タイトルから流星王子という異星のプリンスが活躍する物語かと思いきや、そういうタイトルの映画にエキストラ出演しているイガグリ頭の太っちょ少年が主人公。ただし、少年の正体は……というところでちょっとしたひねりがある。
併録された『おお! われら三人』のほうが、完結してはいないがキャラの立ちかたという意味で面白かった。
これから、というところで残念ながら打ち切られておしまい。
なんかすごいラストだった。
友だちのY君がビル管理人のバイトをやっていたとき、「このビルのテナントの鍵を全部渡せ!」とヤクザに恫喝された。
Y君は管理会社の上司に相談してその件は何とか事なきを得たのだが、そのときにヤクザの言い分が
「ワシはY君を試そうと思ったんや」
「Y君がワシの口車に乗ってそんな悪いことをする男やないってわかってた」
……いけしゃあしゃあとのたまっていたらしいのだが、この漫画はまさにそんな感じのラスト。
宇宙人から不思議なヘルメットとスーツをもらった小学生のルビオとクリコは宇宙怪物ゾンダと戦う。
アニメを原作とした漫画、タイアップで幼年誌に三本同時連載されたが結局アニメ化されることなく失意のうちに打ち切られたのこと。
手塚治虫漫画全集『ふしぎなメルモ』には 『小学一年生』版が併録されている。そのあとがきにて原稿を紛失してしまって一番面白くないものだけが残っていた……とのこと、おそらくこの本に収録されたもののほうが手塚氏のお気に入りなのだろう。
面白いかどうかは別にしてラストにはビックリさせられた。
あとがきにて、世の中リメイクブームなのでそれに乗っかろうと思い『鉄腕アトム』をリメイクしてみましたとのこと。
現在、ハリウッドでもリメイクブームで、日本の漫画業界も昔懐かしの続編が盛んに作られているから、きっとこういう周期(あるいは雰囲気)が定期的にあったのだろうな、と思う。
『Dr.スランプ』のターボくんみたく、交通事故に遭った猫を宇宙人が鉄腕アトムのように改造するという他愛のない内容。
ちょっと面白かったのは、空をとぶことをなじられたアトムキャットが「ゾウが空とぶ時代じゃんか」と抗弁するシーン。
ゾウが空とぶ時代なんかあったことがないし、ディズニーの『ダンボ』のことならそれは一九四〇年代の映画だ!
大学卒業後僕に上京して集めた漫画のほとんどを実家に置いてきてしまったので、これも学生時代以来の再読。
ブッダの生涯を描いたものだが、ブッダが生まれる前そしてブッダの幼年から青年時代にかけては何巻もかけてじっくりと描写されているのだが、悟りを得てからの描写が駆け足過ぎる。
特にブッダの影=シャドウとしてのダイバダッタが弱い。
(キャラクターとしても、実際に対決してからも)
悟りを得たブッダが、間断無く襲い来る現実の苦難を、それまでとどう違う乗り越えかたをするのか見たいわけで……もう少しじっくりと対決を描いて欲しかった。
仏教画に準拠するためかブッダが加齢とともに太っていくのだが、それが漫画的に微妙な影響をもたらす。
何故ならば漫画の苦悩表現は、やつれていること。
悩み苦しんでいるのに太っていると、深刻なシーンでも「陰でええもん食ってるんちゃうか!」と(僕に)勘ぐらせてしまう。
「先のことを考えるから悩むのだ」とブッダは言うが、そもそも先のことを考えることができるのは人間の脳の前頭葉という部位が発達しているからで、これが人間が人間たらしめているところだ。人間と動物の一番大きな違いが前頭葉の発達と言われている。
最近、炭鉱事故で前頭葉を破損した人についてのドキュメンタリーを観たのだが、先のことを考えられなくなっていると同時に衝動的な行動をしがちになり、ビックリするぐらいの短気になって人格が崩壊していた。
前頭葉に傷を与えるロボトミー手術は患者の苦悩を軽減することに成功したが、副作用として感情、意思、人格の鈍化が見られたという。
前頭葉を持っているから先のことが不安になるが、前頭葉を失うと自制心がなくなる。
つまり悩むから人間なので、悩まなかったら人間でないのだ。
人間でありながら悩みを自分の中で解決するとは、人間であって人間でないこと。ブッダが言っているのは二重に難しいことだ。
人間を超えなければ出来ない……だから解脱というのか。