こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
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【本】★『10月はたそがれの国』レイ・ブラッドベリ

妄執に囚われた登場人物が抗い難い事件に巻き込まれ、その妄執が現実化する……そのバリエーション。
主観が妄執で現実の境界線があやふやになった登場人物側から描かれているので、物語中で何が起こっているのか一読で把握できない。
何度も読み直しながら次の短編へ移る、それを繰り返しながら通常の倍近くかかって読了。

メモ:
「こびと」
「つぎの番」
「マチスのポーカー・チップの目」
「骨」……骨の痛みに固執。医者に抜いてもらう。そのクラゲが、彼女の名をはっきりと呼んだ。
「壜」……カーニバルでかった瓶の中の白いブヨブヨしたもの。皆自分なりの幻想で見つめる。
「みずうみ」
「使者」
「熱気のうちで」……ブルームバーグ市長気温が上がると犯罪発生率も上がるようだ/地球温暖化で人間が攻撃的になる?  夏場の方が犯罪率か高いのは統計学的にみても、その通りの結果
「小さな殺人者」 ……赤ちゃんに殺されるという妄想
「群集」
「びっくり箱」……ロコ!思うままに
「大鎌」……麦を刈ると人が死ぬ。刈らないと死なない人が増える。
「アンクル・エナー」
「風」……台風や竜巻で死んだ人が魂だけの存在となって生き続ける。
「二階の下宿人」
「ある老母の話」
「下水道」……自分たちが住んでいる街の下には都市がある。下水道の水が流れて水の中に沈んでいる。水が流れていき帰り、私を迎えに来る。
「集会」
「ダッドリー・ストーンのふしぎな死」

【本】『厭な物語』アガサ・クリスティーほか

マシスンの息子がすでに還暦を過ぎていることに驚く。
彼の収録作品「赤」、たった四ページの鮮烈な印象! 
ちなみにここで編まれた物語の半分は既読だった。
どんだけ厭な物語好きなんだ自分。

メモ:
「崖っぷち」アガサ・クリスティー
「すっぽん」パトリシア・ハイスミス
「フェリシテ」モーリス・ルヴェル
「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ」ジョー・R・ランズデール……イヌを引っ張って走る車
「くじ」シャーリイ・ジャクスン
「シーズンの始まり」ウラジミール・ソローキン
「判決 ある物語」フランツ・カフカ
「赤」リチャード・クリスチャン・マシスン
「言えないわけ」ローレンス・ブロック
「善人はそういない」フラナリー・オコナー
「うしろをみるな」フレドリック・ブラウン

【本】★『象られた力』飛浩隆

八〇年〜九〇年代の短編。
一部は学生時代にSFマガジンでリアルタイム既読。

ネットワーク、バーチャルリアリティー、遺伝子など現在ならもっと直接的に描かれることも多い概念だが、筆者流に咀嚼されるとずば抜けたオリジナルな表現と物語が生まれる。
どこか懐かしいのに新鮮な感動。

読了時間:3時間45分

メモ:
「デュオ」叙述トリック。双子と思われたが実は三つ子。共有していた意識がソフトのように寄生主をのりかえ主人公に。殺した後も生きているかもしれない。→

「呪界のほとり」
「夜と泥の」遺伝子的の中に潜り込ませて父が娘を復活させる。星の中で
「象られた力」 体中に立体的な刺青

【本】『新・ローマ帝国衰亡史』南川高志

「ローマ人」とは民族や国籍でなく曖昧なアイデンティティだった。
外部から人材を得て国力を増強した歴史があっるにも関わらず、高まる外圧のもとに内なる他者の排除が始まる。
ゲルマン人という名前の民族があったわけではない。
ローマ人の蛮族に対するレッテル貼りだ。かくして尊敬されない国になり「ローマ人」国家の本質が失われる。

最盛期のローマ帝国が崩壊するまでたった三〇年。
外敵によって倒されたのでなくローマは自滅したのだ。

【本】★『歴史は「べき乗則」で動く―種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

火の鳥『未来編』で火の鳥が極小、極大の世界を主人公に見せる。極小の世界には我々とは概念が違うがまぎれもない生物が息づき、極大の世界では宇宙全体がひとつの銀河のように渦巻き、大小が変わるいくつかの段階で世界が繰り返されている。
このようにカオスと規則性が自己相似パターンを描くことをフラクタルという。

地震(物理現象)、山火事、大量絶滅、生態系などの自然現象だけでなく金融市場、科学、歴史などの社会現象までも同じパターン、フラクタルを見出すことができる。
そのフラクタルを砂山に例えてみると、砂粒を少しずつ落としていくと砂山が生まれ、潜在的な力を貯めこみ臨界状態に入りながら成長していく。
いつか土砂崩れが起こるいうことはわかるがいつ起こるかわからない状態になる。
(土砂崩れは大きいほど稀になる)

これらのフラクタルで共通する物理法則を「べき(冪)乗則」と呼ぶ。
一四五九年から一九七五年までのヨーロッパの戦争を調べると死者数が二倍になるたびに戦争の頻度は約二・六二分の一に、いっぽう同じように森林発火と山火事の頻度を調べてみると二・五から二・八。
その数値は驚くほど近い。

【本】★『結晶星団』小松左京

小松氏にとって作品はメモ代わり、未来についてのレポートであるという。
その未来観の極北のひとつが本短篇集。

深い知識とアクロバティックな思考で構成された創造物は咀嚼することが困難、個人的に本書は『カラマーゾフの兄弟』全巻より読破するのに時間がかかった。
毎日歩く道でふと立ち止まり、街並みの向こうを見ると、地平線際に見え隠れする雪山。
思い立って向かうと久しぶりの登山と初めての雪山で困難に直面する。
しかし、いったん登頂に成功するとその雪山は既視感と新鮮さが入り交じる不思議な感覚で自分を包みこむ……そんな僕の印象だった。

メモ:
「結晶星団」
結晶の星団と宇宙の創造、堕天使、進化の可能性を統合した表題作。

「星殺し「スター・キラー」」

「飢えた宇宙」

「宇宙に嫁ぐ」

「サテライト・オペレーション」

「神への長い道」

「歩み去る」
若者が何故旅をするのか
世界中のいろんな場所で出会う若者
宇宙の向こうを目指している
新人類
火星

「劇場」

「雨と、風と、夕映えの彼方へ」
イマジナリーナンバー=虚数
イマジナリスペース虚空間
ブラックホールには思考の世界が詰まっている

「氷の下の暗い顔」
はるか遠い宇宙の彼方の星、氷の下に人の顔
アニミズム的な世界観
木が空へ飛んで行く

【本】★『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル ビル・モイヤーズ

メモ:
第二章 内面への旅
●人間の堕落は(セックスをもたらす)女がもたらした……女は罪人という概念はユダヤ教を祖とする神話以外には見つからない(ギリシア神話のパンドラは不安やトラブル)。

●BC三五〇〇年のシュメールの印鑑はヘビと木と女神が刻まれている。
その女神が訪れた男に生命の実を与える。エデンの園ありきでヤハウェが訪問者だった。

●そもそもエデンの園信仰のあったカナン人の地にユダヤ人が侵略した。カナン人は女神信仰。
その女神にはヘビが伴っていた(ヘビは生命の神秘の象徴)。
ユダヤ人はこれを排斥。
つまりエデンの園の物語は母なる女神を排斥した物語。

●英雄譚は再生の物語。人生の象徴。
●人生はひとつの試練であり、それをくぐり抜けなければ生命の束縛から解放されないという考えは比較的高度な宗教だけに属している。
精神的な力と深みはありながら、存在の精神面で望ましからぬ経験をした人々が生んだもの?

●エリートたちが神話を作る。
未知の国に旅して返ってきたシャーマンや芸術家が神話を作る。

●民話は娯楽を目的としたもの。
神話は精神的な教化を目的としたもの。

第三章 犠牲と至福
●聖書の中では勝利者となる善人は決まって次男。例えば長男カインは収穫物を、次男アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視、嫉妬にかられたカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。

●この物語ではカイン(長男であるカナン人・そこにすでに住んでいる、農耕を基板とした都市の立場を代表)は農耕民、アベル(次男であるユダヤ人・土地を持っていない)は狩猟民あるいは牧畜民を象徴。

●聖書とは農耕文化の中に侵入し自分らが征服した先住民を蔑視した狩猟民ないし牧畜民の神話。
農耕民のほうが忌み嫌われる。

●教皇グレゴリウスの解釈;エデンの園の罪のために人間は悪魔の手に陥ってしまったので、神は自身の子息を質受け料として差し出した。
悪魔を引っ掛けるための釣餌。
これは「あがない」説と呼ばれる。

第四章 犠牲と至福
●ハワイにて。
宣教師が「私の神(ゴッド)からメッセージを携えて来ました」
ペレ女神の女祭司「ああゴッドはあなたの神様ね。私のはペレよ」

●唯一神はユダヤ教以外に見つからない。
砂漠で暮らす人は自分を守ってくれる社会に全てを委ねる、その社会は家父長的なもの。
それに対して恵み豊かな自然は母親的。

●女神信仰があらわれたのは人類が農耕時代に入り、その初期社会の農作物の植え付けや収穫に女性が主要な役割を果たしてから。

●男性が農耕の主導者になうのは高度の文化組織の中で鋤が発明されてから。
鋤が大地を耕すことで性交の真似が支配的な神話イメージとなる。

第六章 女神からの贈り物
●紀元前一七五〇年ぐらいまでに神話の中心は女神からその息子に移る。
女は戦利品、財産だという考え。
出エジプト記「殺してはならない。隣人の妻を欲してはならない。」
しかし外国は別で、申命記二〇章一三、一四節「あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たなければならない。
ただし、女(中略)は全て分捕り品として奪い去ることができる」

●ユダヤ人は隣人に対して情け容赦を知らなかった。
愛と慈悲は内部に、外部には攻撃と虐待。

●カナンの女神をユダヤ人は「忌むべきもの」を意味する言葉。

●旧約聖書列王記の時代はシーソーゲームのようにユダヤ教の一方でカナン的な信仰も残っており、ユダヤ人の王がカナン人のように山頂で礼拝をして非難されたり。
西洋社会で女性が従属的なのは聖書的な思考を働かせているため。

●しかし今日の地球では外部など存在しない。現代の宗教の課題はこういう慈悲やおもいやりを全人類のために働かせること。

●ユダヤの伝統では神の息子という観念は不快なものとされている。よって処女降誕はユダヤ人の文化に無く、ギリシアの伝統から入ってきたもの。
ルカによる福音書、のルカはギリシア人。
レダと白鳥、ペルセポネとヘビなどギリシア神話に処女降誕の話は至るところにある。

●処女は耳から言葉を聞いて懐妊する。イエスの処女降誕は肉的な誕生ではなく精神的な意味。
英雄や半神は支配力、セックス、自己保存ではなく慈悲や慈愛という動機から発生するから処女降誕という姿で生まれてくる。

第七章 愛と結婚の物語
●ペルシアの神話、サタンがあまりにも神を愛しすぎて地獄に落とされた。
イスラム教の基本的な概念で、サタンは神の比類なき愛人。

●「サタンは何故地獄へ投げ込まれたか」標準的な神話では、天使を創造したとき人に仕えるように命じたが、頭を下げようとしなかった天使がサタン。
キリスト教ではサタンの自己中心性という解釈。

●ペルシアではサタンは神を愛するがゆえ人間に頭を下げることが出来なかった。
神の前でしか頭を下げられなかった。愛する神以外の誰にも頭を下げることが出来なかった。

●苦痛の最たるものは「愛するもの」つまり神が不在なこと。
サタンは何故地獄に踏みとどまっていられるか……神のことを思い出すことができるから。
「地獄に落ちろ」という神の声、それは大きな愛のしるし。

第八章
キャンベル:私は生に目的があるとは信じません。
生とは自己増殖と生存持続の強い欲求を持った多くのプロトプラズムにほかなりません。
モイヤーズ:まさか……まさか、そんな。

●あらゆる生命体はある潜在意識を持っている。
生の使命はその潜在能力を生きること。
「あなたの至福を追求しなさい」

●あなたの中には自分が中心にいることを知る能力がある。
金儲けで軌道から離れた場合自分の生を失う。
中心にいる場合、稼げなくても自分の至福を得る。
エデンはかつてあった場所ではなく、今存在している。この地上に天国が広がっているのを見るなら、出来事でなく心のなかにある。