【本:漫画】『うしおととら(全33+外伝)』藤田和日郎

一年前に初めて読んだとき、主人公が槍から手を離したら「とら」に食べられてしまうという設定に引っかかってしまい、どうしても読み進めることができなかった。
寝ている時もずっと槍を握っているということ? 
学校の授業中も握ったままっておかしいし、乗り物には持ち込めないだろ……
おなじ少年漫画の『DEATH NOTE』なら主人公が他人にノートを見られることに神経質になるがあまり、部屋のドアにシャーペンの芯を差してまで人の出入りを警戒するのに、よりによってずっと槍を持ったままって……それはない!

そんなこんなで放り出して一年、一五年年末にもう一度挑戦してみる。
読み進めるうちに、リアリティラインを低くすることで物語るやりかただということに気づく。
(子供の頃ならもっと素直に入り込めたのかもしれない)
おおまかな物語の設定や展開をこの範囲のどれかにするかというあたりぐらいはつけているのだろうけれども、おそらく最初から細かく設定しているとは思えない。
しかし、物語のアバウトさが隙間を埋める広さ(懐の広さ)になっている。
後半の怒涛の展開で物語の伏線が埋まっていくさまはテトリスで棒が次々と突き刺さっていくがごとく、このリアリティラインの低さが実に生かされている。
伏線を最終話までにちゃんと回収する、読者に誠実な作家の姿勢。

前回読んだときは絵に対してもリアリティラインの低さにも拒否反応を感じて入り込めなかったのだけれども、今回絵に関しても考え方を大幅に改めることになった。
「とら」がアバウトな造形だからこそ、想像の部分が広がるのだ。
この漫画は物語と絵のこだわりが正確に比例している……という好例で、絵に幅をもたせているから、(槍に巻かれている布や書かれている文字など)いろんな要素を後から入れることができる。
最初から設定をきっちりし過ぎると物語が進むにつれ、違和感が生じたりそれがしばりになったりする。

絵と物語のアバウト……逆に最初から変わらず強いものはなにか?
キャラクターだ。
つまりは、キャラクターから絵と物語を逆算して作るという少年漫画の王道に(小手先のテクニックに頼らることなく)この漫画がまっすぐだということ。