最初は説明無しでいろんなことが起こるのでついていけなかったが、そういう世界観だと思って読むと入り込みやすかった。
完成した設定、密度の高い物語……書き飛ばしている感はなく緻密に構成されている。
ところが読み終わった後でシリーズ物だったことを知る。
道理で最初から「きょわ、きょわ」の説明がないわけだ。
そういう世界観にしても、普通はもう少し説明あるか。
途中から読んでも楽しめたということは、最初から読んだらもっと楽しめるだろう。
アレックス・ロス氏の絵は技術的には素晴らしいが、僕はどうしても水彩画のタッチに物足りなさを感じる。
透明度の高い水彩という画材の問題(ガッシュも使っているらしいが)で、絵の中で真っ黒な部分を作れず、全体的にメリハリのない中間調子の多い色づかいになってしまう。
自分がこれほど白黒はっきりしたペンのアウトラインに思い入れがあるなんて思わなかった。
物語に関しては、マーベル・コミックスの世界で活躍するヒーローの物語が、すべて同じ時間軸にあったという体で、ジャーナリストが実際に体験したこととして、(世界で起こった事件とも絡め)編年順に描くというものだ。
「あの出来事の裏にはこういうことがあって、物語につながりがあったのか!」
マーベル・コミックスを読んでいる人にはそれなりに読み応えがあるものなのかもしれないが、知識のない僕はあまりピンとこなかった。
一番不満を感じたのは、この物語の主人公(語り手)が完全な傍観者で大きな物語のムーブメントにほとんど関わってこないということだ。
逆にマーベルコミックを知っている人からすれば、この語り手に思い入れなどないからこの程度の描写でじゅうぶんなのだろうけれど。
独立した短編を集めたものかと思って読み進めると、途中から同じ世界観を共有した連作短編であることがわかってくる。
ホラーにありがちな「こういうもの」と読者に忖度させるようなあやふやな共通理解で終わるものでなく、しっかりとした設定があるみたいだ。
矢樹氏は感性でなくロジック主体の物語作りをする。
設定らしきものが見えてくるとSF好きの自分としては、ラストではこの『或る集落の●』世界の根幹に関わる何かを知ることができるのか!? と必要のない期待をしてしまう。
個人的には「がんべの兄弟」の不思議な趣きにハマる。
フランス人作家マルセル・エイメ氏(とくに彼の短編『七里の靴』)を髣髴とさせる。
物語の中で提示された危機を、リアリティラインの変化によって一瞬にして解決/終結させるような、言ってみれば身も蓋もない物語が僕好み。
絵と説明を手描きで連続させた、コマ割りすらない(だから厳密な意味では漫画ではない)ゆるいスタイルのエッセイ漫画。
表現する人はみんなそれなりの自意識があって(特に僕はその傾向が強い)、その自意識と社会が衝突するところを面白おかしく描くことはできても、普通の話を普通に描くことに関しては難しかったりする。
しかしたかぎなおこ氏は、楽々とそのハードルを越え(ハードルの下をくぐり抜けているのかもしれない)、ゆるやかな日常を自然体で描いている。
だから個人の経験から一般化して、読者が自分に当てはめて想像することができる。
僕も読みながら、自分が上京したときのことに思いを馳せていた。
たかぎなおこ氏が寿司工場でバイトしたように、僕はアシスタントしたり、ビルの管理人をしたり……成功すれば経験の力になりいい思い出へと変わるけれども、そのときはそんなことを想像できなくて未来が見えなくてつらくてひたすら不安だった。
そしてまだそれが現在進行形で続くとは思わなかった。
ガイドブック的な要素もある本だけれども、旅先の情報以上に、訪れたたかぎなおこ氏のリアクションが、いい。
僕は二〇年以上シーズンごと一人旅を続けているが、いまだ見知らぬ土地でこみ上げる不安感は消えない。
むしろその不安感が旅の中で重要だったりする。
旅の楽しさである冒険心とか郷愁は、不安感に付随するものではないか。
逆に不安感がないということはその場所のことを把握しているからで、わかっているところを歩いても答え合わせでしかない。
僕が思うに、誰かと一緒に旅行すると旅特有の感情の純度が下がる。
それはそれで違う楽しみも生じるけれど、誰かと一緒なら知っている場所を歩いたり話したりするだけで、僕は楽しい。
……などと自分語りのスイッチを押させてくれるのが、たかぎなおこ氏の漫画のよさ。
一〇年ぶりに再読。
連載時、立ち読みしていて声を出して笑っていたら、当時のアシスタント先の漫画家さんに
「これただ単にテンドンを繰り返しているだけで古臭くてつまらない」
と一刀両断されたのが悲しかった。
『コージ苑』から随分経ってから描かれたような気がしていたけれど、奥付をみると一〇年ぐらいしかあいていないのか。
今回読んで気付いたのは、新しいことをやろうとしていることはかえって古びていて、相原氏が昔から得意としていたことは意外と古びていない、ということだ。
相原コージ氏は前衛作家みたく新しいギャグ漫画の先駆者たろうとしていたし、実際そうだったと思うけれども、できれば一定のジャンルを長期間続けることで深化させたその先も見てみたい。
四コマも終わらずに続いていれば何か先に見えそうで、それが見えないことがもどかしい。
(『ムジナ』のようなケレン味あふれる漫画本来の面白さのある物語ももっと読みたい)
天才肌だから、今やっていることの先がすぐに見えてしまうから別の道へ進んでしまうのだろうか。