【日記】18年06月12日(火) 体重66.2kg

昨日早めに布団に入ったにも関わらず起きることができず八時半起床。
一〇時間近く眠ってしまった。

米朝首脳会談のニュースをテレビやネットでチラチラ見ている。

独裁者ってのは孤独だ。
あんな変な髪型しても周囲の人達がツッコミ入れないなんてなあ。
僕なんか独裁者でもないのによく散髪屋で変な髪型に仕上げられるし、そういうときは黙って店を出る。
待てよ。
その理屈で行くと、金正恩の行ってる散髪屋さんが勝手に変な髪型にカットしているのかもしれない。
気の弱い正恩が黙って店を出て、それを忖度した(勘違いした)周囲が
「あの髪型が格好いいんだ!」
と喧伝しているのだろう。
やっぱり独裁者ってのは孤独だ。

朝から四コマ漫画作成作業。
途中、雨が降らないうちに午前中に買い物。

通りがかった家の窓に、猫が勝手に雨宿りしていた。
「にゃ〜!!」
と驚かしてやろうと手を広げて近寄ったら、
「猫がかわいそうでしょ、やめなさい!」
隣りにいた人から普通に注意された。

昼過ぎから雲が厚くなって鬱陶しい空模様に、そのうち雨がざあっと降り出しゲリラ豪雨。
夕方、雨がやんだあと大型ゴミを出しに行く。
二十年前以上前に購入したソニーのコンポを捨てる。

学生時代、半年のバイト代を積み立てて購入した。二十万円近くしたような。CDを五枚、MDが六枚入れることができてダビングも出来たのだが……一五年前にiPodを使うようになってから無用の長物と化していた。結局五年ぐらいしか使わなかった。
コンポは細かく時間設定して録音ができた。
ラジオ番組を録音するのに活用して、MDが数千枚に達した。
いまラジオはradikoで録音して聞いている。
最近はパソコンやiPodで音楽を聞くので、スピーカーで事足りるようになった。

……時代の狭間だった。


写真は一五年ぐらい前、中野坂上に住んでいた頃。

夜、と母からのメールで、僕が幼稚園に入る前から中二まで通っていた絵画教室の先生が亡くなった事を知る。
高校になったある日のこと、僕と父(先生は父の学校の先輩)が絵画教室を訪ねると先生は
「君は才能あるから美大を受けなさい!」
僕よりも真に受けた父が僕をその足で僕を美術予備校に連れて行った。

それからいろいろあって僕は何とか志望校の美大に合格したのだが、その時のお礼をする機会がないまま時間は過ぎ僕は芸大の院を卒業して漫画家を目指して上京。最後に先生に会ったのは一〇年前、祖母の葬式のときだった。そのうち売れっ子になって凱旋帰郷したときちゃんと挨拶をと思っていたのだが……

その日が訪れる前に先生は亡くなってしまった。
僕が漫画を描き始めたのは、小一か小二のとき絵画教室の本棚で漫画「マカロニほうれん荘」に出会って模写を繰り返したからで、今でも擬音とかリズムはまんま「マカロニほうれん荘」だ。

人が亡くなるということは自分と周囲をつないでいた記憶の糸が切れていくということで、僕も亡くなった後、僕のことを覚えている人が亡くなってこの世界から消えてしまうのだろう。映画『リメンバーミー』のように。少しでもみんなに思い出してもらえるように早く漫画でヒット作を出さないと……

しかし、流されてばかりの人生だ。
絵画教室に行ったのも祖母に連れていかれてだし、美大を目指したのも他人からの指南で、漫画を描き始めたのは友だちに誘われたから(合作したから)で。

二二時半就寝。
 

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