【映画】『悪魔は誰だ』

韓国映画でを観るときいつも思うこの違和感。
ハリウッド映画で考え方の違いに違和感を思うことは少ない。
人種の見栄えが離れているから文化の違いも受け入れやすいからだろうか。
しかしルックスが似ている同じアジア人の中国/香港映画でも違和感は少ない。
人間離れしたアクション、あるいは歴史の特殊さから、人種は同じだが別の世界だという認識があるからだろうか。

韓国はなまじ日本人とルックスが似ていて文化的にも共通項が多いから、少しずれた部分が余計に目立つということだろうか。
フロイトの言う「微差のナショナリズム」だ。
似ている同士は、自分のユニークさを強調するため小さな違いを強調する。
この心理が民族主義の対立を生み出すという。
同じ一神教から別れたユダヤ教、キリスト教、イスラム教の対立も同じ心理だ。

アイデア、プロットは文句なしに面白い。
韓国映画のレベルの高さを思い知る。

しかし、この映画の物語も韓国ならではの着地をする。
(違和感の正体は韓国特有の「恨」?)
これが日本からみると、感情論で物事を決める遵法意識の低さに見える。
韓国から裏返しに日本を見ると、情がなくて法律に振り回されているのだろう。

作品は、それぞれの社会システム(文化のハードル)に寄り添っていて、その中で自覚的であれ無自覚的であれ、越えることは困難。