【映画】『ミス・ブロディの青春』

生徒によきこととしてファシズム教育するブロディ先生。
ファシズムに歴史的評価がされていない一九三〇年代が舞台なので、周囲もその危険性に気づかない。
そもそも僕らがファシズムが危険性を知っているのは歴史を知っているからで、これは後出しジャンケンのようなもの。
ミス・ブロディの考え方がおかしいと思うことができるのは結果論、同時代なら気づくことは困難だ。

映画を観ているときは映画を支配する価値観によってコントロールされてしまう。

ブロディ先生のバランスが明らかに崩れているということがわかるのは、彼女がよきこととしてファシズムを主張しだしてからで(一方的な情熱の象徴としてファシズム)、鑑賞している最中は、肯定的、否定的、どちらで観ればいいの判断しがたかった。
クライマックス、生徒のサンディとブロディ先生の対決で問題点が言語化されてはじめて映画の意図が理解できた。

こんな読解力では、この現実で新たな危険思想が生まれても疑問を抱く前に僕は毒されてしまうことだろう。