こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
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【本】★『脳が冴える15の習慣』築山節

できる限り行動を習慣化させること→生活のリズム→早寝早起き→時間の制約を作る→作業を先送りにしないこと→整理整頓→情報整理→情報のインプットとアウトプット→コミュニケーションの重要性……というなだらかなグラデーション。

【本】『ブルンガ1世(全2)』手塚治虫

寓話的な物語ということを強調するためだろうか、悪魔が鵺のような怪物(ブルンガ1世)を子供にプレゼントをするシーンから始まる。
自分の経験上、子供はこういうことに拒否感を感じるもので……星新一ショートショートでも悪魔や死神が登場する話は「はい、作り話」とイマイチ乗れなかった。
こういうモノだと納得できるようになるには漫画の中である程度の手続き(例えば『デスノート』みたく絵をリアルにするか、『ブリーチ』のように現実からステップアップしていく)をするか、いろんな物語を読んでこういう定番だと理解することができるようになる年齢向けに作るか。
そのどちらでもないこの漫画は僕にとって、寓話的な部分がよく目につきリアリティラインが低い割にシリアスなことを描いている……鵺のような怪物、まさにブルンガ1世のような印象。

【本】『I.L(全2)』手塚治虫

時間軸的には『地球を呑む』に続く手塚氏の本格的な大人漫画。
手塚氏がそもそも持っていた記号的な絵柄が、劇画的な描写と混じりあい独特のダークな雰囲気を醸し出している。
一〇代の頃僕は、手塚氏のこの一連の漫画に大人の世界を覗き見る背徳感を感じ、エロ本を読むように(直接的なエロスは感じなかったが)酒や煙草のように耽溺していた。

この漫画自体は今ひとつ何がやりたいのかわからなかったが、よくわからないながら雰囲気に浸るためだけに何度も読み返していた。

【本】『ショート・アラベスク』手塚治虫

大人向け掌編中心の短篇集。寓話もあれば、実験的な作品もあり、ミステリもあり。
ジャンルも違えば物語のアプローチの仕方もバラエティに富んでいて、手塚氏の短編の特徴は……と単純に定義することができない。
物語作りにどれだけたくさんの引き出しを持っているのだろう。

【本】『藤子・F・不二雄の発想術 』ドラえもんルーム

手塚氏についての研究書籍『一億人の手塚治虫』と同じような編集方針で、F氏の生前のインタビュー・エッセイ・漫画賞の講評等の言葉を再構成したもの。氏は自分を語ることが手塚氏ほど多くない(そもそもそういう作家ではない)ので元ネタが限定されていて、続けて読むと乱暴な接続だったり要点がぼやけていたりする。

生活をルーチン化してコンスタントに創作物を生産するところ、星新一氏を彷彿とさせる(イチロー氏も生活をルーチン化して自分の変化を管理しているという記事を読んだことがある)。手塚治虫氏はその逆だったし、自分の周りを見渡しても漫画家の中ではむしろこういう人が少数派。

発想術についてまとめメモ:
●たくさんのもの(表現物、経験含む)を見ろ。
●独創性を大切にしろ。
●職人意識(自己満足でなく他人を意識した)を持ってモノづくりをしろ。
●自分の好きなもの、楽しいことを大切にしろ。

……僕レベルからすれば相反することもあるしそもそも同時に幾つかのことを守ることができるほど余裕が無い。しかしこれら全てに忠実であろうとした人が藤子・F・不二雄氏だと思う。

【本】『藤子不二雄SF全短篇 (第2巻) 「みどりの守り神』藤子不二雄

「流血鬼」を初めて読んだとき、ハッピーエンド風に描かれたラストに恐怖したことを今でも思い出す。同化されることが子供心ながら恐ろしかった。
ドッジボールなんかやりたくないのに、やってない子を休み時間に強制的に参加させる不条理に個人の自由という言葉を知らず、言い返せずに泣きながらやらされた小学生のときの自分……やりたくないのに仲間はずれが怖くてドッジボール……
「いいね!」「リツィート」の自由意志を大切にしたい。

この短編シリーズを読んだ手塚治虫氏がかなり落ち込んだというが、確かに平均打率の高さは手塚氏を凌駕している。僕の中の短編漫画の教科書、いやバイブル。
個人的に「みどりの守り神」「山寺グラフィティ」「流血鬼」「絶滅の島」は殿堂入り。

【本】『性本能と水爆戦』道満晴明

2012年11月9日ぶりに再読。
僕はモノを擬人化した作品に滅法弱いんやな〜。性描写が必然性があり物語と絡み合っている。エロいのは苦手な僕だけどこれは超お気に入り。

メモ:
「アッカーネ」
乞食王子をモチーフ。

「♯」
楽器を女性に擬人化。

「トゲトゲ」
バケモノの手をした女の子、ラストの描き方が秀逸。

「SIDE SHOW」
シャム双生児の双子、サーカス、象男のエリック。

【本】『最後の性本能と水爆戦 』道満晴明

2012年11月9日ぶりに再読。
線が綺麗だし、女の子はかわいい。短編ひとつひとつの完成度が半端ない。しばらくこの本を教科書にしよう。

メモ:
「MUSE」
自分の選択が世界を滅ぼすとわかっていたら?
「妹の通夜」
妹のことを好きだったが声をかけることができなかった鬼がやってくる。置き土産。

【本】『地底国の怪人』手塚治虫

手塚氏の長編三作目。手塚氏いわく、戦後のストーリー漫画の嚆矢だとのこと。後に『地球トンネル』『アバンチュール21』でリメイクされている、その原型。リメイク含め地底シリーズを全部読んだが、今作が一番シンプルだ。
もともとは『トンネル』というタイトルだったらしいが出版社の要望でこのタイトルに変えたとのこと、そのせいかもしれないが誰が「怪人」なのか最後までわからなかった。

【本】『半神』萩尾望都

表題作『半神』が興味深い。タイトルが内容とマッチしているとは思わないが、ありえない前提からふくらませた問題を掘り下げてしまう萩尾氏の手腕にほとほと感心してしまう。
自分の身の回りのことに一般化するとどういうことを指しているのかイメージすることすら難しい。

【本】『超発明』真鍋博

なんと抑制的な筆致。人の手で描かれていないような無機質さ。三次元的な表現が見うけられず、氏のイラストに描かれている全てが二次元世界の住人。タッチをつけないよう製図ペンを使って描いているのだろうか、気になって調べたが画材は不明。現代でも氏が健在ならCGで描画しているのだろうか。かえって印刷に出るかで出ないかの微妙なアナログ感を大切にするような気もするし、よくわからない。
この懐かしい未来感が、「バラ色の未来」感が一回転して消え失せた昨今、妙に新鮮。

【本】『ジャングルタロ』手塚治虫

水爆実験から始まる冒頭。ウラン鉱石を持ち帰り死ぬ運命の悪役。死の影がちらほら見えるが基調は明るい動物漫画。
あとがきにて、手塚氏は核実験の恐怖を政治色抜きで娯楽作として描きたかったことたらしい。志が高過ぎる! しかし人気重視の少年誌にはそういうテーマは伝わらず、剣豪漫画や月光仮面のブームに押され尻つぼみにおわったとのこと。月光仮面て! 手塚氏の輝かしい活躍の歴史の裏にはこういう試行錯誤や競争があったということを実感。

【本】★『お片づけセラピー〜ADHD/ADDのためのハッピーサバイバル法』桜井 公子 袋居 司

僕はADHDなので(医者の正式な認定済み)、片付けやスケジュール管理がとても苦手。
何とか改善したく思い、いろんな片付け本を読んで実行している。
その甲斐あってか少しずつマシになっていると自分が思っているが、それでもカバーできない領域があって、それは一般の人ではないADHDに由来する部分……それを補うためにADHDのためと銘打ったこの本を入手する。
今まで読んだ片付け関係の本で取りこぼしていた(この本で初めて目にする)コツをメモ。

ちなみにこの本のADHDチェックリストの四〇個中、三六個に僕は該当している!

メモ:
●ハサミとゴミ袋は部屋ごとに常備。

●ノリが良くても徹夜の片付けはしない。

●大事なものだけをいれる引き出し(箱)を作る。

●すぐに出かけられるよう荷物の「最低限セット」を作る。

●玄関に確認事項を書いた大きな紙を貼る。

●メールのレスが遅いことを周囲に予め伝えておく、その都度詫びる。

●メールや礼状、年賀状は凝るより、「早さ」と「出すこと」が勝負。

【本】★★『机の上はいらないモノが95%―世界一シンプルな整理法』 リズ・ダベンポート

筆者の前作『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』の理屈部分を省きポイントだけ抜粋したもの。前作もじゅうぶん勉強になったが、情報が多すぎて埋もれてしまった方法にすぐアクセスできるため、検索用として良書。

メモ:
●ラベルのないトレーは厳禁:そんなことをすると無制限に放り込んでしまう。

●手が届くところにあるものは、「毎日使うモノ」だけ。
 └毎日使うモノは、目の前のすぐ届くところに置く。
 └一週間に一度使うモノは引き出しに入れておく。
 └一ヶ月に一度程度しか使わないモノは、部屋においておく必要はあるが、机周りに置かない。
 └一ヶ月に一度以下の頻度のモノは部屋の外へ。

●どんなに記憶力のある人でも一度に覚えられる用件は七つだけ。→一日にこなせるタスクは七つまで。

●ペンディングトレーに入れるとき、この順番で。
 1:スケジュール帳にメモをする(期限日に)。
 2:トレーに入れる。

●スケジュールは逆算してつくる……僕の場合は余裕持って一日早めに設定するのがいいかも。

●一時間以上かかることはスケジュール帳に組み込む。

●クロージング
 1:スケジュール帳をチェック。
 2:机の片付け。
 3:次の日の計画を立てる。(→一日にこなせるタスクは七つまで)

●システムを半年に一度チェック。

【本】『藤子不二雄SF全短篇 (第1巻) カンビュセスの籤』藤子不二雄

一九五〇〜六〇年頃アメリカで流行った小説ジャンル「奇妙な味」の漫画化を藤子・F・不二雄氏が試みたものと解釈。
価値観のズラシで、極端(あるいは象徴的)な状況を作って、主人公が目的を達成しようと努力するが、報われない/皮肉な結果に終わる、バリエーションが比較的多い。
「ミノタウルスの皿」は食の価値観のズラシ、「ウルトラスーパーデラックスマン」は正義という概念のズラシ……など。
どの価値観をどんな状況でズラすか、という部分がこの短篇集の核。F氏の独創性と職人的テクニックが起こした奇跡のような化学反応。

「ミノタウロスの皿」「カンビュセスの籤」「劇画・オバQ」「分岐点」「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」が個人的に好み。

【本】『読書は1冊のノートにまとめなさい』奥野宣之

このメソッドは僕には癖が強すぎて、ちょっと真似ができない。
普段あまり本を読まない人が、読書を楽しむため導入するにはいいかもしれない。
読書ノート自体一つの作品にするような感覚で作るメソッドだから、フェティッシュな楽しみができそうだ。

【本】『藤子不二雄SF全短篇(第3巻)征地球論』藤子不二雄

比較的新しく発表されたもの(八〇年代)中心に編まれている。前二作と同じく「奇妙な味」的なもの、ズレた価値観を扱う物語が中心だが、日常のなかの一コマを切り取る傾向が強くなりドラマ性は身を潜める。
「征地球論」「あのバカは荒野をめざす」「未来ドロボウ」「大予言」が僕の好み。特に「征地球論」は文明批評としても素晴らしい。こんな短編が載っていた少年漫画誌ってすごい時代だったんだな。

【本】『時計じかけのりんご』手塚治虫

個人的な印象では、この本は全集版の中で最も完成度が高い短篇集。
手塚氏の短編も全体を通せば藤子・F・不二雄氏に負けないほど面白いのだが、平均点は高くない。
F氏はストイックに「奇妙な味」中心に描くのだが、手塚氏は好きなもの(描きたいもの)の範囲が広すぎて、ともすればバランスを失いがちになってしまう。そしてあきらかにオーバーワーク。しかし下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる(しかも下手でない名人芸)わけで、珠玉の作品も生まれるからそれを一概に否定できないが。
あとがきにて手塚氏いわく、「時計じかけのりんご」はニュアンスだけでつけたタイトルとのこと。同じように「ロスト・ワールド」「メトロポリス」等も原典を読まずにつけたタイトルなので、似たタイトルだからと作品を比較して論じられても困ると力説。
最後に自分の描いた「最上殿始末」(全集『火の山』に収録)に言及、黒沢明「影武者」に似ていると誤解する方がいるなら、それは偶然で自分が先に描いたものだ!と主張し始める。
勢いあまって他の作品集の言い訳をここでするということは、誰かに言われてよっぽどカチンときたのだろう。

【本】『冒険放送局』手塚治虫

幼年もの作品、手塚氏自身が意識してディズニータッチで描いてたとのこと。生きているかのように飛びはねる動物が見ていて気持ちいい。漫画やアニメの根源的な楽しみはこういうことなのじゃないかと思う。遠いところでさまよっている自分も早くここへ戻りたい。
漫画の内容に関して。巻頭の「冒険放送局」は『ドラえもん』のもしもボックスのような機械が引き起こすドタバタ。後半の「ボンゴ」はインカ文明の末裔の少年が活躍する冒険譚。後者のほうが整合性があって好み。手塚氏っぽくない凶暴なまでのハッピーエンドは幼年向けだから?

【本】『雑巾と宝石』手塚治虫

あとがきにて、タイトルは『ボロと宝石』にするつもりだったが「どうしても漢字で書きたくて「襤褸」としたら、編集者に今どきそんな文字を読める人間はいないといわれ、仕方なく“雑巾”と書いてボロと読ませたのです。ところが、またもや編集者に、雑巾をボロとは読まん、雑巾のまちがいだと思われるといわれ、えいくそとばかりゾーキンに変えてしまいました。」そして勢いで主人公の名前を須形ボロ子から象野キン子に変えてしまったとのこと。
だったら、ひらがなで『ボロと宝石』にしたらよかったのでは? 漢字の字面にこだわったのだろうか。
手塚氏にとって何が譲れないものなのかがわからない。 
「日付健忘線」など他のヤング誌に発表された収録作も味わい深い。

【本】『地球を呑む(全2巻)』手塚治虫

あとがきにて手塚氏いわく、「この作品でいちばん気にいっていたのはタイトルです」は裏を返せばタイトル以外は気に入っていなかったということ?
いわく、中だるみ、物語が広がりすぎて収拾がつかなくなった……
いわく、大河もの連載の欠点がこの『地球を呑む』でも露呈した……
手塚氏の自作けなしは自作を愛しすぎるゆえのレトリック(言い回し、表現方法)だと思っているのでそのまま受け取りはしないけれど、バランスがおかしい作品であることは確か。しかしそういう歪みを含めて手塚漫画の魅力なので、この漫画は憎めなくて、いつも手元に置いておきたいのだ。

【本】『火の山』手塚治虫

史実をもとにしたドキュメンタリー漫画中心の短篇集。
表題作「火の山」は、昭和新山の観測にかける男たちについて、手塚氏が実際に取材して描いたもの。
独特のキャラクター、悲劇性が見え隠れ、史実をもとにして描いたものの中ですら消すことのできない手塚氏の個性なのだと実感。

【本】『ジョナサンと宇宙クジラ』ロバート・F・ヤング

今回で再読四回め。学生のとき五冊一〇〇円で購入、一〇代、二〇代、三〇代とことあるごとに読み返してきた。
読んでいて懐かしさがこみ上げくるが、それは大学時代の初読時もそうだったので、きっとこの作品には人を普遍的にそういう気持ちにさせる何かがあるのだろう。
ノスタルジックなものに対する思い入れの強さは、ジャック・フィニイ氏と似ている。物語作りはフィニイ氏のほうが確実に達者だが、「たんぽぽ娘」のような、少女がらみ(あるいはボーイ・ミーツ・ガール的な)の題材は確実にヤング氏のほうが現代の日本人に受けるだろうと思うし、昨今の出版ラッシュはそれを裏付けている。
表題作「ジョナサンと宇宙クジラ」について、ギリシア神話と聖書をうまく引用して作った話だなあと感心する。最近、自分が神話を集中的に読むことが多かったので余計そう思ったのだが。ヤング氏はそんなに複雑なプロットを駆使しないぶん、こういうところに凝っている。

メモ:
九月は三十日あった:家庭教師ロボットが過去の古典の改変テレビドラマに怒り狂う。
魔法の窓:九月は三十日あった、と内容的に似ている。窓の外。画家。少女。
ジョナサンと宇宙クジラ:宇宙クジラを一七歳の少女に擬人化させるその発想がいま現在の日本の読者向けすぎ。今の日本人と場所も年代も違うのにどういうシンクロニシティ?
サンタ条項:悪魔が「サンタが本当に存在したら」男の願いをかなえると……少しこじつけすぎに思う。星新一氏のような。
ピネロピへの贈りもの:
雪つぶて:アンブローズ・ビアス 『アウル・クリーク橋でのできごと』的なもの? 着陸した宇宙人の円盤に向かう兵士、幼いころの雪合戦の記憶が交差する。
リトル・ドッグ・ゴーン:瞬間移動する犬。
空飛ぶフライパン:ピーナッツバター作戦のような。
ジャングル・ドクター:少女のように見える精神科医の宇宙人が誤って地球に転送され、妻を亡くしたアル中男のもとへ。
いかなる海の洞に:海辺で拾われてきた巨人族の彼女、その姉、大金持ちの主人公。ラストが切ない。

【本】『魔神ガロン(全5)』手塚治虫

もともとの手塚治虫全集版(全三〇〇巻)では全二巻で、ガロンが海で大渦巻に巻き込まれるところでプッツリ終わっている。
死後に編まれた第四期手塚治虫全集版でようやく連載作品が全て収録される。何とももの悲しいラスト。
人類がエゴを捨てることができないこの世界においてピックとガロンが幸せに暮す絵を描くことが、手塚氏にとってリアリティがなかったということか。

【本】『魔神ガロン(全1)秋田書店版』手塚治虫

本棚の奥から引っ張り出してきて全集版と比較。ガロンが海で大渦巻に巻き込まれるところでプッツリ終わっているのはもとの全集版と同じ。
しかしその後に取って付けたように
「けっして死んだりしないよ またげんきな姿をあらわすよ」
と登場人物が海面を指し、無責任につぶやくシーンが追加されている。

【本】『日本発狂』手塚治虫

死後の世界の人々が日本に移住してパニックになる部分が「日本発狂」、しかしそれはラスト二〇ページぶんしか描かれていない。手塚氏自身はそういうドタバタに興味が無いようで描写も極めて淡白。
筒井康隆氏ならそこから始まりそこに終わる物語になっただろう。

【本】『人間昆虫記(全2)』手塚治虫

人間昆虫記とはまさに手塚治虫氏のことを指すのではないか。
同時期(七〇年〜七一年)に連載された『きりひと讃歌』と対をなす大人向け手塚氏大人向け漫画。この二年後の七三年に虫プロ倒産、そして『ブラック・ジャック』連載開始。この作品の前後からそれまでの手塚氏にないキャラクターの内面変化が顕れる。この作品前後の虫プロ倒産のゴタゴタなどが手塚氏の脱皮するおおきなきっかけになったと思われる。
僕には、様々な職業の恋人から才能を吸収し脱皮していく主人公の十村十枝子の姿が、様々なトラブルや新人漫画家からさえも貪欲に新しいものを吸収していった手塚氏自身と重なってしかたないのだ。

【本】『やけっぱちのマリア(全2)』手塚治虫

本棚の奥から秋田書店版を引っ張り出してきたら「SFコミックス」と銘打たれていた。手塚氏自身は日本初の少年誌連載の性教育漫画!という意気込みだったのだろうけど。
この漫画、誰が得するんだろう。子供は性教育部分を説教臭くてとばしてしまうし、主人公がダッチワイフって時点でPTA推薦図書にはなり得ないし、手塚氏も一二回で打ち切られてしまうし、肝の性教育に関する知識もいま読みかえすと偏見に満ちているし。主人公のマリアも、ヤケッパチに好きな女の子ができたらすぐに捨てられてしまうし!
捨てられると言っても比喩ではなく本当に捨てられてしまう……ボロボロになったダッチワイフのマリアが箱に詰められ川に流されていくところでラスト。神話の誕生みたいでちょっと格好いい。
僕のなかで『やけっぱちのマリア』は、ここから『どろろ』がはじまる前日譚ということにする。

たとえばこんな知識。

たとえばこんな知識。

【本】『一輝まんだら(全2)』手塚治虫

無学で顔が不自由な中国人女性が義和団の乱に参加して日本へ逃亡するまでがこの物語のおもなプロット。彼女がタイトルに登場する北一輝と出会ってすぐにバッサリと打ち切られている。
おそらく北一輝を中心にして曼荼羅のように周囲に広がる世界、物語が進んだら数十巻にもなるボリュームのものを手塚氏は構想していたのではないか。読者にはこのプロローグ的なものから推測するしかない。
物語としての魅力、引きが強い(逆に言うと引きしかない)だけに、この先この物語の収拾をどういう風につけていくのか見たかった。
手塚氏には波があって、この作品が欠かれたのは物語的には充実していくが絵柄的にはあきらかに思い入れが感じられない時期。描線は全体的に雑で、背景と人物が噛み合ってない部分が多い。