できる限り行動を習慣化させること→生活のリズム→早寝早起き→時間の制約を作る→作業を先送りにしないこと→整理整頓→情報整理→情報のインプットとアウトプット→コミュニケーションの重要性……というなだらかなグラデーション。
「こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ
【本】『ブルンガ1世(全2)』手塚治虫
寓話的な物語ということを強調するためだろうか、悪魔が鵺のような怪物(ブルンガ1世)を子供にプレゼントをするシーンから始まる。
自分の経験上、子供はこういうことに拒否感を感じるもので……星新一ショートショートでも悪魔や死神が登場する話は「はい、作り話」とイマイチ乗れなかった。
こういうモノだと納得できるようになるには漫画の中である程度の手続き(例えば『デスノート』みたく絵をリアルにするか、『ブリーチ』のように現実からステップアップしていく)をするか、いろんな物語を読んでこういう定番だと理解することができるようになる年齢向けに作るか。
そのどちらでもないこの漫画は僕にとって、寓話的な部分がよく目につきリアリティラインが低い割にシリアスなことを描いている……鵺のような怪物、まさにブルンガ1世のような印象。
【本】『I.L(全2)』手塚治虫
【本】『ショート・アラベスク』手塚治虫
【本】『藤子・F・不二雄の発想術 』ドラえもんルーム
手塚氏についての研究書籍『一億人の手塚治虫』と同じような編集方針で、F氏の生前のインタビュー・エッセイ・漫画賞の講評等の言葉を再構成したもの。氏は自分を語ることが手塚氏ほど多くない(そもそもそういう作家ではない)ので元ネタが限定されていて、続けて読むと乱暴な接続だったり要点がぼやけていたりする。
生活をルーチン化してコンスタントに創作物を生産するところ、星新一氏を彷彿とさせる(イチロー氏も生活をルーチン化して自分の変化を管理しているという記事を読んだことがある)。手塚治虫氏はその逆だったし、自分の周りを見渡しても漫画家の中ではむしろこういう人が少数派。
発想術についてまとめメモ:
●たくさんのもの(表現物、経験含む)を見ろ。
●独創性を大切にしろ。
●職人意識(自己満足でなく他人を意識した)を持ってモノづくりをしろ。
●自分の好きなもの、楽しいことを大切にしろ。
……僕レベルからすれば相反することもあるしそもそも同時に幾つかのことを守ることができるほど余裕が無い。しかしこれら全てに忠実であろうとした人が藤子・F・不二雄氏だと思う。
【本】『藤子不二雄SF全短篇 (第2巻) 「みどりの守り神』藤子不二雄
「流血鬼」を初めて読んだとき、ハッピーエンド風に描かれたラストに恐怖したことを今でも思い出す。同化されることが子供心ながら恐ろしかった。
ドッジボールなんかやりたくないのに、やってない子を休み時間に強制的に参加させる不条理に個人の自由という言葉を知らず、言い返せずに泣きながらやらされた小学生のときの自分……やりたくないのに仲間はずれが怖くてドッジボール……
「いいね!」「リツィート」の自由意志を大切にしたい。
この短編シリーズを読んだ手塚治虫氏がかなり落ち込んだというが、確かに平均打率の高さは手塚氏を凌駕している。僕の中の短編漫画の教科書、いやバイブル。
個人的に「みどりの守り神」「山寺グラフィティ」「流血鬼」「絶滅の島」は殿堂入り。
【本】『性本能と水爆戦』道満晴明
【本】『続・性本能と水爆戦』道満晴明
【本】『最後の性本能と水爆戦 』道満晴明
【本】『地底国の怪人』手塚治虫
【本】『半神』萩尾望都
【本】『超発明』真鍋博
【本】『有尾人』手塚治虫
【本】『ジャングルタロ』手塚治虫
【本】★『お片づけセラピー〜ADHD/ADDのためのハッピーサバイバル法』桜井 公子 袋居 司
僕はADHDなので(医者の正式な認定済み)、片付けやスケジュール管理がとても苦手。
何とか改善したく思い、いろんな片付け本を読んで実行している。
その甲斐あってか少しずつマシになっていると自分が思っているが、それでもカバーできない領域があって、それは一般の人ではないADHDに由来する部分……それを補うためにADHDのためと銘打ったこの本を入手する。
今まで読んだ片付け関係の本で取りこぼしていた(この本で初めて目にする)コツをメモ。
ちなみにこの本のADHDチェックリストの四〇個中、三六個に僕は該当している!
メモ:
●ハサミとゴミ袋は部屋ごとに常備。
●ノリが良くても徹夜の片付けはしない。
●大事なものだけをいれる引き出し(箱)を作る。
●すぐに出かけられるよう荷物の「最低限セット」を作る。
●玄関に確認事項を書いた大きな紙を貼る。
●メールのレスが遅いことを周囲に予め伝えておく、その都度詫びる。
●メールや礼状、年賀状は凝るより、「早さ」と「出すこと」が勝負。
【本】★★『机の上はいらないモノが95%―世界一シンプルな整理法』 リズ・ダベンポート
筆者の前作『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』の理屈部分を省きポイントだけ抜粋したもの。前作もじゅうぶん勉強になったが、情報が多すぎて埋もれてしまった方法にすぐアクセスできるため、検索用として良書。
メモ:
●ラベルのないトレーは厳禁:そんなことをすると無制限に放り込んでしまう。
●手が届くところにあるものは、「毎日使うモノ」だけ。
└毎日使うモノは、目の前のすぐ届くところに置く。
└一週間に一度使うモノは引き出しに入れておく。
└一ヶ月に一度程度しか使わないモノは、部屋においておく必要はあるが、机周りに置かない。
└一ヶ月に一度以下の頻度のモノは部屋の外へ。
●どんなに記憶力のある人でも一度に覚えられる用件は七つだけ。→一日にこなせるタスクは七つまで。
●ペンディングトレーに入れるとき、この順番で。
1:スケジュール帳にメモをする(期限日に)。
2:トレーに入れる。
●スケジュールは逆算してつくる……僕の場合は余裕持って一日早めに設定するのがいいかも。
●一時間以上かかることはスケジュール帳に組み込む。
●クロージング
1:スケジュール帳をチェック。
2:机の片付け。
3:次の日の計画を立てる。(→一日にこなせるタスクは七つまで)
●システムを半年に一度チェック。
【本】『藤子不二雄SF全短篇 (第1巻) カンビュセスの籤』藤子不二雄
一九五〇〜六〇年頃アメリカで流行った小説ジャンル「奇妙な味」の漫画化を藤子・F・不二雄氏が試みたものと解釈。
価値観のズラシで、極端(あるいは象徴的)な状況を作って、主人公が目的を達成しようと努力するが、報われない/皮肉な結果に終わる、バリエーションが比較的多い。
「ミノタウルスの皿」は食の価値観のズラシ、「ウルトラスーパーデラックスマン」は正義という概念のズラシ……など。
どの価値観をどんな状況でズラすか、という部分がこの短篇集の核。F氏の独創性と職人的テクニックが起こした奇跡のような化学反応。
「ミノタウロスの皿」「カンビュセスの籤」「劇画・オバQ」「分岐点」「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」が個人的に好み。
【本】『読書は1冊のノートにまとめなさい』奥野宣之
【本】『藤子不二雄SF全短篇(第3巻)征地球論』藤子不二雄
【本】『時計じかけのりんご』手塚治虫
個人的な印象では、この本は全集版の中で最も完成度が高い短篇集。
手塚氏の短編も全体を通せば藤子・F・不二雄氏に負けないほど面白いのだが、平均点は高くない。
F氏はストイックに「奇妙な味」中心に描くのだが、手塚氏は好きなもの(描きたいもの)の範囲が広すぎて、ともすればバランスを失いがちになってしまう。そしてあきらかにオーバーワーク。しかし下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる(しかも下手でない名人芸)わけで、珠玉の作品も生まれるからそれを一概に否定できないが。
あとがきにて手塚氏いわく、「時計じかけのりんご」はニュアンスだけでつけたタイトルとのこと。同じように「ロスト・ワールド」「メトロポリス」等も原典を読まずにつけたタイトルなので、似たタイトルだからと作品を比較して論じられても困ると力説。
最後に自分の描いた「最上殿始末」(全集『火の山』に収録)に言及、黒沢明「影武者」に似ていると誤解する方がいるなら、それは偶然で自分が先に描いたものだ!と主張し始める。
勢いあまって他の作品集の言い訳をここでするということは、誰かに言われてよっぽどカチンときたのだろう。
【本】『冒険放送局』手塚治虫
【本】『雑巾と宝石』手塚治虫
あとがきにて、タイトルは『ボロと宝石』にするつもりだったが「どうしても漢字で書きたくて「襤褸」としたら、編集者に今どきそんな文字を読める人間はいないといわれ、仕方なく“雑巾”と書いてボロと読ませたのです。ところが、またもや編集者に、雑巾をボロとは読まん、雑巾のまちがいだと思われるといわれ、えいくそとばかりゾーキンに変えてしまいました。」そして勢いで主人公の名前を須形ボロ子から象野キン子に変えてしまったとのこと。
だったら、ひらがなで『ボロと宝石』にしたらよかったのでは? 漢字の字面にこだわったのだろうか。
手塚氏にとって何が譲れないものなのかがわからない。
「日付健忘線」など他のヤング誌に発表された収録作も味わい深い。
【本】『地球を呑む(全2巻)』手塚治虫
【本】『火の山』手塚治虫
【本】『ジョナサンと宇宙クジラ』ロバート・F・ヤング
今回で再読四回め。学生のとき五冊一〇〇円で購入、一〇代、二〇代、三〇代とことあるごとに読み返してきた。
読んでいて懐かしさがこみ上げくるが、それは大学時代の初読時もそうだったので、きっとこの作品には人を普遍的にそういう気持ちにさせる何かがあるのだろう。
ノスタルジックなものに対する思い入れの強さは、ジャック・フィニイ氏と似ている。物語作りはフィニイ氏のほうが確実に達者だが、「たんぽぽ娘」のような、少女がらみ(あるいはボーイ・ミーツ・ガール的な)の題材は確実にヤング氏のほうが現代の日本人に受けるだろうと思うし、昨今の出版ラッシュはそれを裏付けている。
表題作「ジョナサンと宇宙クジラ」について、ギリシア神話と聖書をうまく引用して作った話だなあと感心する。最近、自分が神話を集中的に読むことが多かったので余計そう思ったのだが。ヤング氏はそんなに複雑なプロットを駆使しないぶん、こういうところに凝っている。
メモ:
九月は三十日あった:家庭教師ロボットが過去の古典の改変テレビドラマに怒り狂う。
魔法の窓:九月は三十日あった、と内容的に似ている。窓の外。画家。少女。
ジョナサンと宇宙クジラ:宇宙クジラを一七歳の少女に擬人化させるその発想がいま現在の日本の読者向けすぎ。今の日本人と場所も年代も違うのにどういうシンクロニシティ?
サンタ条項:悪魔が「サンタが本当に存在したら」男の願いをかなえると……少しこじつけすぎに思う。星新一氏のような。
ピネロピへの贈りもの:
雪つぶて:アンブローズ・ビアス 『アウル・クリーク橋でのできごと』的なもの? 着陸した宇宙人の円盤に向かう兵士、幼いころの雪合戦の記憶が交差する。
リトル・ドッグ・ゴーン:瞬間移動する犬。
空飛ぶフライパン:ピーナッツバター作戦のような。
ジャングル・ドクター:少女のように見える精神科医の宇宙人が誤って地球に転送され、妻を亡くしたアル中男のもとへ。
いかなる海の洞に:海辺で拾われてきた巨人族の彼女、その姉、大金持ちの主人公。ラストが切ない。
【本】『魔神ガロン(全5)』手塚治虫
【本】『魔神ガロン(全1)秋田書店版』手塚治虫
【本】『日本発狂』手塚治虫
【本】『人間昆虫記(全2)』手塚治虫
【本】『やけっぱちのマリア(全2)』手塚治虫
本棚の奥から秋田書店版を引っ張り出してきたら「SFコミックス」と銘打たれていた。手塚氏自身は日本初の少年誌連載の性教育漫画!という意気込みだったのだろうけど。
この漫画、誰が得するんだろう。子供は性教育部分を説教臭くてとばしてしまうし、主人公がダッチワイフって時点でPTA推薦図書にはなり得ないし、手塚氏も一二回で打ち切られてしまうし、肝の性教育に関する知識もいま読みかえすと偏見に満ちているし。主人公のマリアも、ヤケッパチに好きな女の子ができたらすぐに捨てられてしまうし!
捨てられると言っても比喩ではなく本当に捨てられてしまう……ボロボロになったダッチワイフのマリアが箱に詰められ川に流されていくところでラスト。神話の誕生みたいでちょっと格好いい。
僕のなかで『やけっぱちのマリア』は、ここから『どろろ』がはじまる前日譚ということにする。
【本】『一輝まんだら(全2)』手塚治虫
無学で顔が不自由な中国人女性が義和団の乱に参加して日本へ逃亡するまでがこの物語のおもなプロット。彼女がタイトルに登場する北一輝と出会ってすぐにバッサリと打ち切られている。
おそらく北一輝を中心にして曼荼羅のように周囲に広がる世界、物語が進んだら数十巻にもなるボリュームのものを手塚氏は構想していたのではないか。読者にはこのプロローグ的なものから推測するしかない。
物語としての魅力、引きが強い(逆に言うと引きしかない)だけに、この先この物語の収拾をどういう風につけていくのか見たかった。
手塚氏には波があって、この作品が欠かれたのは物語的には充実していくが絵柄的にはあきらかに思い入れが感じられない時期。描線は全体的に雑で、背景と人物が噛み合ってない部分が多い。