日別アーカイブ: 2015年2月7日

【考】FF13を一八時間プレイした雑感

自分とFF13

FFシリーズは1から12までほぼリアルタイムでプレイしてきた。
しかしここ最近(と言っても一五年近く!)はちゃんとプレイできていない。
9まではとクリアしてきたのだけれども、
10は物語が面白くならないので三〇時間前後で放棄、
11はネットゲーム一見さんにハードルが高すぎ、一人でプレイできず三時間で放棄、
12はフィールドのスクロールや戦闘など、ゲームシステムに馴染めず物語を楽しむ以前に二時間で放棄、
という有り様だ。

心機一転、今年の正月からFF13をプレイし始めたけれども、やはり自分の中で今ひとつの盛り上がり。
麻薬性が弱いのでコマ切れにプレイしてもストレスにならないので、二日に一度、一時間前後、コマ切れにプレイしている。ここ最近は一〇日近く間が空いている。
このままではまたプレイすること自体フェイドアウトしてしまいそうだ。
自分の変化なのか、ゲーム自体の環境の変化なのか、その相乗効果なのかはわからない。
他のRPG(特にドラクエ)は相変わらず長時間プレイしてしまうのだけれども……

今日は悶々として何も手につかないので、ここは気分転換に今日一日、FF13をプレイする一日にしようと決めた。
まとめてプレイすると、いままで漠然としか思うことができなかった考えが形になってきた。

FF13に満足したところ

●新しい物語の形を観ることができる。
ドラクエタイプのオーソドックスな(古典的な)RPGを中心にプレイしてきたので、ある種のSFのような、一般的な何かに置き換えることが難しい物語を観ることは新鮮な体験。

●圧倒的なグラフィックの強さ。
モンスターや武器、建物などガジェットの個性的なデザインに、新しさを感じたり、FFらしい懐かしさを感じたり。

FF13の物語に関する不満点

悪いところはいいところと表裏一体にあるのだけれども……
物語に関しての不満点は、身の回りの一般的なことに置き換えにくい、ということに尽きる。
そもそも物語に感動するということは、間接的な追体験するからで、
追体験(登場人物になったような気持ちになって感情移入)するためには、自分が経験したり、映画や小説や漫画で追体験したことを心の奥底で思い出し、再構成しなければならない。
このFF13は自分自身の体験(あるいは一般的な物語)に置き換えることが極めて困難。

●コクーンとパルス
世界がコクーンとパルスに分かれているとのことだが、二〇時間近くプレイしてまだその差がわからない。
想像するに文明国と未開の地ということだろうか?
しかしそれぞれに所属するキャラクターの思考も文化にも決定的な差異は描かれていない。
ひょっとしたら現実世界や架空の物語における何も模していない完全に新しい概念の世界なのかもしれない。
もし新しい概念ならヴィジュアル的にも詳細に伝えるべきだが、そういう描写は特にない。

●ファルス
コクーンとパルスそれぞれにファルスがあるとのことだが、外見がメカっぽいので人間をコントロールしている電子頭脳のようなものだろうか?
政府の権限より更に上にあることから、もっと権威的な宗教的なものを連想させはする。
しかし具体的な描写がほぼない(間接的な描写のみ)なので、生き物か機械なのかそれとも高次元の意識なのかもはっきりと把握できない。

●ルシは何を指しているのか?
ファルスによってルシにされたものは、身体に刻印が生まれ魔法を使うことができるようになる。
ファルスの使命を守らなければシ骸(ゾンビのようなもの)になり、使命を守るとクリスタルになる。
聖書の「ヨハネの黙示録」で悪魔側についた人が獣の数字666を額に刻印されたかのように、何かのしもべになった証のようなものだろうか?
ルシになることで魔力を使うことができるということは、『ドラゴンボール』の魔人ブゥ編でベジータがバビディに魂を売ることでパワーを引き出してもらったたようなこと?
ルシにされた人たちと他の人達と差異がわからないから、一般的な意味を推測できない。

かように象徴的なことから推測して物語を自分の中で脱構築するという作業を人間はするものだが、FF13ほどその材料を与えない物語ははじめてだ。

FF13のゲームシステムに関する不満点

●カタルシスのある映像はプレイできずムービーのみ。
話の方向性が見えてくるほど、スケールの狭い範囲のことしかできないことに愕然とする。
画面の中にある世界の限定された線上しか行動できない。
ここを動き回れたら楽しいだろうなあという肝心の部分は動かすことができずムービーになってしまう。
岩場も光っている円(ここに乗ってくださいというゲーム上の印)に乗れば自動的に主人公が跳んで上に登っていき、ギミック的な楽しみはない。
ゲームの楽しみを作り手は間違えて捉えていないか?

●物語をゲームの中で説明することを放棄している
説明しなければならないことを、物語の中で丁寧に説明せず、いきなり物語の渦中に説明なく放り込む。
ステータス画面の中の「あらすじ」や「設定」「キャラクター紹介」を読まなければわからない。
しかも、「FF13の物語に関する不満点」に書いたが、設定としてわかっても物語としてどういう役割をしているかはわからない、かゆいところに手の届かない頓珍漢な説明。

●召喚獣が現れることに明確な説明がない。
召喚獣が現れること自体はFFシリーズだから起こってもおかしくない出来事だけれども、だからといって「FF13」の世界で起こる必然性が説明されているわけではない。
以前からあったことを追従しているだけでそのこと自体には意味が無い。
今回はドライブモードというものがあり、シヴァやブリュンヒルデが車やオートバイになって上に乗ることができるのだ。
それ自体にゲーム的な面白さがあればまだわかるのだけれども、ボタンを押すと自動的にムービーが始まり敵にダメージを与える、それだけ。

結論

中学生が妄想でつくったものに、大人が無理やりつき合わされ、辻褄を無理矢理合わさせられている……そんな印象。

【食】15年02月07日

朝食:お握り、ハッシュドポテトとチキンナゲットとソーセージ、ゴマネギ豆腐、トマトとブロッコリのサラダ。
2015-02-07_044957.jpg

昼食:明太子パスタ、ソーセージと生ハムとブロッコリとトマトのサラダ。
2015-02-07_140442.jpg

夕食:、マッシュサツマイモ、豆乳にフルーツグラノーラ。
2015-02-07_180118.jpg

【日記】15年02月07日 体重60.9kg

不安な夢を見て、夜中不意に目を覚ます。
それはたいてい今の状況や将来に関する夢で、普段なるべく考えないようにしていることが眠りで意識のレベルが下ることでブレーキがきかなくなり、恐怖や焦りや苛立ちや怒りや嫉妬や憎しみや絶望……否定的な感情が暴走して真っ暗な天井を見上げると記憶の走馬灯が回り続けている。
手足を縛られ瞬きできないようまぶたを機具で固定されたうえで暴力映画を観させられる『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法みたいな、無間地獄の苦しみに押しつぶされそうになり、僕はずっとむせび泣いている。

130826a02

寝室にいると気が狂いそうになるので、布団から逃げ出す。
三時半起床、真冬の仕事部屋、寒いのに汗が止まらない。
意識のレベルが低い状態……読書もできず映画も観ることができず机に向かって仕事にも集中できない……なので、今日はゲームをすることに決める。

FF13のプレイ。一〇時間半→一八時間。
いろいろ思うことがあったので、文章にしてみる。

【映画】『フルスロットル』

九〇年代、リュック・ベッソンには騙された!
『レオン』でカッコええ!と感動して、
次に観た『フィフス・エレメント』で本格的SF映画っぽい予告だったのに、六〇年代の石ノ森章太郎や手塚治虫氏の漫画を映像化したような映画の出来に驚愕して、
あとはもう何とやら、という感じ。

でも『TAXi 』『トランスポーター』『96時間』……リュック・ベッソン系のヨーロッパ・コープ映画はなんか観てしまう。
いかにも現実を切り取っているっぽくて風刺しているっぽいのに、実際は何も掘り下げず娯楽に徹しているところが逆に潔い。
作家性を入れる余地はいくらでもあるのにあえて「これぐらい」感で仕上げることは、逆に紛れもなく強い作家性があるということだ。
ちなみに「これぐらい」でも、やっぱりエンタメとしてはそれなりに練られているわけで、「これぐらい」のものを大量生産できるシステムを持っていること自体は尊敬はしないけれども、興味深い。

この映画も、デトロイト市の一角、スラム化して壁を作られたビル街、何かを象徴してそうなのに物語の中では形だけしかなぞっていない……そのバランス感覚に舌を巻かれる。
破壊的なまでに楽観的過ぎるラストには椅子から転がり落ちそうになる。
いやいや、そこまでこの悪役はいいやつじゃないでしょ! 人殺してたし、ヤク売ってたし。
安心して観ていられるのは、そこらへんを深く考えずに放り投げているからだろう。
この映画『フルスロットル』自体はヨーロッパ・コープ映画で作られたものをリメイクしたフランス・カナダ合作映画だが、リュック・ベッソンは原作と脚本の関わりで、やっぱりいかにもっぽくて観てしまう。