こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな本を読んだ!

【本】★『結晶星団』小松左京

小松氏にとって作品はメモ代わり、未来についてのレポートであるという。
その未来観の極北のひとつが本短篇集。

深い知識とアクロバティックな思考で構成された創造物は咀嚼することが困難、個人的に本書は『カラマーゾフの兄弟』全巻より読破するのに時間がかかった。
毎日歩く道でふと立ち止まり、街並みの向こうを見ると、地平線際に見え隠れする雪山。
思い立って向かうと久しぶりの登山と初めての雪山で困難に直面する。
しかし、いったん登頂に成功するとその雪山は既視感と新鮮さが入り交じる不思議な感覚で自分を包みこむ……そんな僕の印象だった。

メモ:
「結晶星団」
結晶の星団と宇宙の創造、堕天使、進化の可能性を統合した表題作。

「星殺し「スター・キラー」」

「飢えた宇宙」

「宇宙に嫁ぐ」

「サテライト・オペレーション」

「神への長い道」

「歩み去る」
若者が何故旅をするのか
世界中のいろんな場所で出会う若者
宇宙の向こうを目指している
新人類
火星

「劇場」

「雨と、風と、夕映えの彼方へ」
イマジナリーナンバー=虚数
イマジナリスペース虚空間
ブラックホールには思考の世界が詰まっている

「氷の下の暗い顔」
はるか遠い宇宙の彼方の星、氷の下に人の顔
アニミズム的な世界観
木が空へ飛んで行く

【本】★『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル ビル・モイヤーズ

メモ:
第二章 内面への旅
●人間の堕落は(セックスをもたらす)女がもたらした……女は罪人という概念はユダヤ教を祖とする神話以外には見つからない(ギリシア神話のパンドラは不安やトラブル)。

●BC三五〇〇年のシュメールの印鑑はヘビと木と女神が刻まれている。
その女神が訪れた男に生命の実を与える。エデンの園ありきでヤハウェが訪問者だった。

●そもそもエデンの園信仰のあったカナン人の地にユダヤ人が侵略した。カナン人は女神信仰。
その女神にはヘビが伴っていた(ヘビは生命の神秘の象徴)。
ユダヤ人はこれを排斥。
つまりエデンの園の物語は母なる女神を排斥した物語。

●英雄譚は再生の物語。人生の象徴。
●人生はひとつの試練であり、それをくぐり抜けなければ生命の束縛から解放されないという考えは比較的高度な宗教だけに属している。
精神的な力と深みはありながら、存在の精神面で望ましからぬ経験をした人々が生んだもの?

●エリートたちが神話を作る。
未知の国に旅して返ってきたシャーマンや芸術家が神話を作る。

●民話は娯楽を目的としたもの。
神話は精神的な教化を目的としたもの。

第三章 犠牲と至福
●聖書の中では勝利者となる善人は決まって次男。例えば長男カインは収穫物を、次男アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視、嫉妬にかられたカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。

●この物語ではカイン(長男であるカナン人・そこにすでに住んでいる、農耕を基板とした都市の立場を代表)は農耕民、アベル(次男であるユダヤ人・土地を持っていない)は狩猟民あるいは牧畜民を象徴。

●聖書とは農耕文化の中に侵入し自分らが征服した先住民を蔑視した狩猟民ないし牧畜民の神話。
農耕民のほうが忌み嫌われる。

●教皇グレゴリウスの解釈;エデンの園の罪のために人間は悪魔の手に陥ってしまったので、神は自身の子息を質受け料として差し出した。
悪魔を引っ掛けるための釣餌。
これは「あがない」説と呼ばれる。

第四章 犠牲と至福
●ハワイにて。
宣教師が「私の神(ゴッド)からメッセージを携えて来ました」
ペレ女神の女祭司「ああゴッドはあなたの神様ね。私のはペレよ」

●唯一神はユダヤ教以外に見つからない。
砂漠で暮らす人は自分を守ってくれる社会に全てを委ねる、その社会は家父長的なもの。
それに対して恵み豊かな自然は母親的。

●女神信仰があらわれたのは人類が農耕時代に入り、その初期社会の農作物の植え付けや収穫に女性が主要な役割を果たしてから。

●男性が農耕の主導者になうのは高度の文化組織の中で鋤が発明されてから。
鋤が大地を耕すことで性交の真似が支配的な神話イメージとなる。

第六章 女神からの贈り物
●紀元前一七五〇年ぐらいまでに神話の中心は女神からその息子に移る。
女は戦利品、財産だという考え。
出エジプト記「殺してはならない。隣人の妻を欲してはならない。」
しかし外国は別で、申命記二〇章一三、一四節「あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たなければならない。
ただし、女(中略)は全て分捕り品として奪い去ることができる」

●ユダヤ人は隣人に対して情け容赦を知らなかった。
愛と慈悲は内部に、外部には攻撃と虐待。

●カナンの女神をユダヤ人は「忌むべきもの」を意味する言葉。

●旧約聖書列王記の時代はシーソーゲームのようにユダヤ教の一方でカナン的な信仰も残っており、ユダヤ人の王がカナン人のように山頂で礼拝をして非難されたり。
西洋社会で女性が従属的なのは聖書的な思考を働かせているため。

●しかし今日の地球では外部など存在しない。現代の宗教の課題はこういう慈悲やおもいやりを全人類のために働かせること。

●ユダヤの伝統では神の息子という観念は不快なものとされている。よって処女降誕はユダヤ人の文化に無く、ギリシアの伝統から入ってきたもの。
ルカによる福音書、のルカはギリシア人。
レダと白鳥、ペルセポネとヘビなどギリシア神話に処女降誕の話は至るところにある。

●処女は耳から言葉を聞いて懐妊する。イエスの処女降誕は肉的な誕生ではなく精神的な意味。
英雄や半神は支配力、セックス、自己保存ではなく慈悲や慈愛という動機から発生するから処女降誕という姿で生まれてくる。

第七章 愛と結婚の物語
●ペルシアの神話、サタンがあまりにも神を愛しすぎて地獄に落とされた。
イスラム教の基本的な概念で、サタンは神の比類なき愛人。

●「サタンは何故地獄へ投げ込まれたか」標準的な神話では、天使を創造したとき人に仕えるように命じたが、頭を下げようとしなかった天使がサタン。
キリスト教ではサタンの自己中心性という解釈。

●ペルシアではサタンは神を愛するがゆえ人間に頭を下げることが出来なかった。
神の前でしか頭を下げられなかった。愛する神以外の誰にも頭を下げることが出来なかった。

●苦痛の最たるものは「愛するもの」つまり神が不在なこと。
サタンは何故地獄に踏みとどまっていられるか……神のことを思い出すことができるから。
「地獄に落ちろ」という神の声、それは大きな愛のしるし。

第八章
キャンベル:私は生に目的があるとは信じません。
生とは自己増殖と生存持続の強い欲求を持った多くのプロトプラズムにほかなりません。
モイヤーズ:まさか……まさか、そんな。

●あらゆる生命体はある潜在意識を持っている。
生の使命はその潜在能力を生きること。
「あなたの至福を追求しなさい」

●あなたの中には自分が中心にいることを知る能力がある。
金儲けで軌道から離れた場合自分の生を失う。
中心にいる場合、稼げなくても自分の至福を得る。
エデンはかつてあった場所ではなく、今存在している。この地上に天国が広がっているのを見るなら、出来事でなく心のなかにある。