日別アーカイブ: 2014年12月31日

【日記】14年12月31日 体重58.4kg

六時起床。
五時に起きるつもりだったけれども、暖かさで布団の中でうたた寝している間に時間が過ぎてしまう。
教訓:暖房のタイマーを目覚まし代わりにセットしていると逆に眠気を誘う。

午前中は滞っていたホームページの更新。

一四時二三分より墓地公園へ向かい五〇分ジョギング。
ゆっくり坂を登ったり下りたり、大晦日に駆け込みで墓参りしている人たちとすれ違う。
Mike Oldfieldのアルバム「Incantations」を聴きながら走る。
天上から照らす一条の光を音に変換するとこういうものだろうか。
山から見下ろす平野が霞んでいて、音の響く空間を漂うように走っている。

夕方、ひさびさに据置型テレビゲームを始める。
四年前に購入したプレイステーション3を初めて起動、FINAL FANTASY13をプレイ。
一〇年ぶりの(九年前にFINAL FANTASY12を二時間でやめた)本格的なFF。
圧倒的な迫力のムービーから始まり、またそれはFINAL FANTASY7と似ているが、もはや驚きはない。
主人公の女性ライトニングが反重力テクノロジーを使って空を飛ぶが、それはエリア間を移動するときムービーで使用するのみ、プレイヤーは操作することができない。
ジャンプはジャンプできる目印のあるところでしかジャンプできない。
自由度が低い割には、プレイ中いったんとめてステータス画面を見ないとわからない複雑な物語世界。
漫画で言えば、単行本のおまけページで世界観を詳細に語らず、物語でちゃんと語れよ!という感じ。
三〇分ほどプレイして、自分はボタンを連打しながらムービーをみているだけ、ということに気づく。
行動範囲が若干ある映画として見るべきか、行動範囲が極めて狭いゲームとしてみるべきか。
……どちらにしろ初期のFFが持っていた期待感のようなものは失われている。

そのまま映画『アクト・オブ・キリング』を観る。
ゾワゾワした気持ちのまま二三時就寝。

               ◇

こんなもの食べた! 14年12月31日

こんな映画を観た! 14年12月31日
【映画】『アクト・オブ・キリング』:DVDで鑑賞。

【映画】『アクト・オブ・キリング』

大量虐殺について:
ミロのヴィーナスを美しいと感じるのはそういう背景の文化の中にいるからで、芸術は学習によって後天的に学ぶ概念だ。
同じように夕日を美しいと思うことができるのも、我々のいる場所が安全だから。
アフリカでは夜に近づくと捕食動物が跋扈するので、夕日をみると人は恐怖を感じるという。
すなわち、殺人という行為にブレーキがかかかるのは、あくまで僕たちがそういう文化圏に住んでおり、映画や小説や法律や映画や日常会話……それを前提とした文化があって、共通理解のもとで、コミュニケーションがしているから。
目的のためには殺人もよしとする文化圏では、僕達が非難しても、
「じゃあイラクでアメリカは?」
「文化大革命で中国は?」
「第二次世界大戦中の日本は?」
と相対化されるだけ。

映画作りについて:
(対象として)主人公のアンワルにとって、この映画を作るという行為がカウンセリングそのものだったのだろう。
悪夢(罪悪感からの)に悩まされるアンワルが、自分を苦しめる共産主義者を怪物の着ぐるみで再現する行為は、小さい子がオバケの絵を描いた上から×を大きく描いて「コワクナイ!」と宣言するようなもの。
自分のした行為を告白、映画化することで昇華しようとした。
しかし映画を観たとき、そこで自分自身を折り合いをつけるどころか、心の奥底に抑圧してきた考え(疑い)までが表面に浮かび上がってくる。
客観的に自分を見てしまう。
(目的のためなら人が殺していいという共通理解があったとしても、それを否定する考えかたがあることも知っている)

カウンセリングのさらに先に到達してしまった。