こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな本を読んだ!

【本】『流星王子』手塚治虫

タイトルから流星王子という異星のプリンスが活躍する物語かと思いきや、そういうタイトルの映画にエキストラ出演しているイガグリ頭の太っちょ少年が主人公。ただし、少年の正体は……というところでちょっとしたひねりがある。

併録された『おお! われら三人』のほうが、完結してはいないがキャラの立ちかたという意味で面白かった。
これから、というところで残念ながら打ち切られておしまい。

【本】『冒険ルビ』手塚治虫

なんかすごいラストだった。

友だちのY君がビル管理人のバイトをやっていたとき、「このビルのテナントの鍵を全部渡せ!」とヤクザに恫喝された。
Y君は管理会社の上司に相談してその件は何とか事なきを得たのだが、そのときにヤクザの言い分が
「ワシはY君を試そうと思ったんや」
「Y君がワシの口車に乗ってそんな悪いことをする男やないってわかってた」
……いけしゃあしゃあとのたまっていたらしいのだが、この漫画はまさにそんな感じのラスト。

宇宙人から不思議なヘルメットとスーツをもらった小学生のルビオとクリコは宇宙怪物ゾンダと戦う。
アニメを原作とした漫画、タイアップで幼年誌に三本同時連載されたが結局アニメ化されることなく失意のうちに打ち切られたのこと。
手塚治虫漫画全集『ふしぎなメルモ』には 『小学一年生』版が併録されている。そのあとがきにて原稿を紛失してしまって一番面白くないものだけが残っていた……とのこと、おそらくこの本に収録されたもののほうが手塚氏のお気に入りなのだろう。
面白いかどうかは別にしてラストにはビックリさせられた。

【本】『どついたれ(全2)』手塚治虫

手塚氏の自伝的漫画の一つ。手塚氏以外のキャラクターもはっきりとしたモデルがいるらしい。
大阪大空襲の焼け野原から大阪を舞台に、手塚氏と彼に邂逅した男たちが戦後どう生きていくかを描こうとしたもの、読者の反応が芳しくないため途中で未完に終わっている。これから面白くなりそうなところでバッサリ終わっている。逆に言うと退屈とまではいわないが、この時点では面白くなりそうな取っ掛かりだけしかない。
この作品が幸せな形で完結することによって、その先に凄みのある私小説的作品を手塚氏がいくつも手掛けることになったのではないかと思うと、未完で終わったことが悔しい。

【本】『アトムキャット』手塚治虫

あとがきにて、世の中リメイクブームなのでそれに乗っかろうと思い『鉄腕アトム』をリメイクしてみましたとのこと。
現在、ハリウッドでもリメイクブームで、日本の漫画業界も昔懐かしの続編が盛んに作られているから、きっとこういう周期(あるいは雰囲気)が定期的にあったのだろうな、と思う。
『Dr.スランプ』のターボくんみたく、交通事故に遭った猫を宇宙人が鉄腕アトムのように改造するという他愛のない内容。

ちょっと面白かったのは、空をとぶことをなじられたアトムキャットが「ゾウが空とぶ時代じゃんか」と抗弁するシーン。
ゾウが空とぶ時代なんかあったことがないし、ディズニーの『ダンボ』のことならそれは一九四〇年代の映画だ!

【本】『ブッキラによろしく(全2)』手塚治虫

テレビ局のスタジオに住み着いた妖怪ブッキラとダメアイドルのトロ子のドタバタ談、悪役を演じることが多いロックが珍しくいいもん(主人公たちを助けるキャラクター)として活躍。
残念ながら週刊少年誌で九話打ち切り。

一〇年以上前、ドキュメンタリー番組で手塚氏がこう語っていた。
「あと40年ぐらい書きますよ。アイデアだけはバーゲンセールしてもいいくらいあるんだ」
そのバーゲンで買ったアイデアが『ブッキラによろしく』だったらがっかりするなあ……

妖怪を主人公にテレビや芸能界など現代的な要素を入れ、いまの子供にはこういうものが受けるだろうと作ったら、子供だましに終わってしまった印象。

【本】『グリンゴ(全3)』手塚治虫

日本からはるか離れた異国の極限状況で「日本人とは何か」を問う。
抜群の面白さでジェットコースターのように物語が二転三転突き走る。
最後の六話ぶんは病室のベットで描かれたとのことだが、正直言って入院前後の絵柄や物語の変化が全くわからない。
冒頭から面白さのテンションが時間に比例して上昇する途中で、前兆もなくプツンと途切れる。手塚氏の死去による唐突な絶筆。
戦後漫画の成長とともに自ら進化し、しかも絶筆になった作品がさらに成長していく過程だった……手塚氏の存在そのものが人類の至宝なのだから、もっと自分を大切にして頻繁に健康診断を受けて欲しかった。

【本】『MW(全3)』手塚治虫

毒ガス兵器MW(ムウ)によって人生を狂わされた二人の男の話。
『ブラック・ジャック』と同時期に連載。手塚氏のストリーテラーとしての魅力が爆発。
(手塚氏が絵に思い入れが少ない頃なのか)全体的に描線は雑だが、漫画の構成がノリにノッている。
手塚氏の青年漫画のなかで最も成功した部類に入ると思う。
同性愛、猟奇殺人の描写が注目されることもあるけれども、手塚氏自身は「流行ってるから描いてみました〜こんなん受けるかな?」程度のものでそんな思い入れは無いと思う。それでここまでの作品を描くことができること自体が天才過ぎる。

個人的にMW(ムウ)はムウ大陸からとったと思う。そんなん流行っている頃だったし。

【本】『ブッダ(全14)』手塚治虫

大学卒業後僕に上京して集めた漫画のほとんどを実家に置いてきてしまったので、これも学生時代以来の再読。

ブッダの生涯を描いたものだが、ブッダが生まれる前そしてブッダの幼年から青年時代にかけては何巻もかけてじっくりと描写されているのだが、悟りを得てからの描写が駆け足過ぎる。
特にブッダの影=シャドウとしてのダイバダッタが弱い。
(キャラクターとしても、実際に対決してからも)
悟りを得たブッダが、間断無く襲い来る現実の苦難を、それまでとどう違う乗り越えかたをするのか見たいわけで……もう少しじっくりと対決を描いて欲しかった。

仏教画に準拠するためかブッダが加齢とともに太っていくのだが、それが漫画的に微妙な影響をもたらす。
何故ならば漫画の苦悩表現は、やつれていること。
悩み苦しんでいるのに太っていると、深刻なシーンでも「陰でええもん食ってるんちゃうか!」と(僕に)勘ぐらせてしまう。

「先のことを考えるから悩むのだ」とブッダは言うが、そもそも先のことを考えることができるのは人間の脳の前頭葉という部位が発達しているからで、これが人間が人間たらしめているところだ。人間と動物の一番大きな違いが前頭葉の発達と言われている。
最近、炭鉱事故で前頭葉を破損した人についてのドキュメンタリーを観たのだが、先のことを考えられなくなっていると同時に衝動的な行動をしがちになり、ビックリするぐらいの短気になって人格が崩壊していた。

前頭葉に傷を与えるロボトミー手術は患者の苦悩を軽減することに成功したが、副作用として感情、意思、人格の鈍化が見られたという。

前頭葉を持っているから先のことが不安になるが、前頭葉を失うと自制心がなくなる。
つまり悩むから人間なので、悩まなかったら人間でないのだ。
人間でありながら悩みを自分の中で解決するとは、人間であって人間でないこと。ブッダが言っているのは二重に難しいことだ。
人間を超えなければ出来ない……だから解脱というのか。

【本】『ユニコ(全2)』手塚治虫

ユニコというキャラクターを中心にして織りなす人間ドラマ。
物語技巧が冴えに冴えわたっていて背筋が冷たくなるほど。『火の鳥』や『ブラック・ジャック』にも匹敵する、もっと知られていい傑作だと思う。
しかし、全ページに渡っている通常ページの外に無限に広がるコマを示唆する漫画演出、効果のほどがよくわからない。

【本】『新宝島』手塚治虫

コマ割りが大きかったので思っていたより読みやすかった。
その後の漫画のようにコマの切り替わりが激しくない。
同じカメラが登場人物についてきて連続した動きを映し続けるかのようにゆるやかに漫画が進む。
場面転換が少ない。
そういう漫画の文法的なもの異常に、物語部分、ラストの夢から現実に向かう部分が、現代漫画へつながるリアリズムを象徴しているようで興味深い。
(夢オチのような)定型的なフィクションからの脱却、文語から口語へと漫画が変わったかような。

【本】『サスピション』手塚治虫

コミックモーニングの創刊時など、比較的新しい(全集前期が編まれた当時からすれば)作品が集められた短篇集。
絵が相当新しい。ほぼ現代と変わらないと言っていいほど。
物語の作り方は、何でもかんでも放り込んでいた密度の高いものから、ワンテーマで細かい演出を重ねていくタイプのもの中心へ変化している。そして間違いなく面白い。
しかし読者に対するサービス精神や、人間に対するシニカルな視点それに対する逆説的な優しさ、など根底のものはデビュー前後から変わっていない。
普遍的なもの、変えなければならないもの……その二つについて考えさせられる。

【本】『紙の砦』手塚治虫

あくまでもカッコ付きの「自伝的な」作品集。
あとがきでも書いているが、手塚氏は自分自身を漫画の中のキャラクターとして頻繁に漫画に登場させているのだが、そのキャラクター自体をパブリック・イメージとしての手塚氏として読者が同一視している……それを利用した私小説っぽいフィクションのようだ。
過剰なまでに饒舌に物語る手塚氏だが、自分語りに関しては屈折している印象。

【本】『ふしぎなメルモ』手塚治虫

TVアニメが先にあってのタイアップ漫画。
あとがきにて、最初は『ママアちゃん』のタイトルだったが商標登録を先に取られていてので、途中で名前をメルモに変えた。「“メルモ”ということばには何の意味もありません。ただ登録していない語呂を探し出しただけです。」とのこと。
手塚氏の譲ることが出来ない部分がどこにあるのか、漫画を描くという行為そのものに熱心だけれどもその核心の部分がよくわからなくない。
それも含めて手塚氏の韜晦(自分の本心などをつつみ隠す)趣味なのかもしれない。

【本】『漫画生物学』手塚治虫

筒井康隆氏の『私説博物誌』、あるいはカート・ヴォネガット・ジュニア『チャンピオンたちの朝食』を思い浮かべる。
気持ち程度に解説をつけて、生物の話をお題にしたショートストーリー(小咄)のオムニバスが主体。
後半の「漫画天文学」は六〇年前に描かれた天文学が、現在とずいぶん違うことに感慨深い。
現在では赤色巨星は恒星の最終段階直前なのだが当時は生まれたばかりと思われていた、金星は霧と雨に包まれている星だと思われていた、などなど。
学習誌に連載していたせいかコマ割りが細かくて読むことに骨が折れるが、絵は可愛らしくまとまっていてショートストーリーも完成度が高く、読んでいてお得感がある。

【本】『どろんこ先生』手塚治虫

手塚氏には数少ない学園モノ……というより教師モノ。
手塚氏の弱点はいくつかあるが、記号的でない身の回りの日常/リアルを蓄積させていくものがそのうちのひとつ。サービス精神が旺盛ということもあるだろうけれども、リアルさよりもドラマチックな方向へ物語が進みがちなので、ふとした感情や機微は、大きな物語の流れの中に吸収されていく。そういう要素は無いというわけではないが、大きな要素ではないようだ。
せっかく学園モノっぽい微妙な心の機微で登場人物が揺れる展開から始まっても、最後はフィクション色が強いオチになってしまい、どうもしっくりこない。