こんな本を読んだ!」カテゴリーアーカイブ

本を読むことはあまり得意じゃないのですが、頑張って読んでいます。
 
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【本】『ペン&インク』クローディア・ナイス

例として掲載されているペン画はすごいが、肝心の著者クローディア氏のお手本はショボイ。
この手の技法書はデッサンを重視して絵を写真から起すことをあまり推奨しないものだが、クローディア氏はグリッドを用いるという古いやり方で写真からペン画を起こす。
写真を使うなら今はライトボックスでトレースだろう。僕ももう二〇年近くグリッドを使っていない。
クローディア氏は何故か製図ペン(ロットリング社の)中心でペン画を描く。それもひとつの方法だが、日本ではつけペンかミリペン中心で、製図ペンは主流ではない。寡聞にして知らないがアメリカは製図ペンが主流なのだろうか…… 
僕から見て少しピントがずれているこの本が去年(一三年)新装版が発行されて二ヶ月で二刷。売れてる! 何故?

【本】『ゴブリン公爵(全2)』手塚治虫

手塚氏が少年誌で連載したSF漫画としておそらく最後の作品。
『魔神ガロン』を中華風アレンジしたもの?
殷王朝が守護神として造った巨大な人間型ロボット「燈台鬼」の行動が、操る人の状態によって善と悪の狭間で揺れる。原子力など文明の利器が、戦争にも平和にも使われることの象徴。
タイトル由来のゴブリン公爵、名前の根拠は単に自分で名乗っているだけ。公爵は徳川宗家など貴族の中でもきわめて高い地位。自分で名乗るなんてイイ根性だ。
中国人も日本人も話す言葉が混沌としているところが、現在のリアリズム表現(言い回しや字体で変えたりする)からすると違和感がある。英語や宇宙語などもっと遠い言語ならカタカナ表現にするのが手塚氏の話し方リアリズム。

燈台鬼の顔が『こち亀』の両さんに似ている。http://ecx.images-amazon.com/images/I/51%2BPHKrZjfL.SS500.jpg

【本】『地球大戦』手塚治虫

併録作『ワンダーくん』ともに動物が活躍する未来SF。五〇年代に描かれたものでコマ割りと絵の密度が高くて読みづらい。
表題作『地球大戦』、悪液を注射されたら悪人になるという設定が面白い。
ウラメシアという名前の国、特に幽霊と関係がない。せっかくだから引っ掛けたらよかったのに。
ラスト一ページまで主人公及び日本はのっぴきならない状況に追い込まれ、もうどうしようもないと思ったら何とラスト数コマで強引なハッピーエンド! 

【本】『プライム・ローズ(全4)』手塚治虫

はるかな未来の地球、戦争しているグロマン人とククリット人はお互いの国の王子と王女を交換する。元はグロマン王女だったエミヤが主人公。しかし対比して描かれるはずのピラール(元はククリット王子)が、中盤から登場するタンバラ・ガイのキャラクターによってうまく機能しないまま物語が終わってしまう。
手塚氏の考えによると、イースター島には二つの民族が敵対していて、戦争で勝った民族が負けた民族を奴隷にしてモアイを作らせた。モアイのような無意味なものを強制的に作らせることにより反逆を殺ぎ、民族淘汰に利用したのだ……そんなこの物語のキーとなるはずだったエピソードも途中で放棄されている。
『ブルンガ2世』『未来人カオス』『アポロの歌』など手塚氏の漫画に繰り返し現れる、人間を試し駒のようにもてあそぶ超越した存在が今作にも「悪魔」として登場する。この未来世界の創成に関わる「悪魔」とも決着をつけることはない。
いろんな伏線をほったらかしてタイムマシンでなかったことになりました!というラストに憮然としてしまう。

手塚氏いわく「SFを意識して描くと、必ずといっていいほど失敗する」ので、今作は「SFをあまり意識しないで描こう」としたとのことだが、読んでみると出だしからいかにノリノリのSF。だから失敗した?

P.S.グロマンって言葉、よく考えるとすごい。

【本】『ルードウィヒ・B(全2)』手塚治虫

手塚氏は天才を描くのがうまい。自分と重ね合わせて描くからだろうか。
主人公ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは理想主義、芸術を至高のものと考えている。
「ルートヴィヒ」と名の付くものを憎む貴族フランツは現実主義、芸術を何かをなすべき手段として用いる。二人の対立を軸に物語は進むはずだったが、手塚氏の逝去により未完に終わる。

最後回は手塚氏が末期癌で入院して代筆せざるを得なかったとのことだが、本人とアシスタントの絵の差がわからない。いい意味で解釈すると極めて汎用性の高い絵柄ということなのだろう。

【本】★『 陽だまりの樹(全11)』手塚治虫

あとがきにて手塚氏は、幕末で曽祖父の手塚良仙が学んだ適塾を、氏の虫プロダクションと重ねたという。
「みなぎる活気とうらはらに誰もが貧しく、秩序も統制もないばらばらの個性の衝突、混沌の中に試行錯誤を続けたあの時代」……適塾を入れ子構造にしてさらに日本の維新と重ねあわせたのだろう。
手塚良仙は快楽主義でいい加減、武士の伊武谷万二郎を無骨で真面目……二人の主人公を描き分けることによって新しい時代をどう生きるかを象徴的に描いている。
二人の共通項は理想主義だが、若さは理想を伴うもの、そしてこの物語は青春ものとしても素晴らしい。
初読時はラストをあっけなく感じたが、今読み返してみると人は自分のピリオドのつけかたを運命に委ねるしかなく、この唐突さが歴史の流れの無常さをうまく表現していると思う。手塚氏自身の死がそうだった。

【本】『時が新しかったころ』ロバート・F・ヤング

恐竜時代の地層に人間の化石を発見された。トリケラトプス型のタイムマシンで調査に向かった主人公は、二人の子供(姉弟)に出会う……

自分は一読して、これは作者のヤング氏が現実に実現できない少女趣味を、SFというギミックをつかって達成しようとするリアリティのない話だ、とため息をつき本を置いた。
『夏への扉』を初めて読んだ頃の僕なら、抵抗もなくこの物語を受け止めることができたのだろう。
しかし今の僕がこの物語を肯定することはかなりの困難。
ご都合主義でがっかりするのは、隔絶するほど離れた時代や場所で暮らしている人類の行動パターンや外見が同じなことなどのセンス・オブ・ワンダー部分でなく、恋愛に対しての作者のヤング氏が持っている浅薄な姿勢。まるで中学生のようにてらいがなくすれっからしていない。

しかし時間を置いてもういちど読み返してみると泣けて仕方がない。特にクライマックスからラストに向けてのエピソードが僕の心の奥底に強く訴えかけてくる。
この「てらいのなさ」こそがヤング氏の最大の弱点であり、そして魅力なのだろうと思う。

全く、大人になるに従ってつまらないものの見方になるものだ……先入観と偏見の濁った眼で初読を楽しめなかった自分に失望する。

【本】『七色いんこ(全7)』手塚治虫

登場人物が脈絡なく
「日本の国土ッ!」
と叫ぶ。
びっくりして読み返すが、どうも話の流れと関係ないようだ。
その後も何回か
「日本の国土ッ!」
と繰り返されるに至って、おそらく手塚氏が当時流行らせようとした一発ギャグだろうと解釈する。
法則性がわからないため、どういう意味でいつ使うものなのかはわからないが。

代役専門で舞台役者七色いんこは実は泥棒で……
現実を舞台にした人情話、シリアスな作風、プロフェッショナルが常識外の要求をして活躍する……などブラック・ジャックとキャラクターにいくつか共通項が見いだせる。

僕はリアルタイムで読んでいて(しかしエピローグのみ)、作中の「何もしない演技」ってどうやるんだろう……と想像したものだった。今回読み返してもこの漫画の白眉はエピローグで、僕にとってそれまでの名作劇に引っ掛けた内容の物語はその前振りにしか過ぎなかった。

ところで初読からずいぶん後に手塚氏が語った
「何も考えずに描いていたら、エピローグで偶然それまで張っていた伏線が回収できて我ながらよく出来た!」
そんな意味の文章を見かけた。
だとしたら手塚氏が本腰入れて描いていたのはそれまでの前振り部分で、エピローグこそ適当だったってこと?
当初の意図に反しているけど結果オーライだからいいの?
それはすごいの?
すごくないの?
と混乱した記憶がある……
「日本の国土ッ!」

【本】『HHhH (プラハ、1942年) 』ローラン・ビネ

一気に読むには情報量が多過ぎるので、頭の中を整理しながら少しずつ読み進み、一週間かけてやっと読了。
ナチの高官ハインリヒの暗殺事件を、現代から作者がいかに描写するかという葛藤を交えリアルタイムに再現したもの。
膨大な量の資料をいくら集めても結局、当事者の内面は本人しかわからないわけで、どう描いても憶測になる。
どうすれば作者の主観を廃した純粋な歴史物語を描くことができるのか……
そのこだわり、僕としてはどうしても筒井康隆氏の小説『筒井順慶』を思い浮かべる。
『筒井順慶』はラストで作中の筒井氏の前に歴史上の人物である筒井順慶が現れ対談するというSF的帰結だったが、ローラン・ビネはいかにもポストモダンな割り切れない現代進行形の帰結。

この小説はたしかに野心的な試みだが、一方で「こいつ面倒くさいやつだな!」とビネ氏に対して思ってしまう。

【本】『森の四剣士』手塚治虫

チャカチャカして読みづらかった。
僕にとって戦後まもなくの漫画は読むことに慣れが必要で、ちょっと時間をおくともうリズムがわからない。
そもそも元ネタであるグリム童話の『二人兄弟』を僕は知らない。
そしてどうしてもグリム兄弟の『二人童話』かと思ってしまう。

【本】『ガラスの城の記録 』手塚治虫

冷凍睡眠にとり憑かれた一家の物語。

この漫画のポイントは三つあって、
●冷凍睡眠している時期と期間によって家族の年齢が違う。娘が母親より歳上になったり。兄弟も年齢がバラバラ。
●冷凍睡眠を長期間続けると脳細胞に障害が起きて人格が壊れてしまうらしい。
●主人公一家のエスカレーションしたかたちとして海底で二千年眠った女(超古代文明時代の由来か?)ヒルンが登場する。

人格が壊れてサイコパスとなった長男一郎は殺人を繰り返しながら、ヒルンと逃避行。
未来世界の処刑(人間狩り)から一郎はたくみに逃れ、かつての政府要人たちが冷凍睡眠している「ガラスの城」と呼ばれる施設へ乗り込む途中で雑誌の休刊、いきなり物語は放り出される。
僕個人はこの物語の暗いテイストに心惹かれるのだが、続きを完成させるほどのモチベーションを手塚氏が持ち得なかったということか。

【本】『落盤』手塚治虫

比較的初期の短編が集められている。
表題作『落盤』は芥川龍之介『藪の中』風な物語。
収録作『羽と星くず』について。
赤旗新聞に連載されたSF絵物語。人間によって天使や妖精と思われていた半気体の生命体が落としたエンゼル・ヘアー(ごくまれに空から落ちてくる謎の物質)をひょんなことから裏町に住むカズオくんが拾う、そこから始まるドタバタ。
カズオくんが強制労働の星に送られてしまうあたり、最後はどう考えてもやり過ぎ……というより話に収拾がつけられなくなっている。とってつけたようなラストに脱力。

【本】『チッポくんこんにちは』手塚治虫

ネズミに味方するネコ、チッポくんの活躍譚。初連載の五七年から七三年まで三度間をあけながら、雑誌を変え、形式を変え(最後は絵本)続けられた。
動物世界で当たり前と思われる(ネコがネズミを食べる)ことを、主人公が違うアプローチで突き崩そうとし、最後にその常識を覆す。動物世界が人間のメタファーでありどういうことを指しているのか比較的わかりやすいが、これを幼年向けの漫画や絵本で表現できる手塚氏の漫画力と志の高さ……

【本】『あらしの妖精』手塚治虫

悲劇的なラストと思いきや、わずか半ページで暴力的なハッピーエンドに!
手塚氏の五〇年代の幼年誌、少女誌はこんな感じの取って付けたようなラストが多い。
併録「こけし探偵局』
主人公パコちゃんの「こわい」ということを全然知らないというキャラクターが面白い。

【本】『ピロンの秘密』手塚治虫

カストル星の王子ピロンは大臣の謀反により星を追われ地球へ逃げてきたが……
ラスト一ページの暴力的なハッピーエンドに仰天。
併録『お山の三五郎』
山奥のタヌキの学校に転校してきた少年とタヌキの交流を描く。
当然の帰結でわかってはいるが切ないラスト。

【本】『大地の顔役バギ』手塚治虫

表題作『大地の顔役バギ』は雑誌の休刊で未完となっている。
動物と人間のそれぞれアウトサイダー同士が、より悪いものと対決するというシリーズもの。似た運命を背負っているものは種を越えて共感できるという手塚氏独特の動物観。

併録作『緑の果て』
種子を植え付け子孫を増やそうとする植物の惑星に不時着した人間、主人公を本当に好きになった植物のとった行動は……
人間は自分がよかれと思ったことを相手にしがちだが、本当に好きな相手なら意を汲んだ優しさをかけてあげることができるのだろうか。優しさというより想像力の問題かもしれないけれど。