一〇代の頃、友達と一緒に深夜のテレビ放送で観たときは正直よくわからなかった。
久しぶりに鑑賞してみると、以前に比べると理解できる部分は多くなった。
完全に理解できたわけでない……わかる部分はあるが共感はしにくいといったところだろうか。
観ていて大学時代の友達のことを思い出した。
彼は才能があって頭も良かったのだが、不器用で周囲と折り合いがつかず、いまは絵に関係のある仕事ではなく労働者として働いている。
学生時代から熱心だった政治運動にさらにのめりこんでいき、日本が右傾化していくことをおおいに憂いている。
足元がふらふらしていて寄る辺もない現在の自分、何かしなければならないという焦燥感が社会に向けられているように見える。
僕の友達と同じく、ベッツィー(主人公トラヴィスが好きになった女性)も政治活動をしている。
そこで声をかけてきたトラヴィスにホイホイとすぐついていくということは、何処かへ連れて行ってくれる誰かをつねに望んでいるからだ。
ベッツィーはインテリジェンスがあるから政治活動をしているだけで、本質的にはトラヴィスと同じ、自分の立っている場所が不安で確固とた地面ではない。
(だから大統領候補のような確信を持った行動をしている人に引き寄せられる)
トラヴィスも、ベッツィーも、僕の友達……そして僕も、現実社会の揺らめく不安のなか佇んでいる。
「頑張っても意味ないのさ」としたり顔で言うタクシードライバーの同僚のような、自分が確固としたところにいると思っている(疑いを持っていない)人たちになることの方を恐れなければならない。
誰でも自分の中にトラヴィスがいる。
しかし現実と理想のギャップを埋めるためショートカットしてしまう(短絡的な行動に走る)とトラヴィスそのものになる。
自分の中にいるトラヴィスを飼いならさなければならないのだ。