくさん過去からつながるものを破壊した。

少なくともその瞬間は悪意だけで破壊するわけでなく、程度の差こそあれ基本的にはよかれと思っているわけで、相対化するような描き方をせず、一方的に善悪の対立を描くやりかたはいただけない。

そんなイデオロギー的なことはともかくとして、
偏屈で自分勝手な主人公が、チベット人の触れ合いを通して変化していく成長譚としては素晴らしい出来。
むしろそれだけならよかったのに。