【映画】『キリング・フィールド』

アメリカ人の新聞記者がカンボジアに関するスクープ記事が評価された栄光の瞬間、彼のために尽力したカンボジア人は独裁政権下で悲惨な生活を送っていた……という話。

僕は昔、本多勝一氏の愛読者だった。
登山のルポルタージュから始まって、エスキモー、ニューギニア高地人、ベトナム戦争、中国、アメリカ……主要な書籍はほぼ目を通し、週刊金曜日も毎週読んでいた。

本多氏が書いたこの映画の批評も高校のときに目を通していた。
二〇年以上前のことだが、その激烈な罵倒は今でも印象に残っている。

今回、この映画を観て、その批評を読み直して、いかに的外れな批評を書いているのかもう、あきれ返るしかなかった。

いわく、主人公はカンボジア人を差別してい主従関係で扱っている。
いわく、それでもカンボジア人である記者はまだ人間として描いているが、それ以外のカンボジア人はステレオタイプのアジア蔑視的な描写をされている。
いわく、カンボジア虐殺の表層しか描いていない。
いわく、アメリカがあたかもベトナム人が虐殺に加担しているかのような情報操作が見受けられる……

この映画の作り手はそういうこともわかった上で全部作っている。
主人公がカメラを向けたとき微妙な表情を浮かべるカンボジア人記者、
カンボジア報道で受賞したときに素直に喜べない主人公、
それをなじる同僚、
アメリカ人とアジア人が同等でないからこそ、そういう偽善もわかった上で、だからどうするのかを考える映画でもあることをじゅうぶん以上に表現していると思う。

本多氏はそこまでの潔癖さを他人に求めるのなら、自分の先走ったカンボジアの報道をどう捉えているのだろうか。
少なくとも僕がポル・ポト政権のことを知ったのは本多氏の書籍で、それは当初、自国民大虐殺について懐疑的に描かれていた。
その後虐殺についての言及はされるが、先走った報道に関しては微修正をするだけで大きな謝罪は全くなかった。

映画という一二〇分前後の尺で全ての虐殺について描くことは不可能。
今、観ると商業的に成功するレベルの描写としては、相当、本質的なところまで到達しているとのではないか。

そもそも日本で、ここまでの規模で、資金、人的資源を使って、カンボジアについて描かれているものはあるだろうか。
しかも映画はかなり早い段階(1984年、虐殺の五年後)に作られているのだ。

変な思想を持つとここまで歪んだものの見方をしてしまうのか、と悲しくなるばかり。
自分が受けた本多勝一氏の影響とどう折り合いをつけていくのか、考えることが多い……そんな映画体験だった。

本多勝一氏の文章
無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/research/cambodia/muchi.html

シンポジウム・映画『キリング・フィールド』の真実
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/research/cambodia/symposium.html