こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな映画を観た!

【映画】『グッバイ・クリストファー・ロビン』

くまのプーさんの登場人物であるクリストファー・ロビンは原作者ミルンの実在する息子だった。有名になりすぎたロビンは学校で過酷ないじめを受け……う〜んこれは僕の観たくなかったプーさんにまつわる話だ。
プーさんを見る目が変わる。

いま「くまのプーさん」原作を読んでいる最中なのに、どうしても映画中の階段から突き落とされていじめられてるロビンが頭に浮かんでしまう。
プーさんの挿絵に描かれた幸せそうなロビンも数年後には……と思ったら楽しくなくなってくる。

にしても、この映画の暴力的なまでのハッピーエンドはなんだ。
帰ってきたロビンを見て、彼の家族ともども僕も涙を流したけれど………こんなん泣くに決まってるけど……「涙強盗」に涙を強要されているみたいで納得がいかない。
お互い理解できなかった別れから、もう少しプラスアルファが欲しかった。

【映画】『イコライザー』

四年前の公開時に観たときもそれなりに楽しめたけれども、いま観直すとなお面白い。
前半の展開はけっしてスピーディーではないが時間をかけた人物描写は愛おしく、クロエ・モレッツの台詞にはグッとくる。
何よりも銃や武器を持って戦うのでなく、その場の状況に即してあるものを使い工夫して戦うのがいい。冒頭から最後までその工夫で勝つパターンが持続していたのは素晴らしい。
アメリカ映画のアクション大作の成功しているパターンは、クライマックスの戦いで、ほんのちょっとした機転やアイデアが相手を上回っていたことが主人公の勝因だった……それが表現できているものだと僕は思っていて(先週観た『ダーク・タワー』もいまどき珍しいB級映画だったけど、この点はちゃんとクリアできていた)、日本の漫画にありがちな勝因は根性や血筋や運命というパターンは、展開として燃えるけど思考停止になってしまうから好きではない。
翻って『イコライザー』は、アメリカ社会でマイノリティーである黒人が何の後ろ盾もなく身体一つとアイデアで相手を成敗していく……カッコよすぎる。

【映画】『ダーク・タワー』

スティーブン・キングが三〇年に渡り全一六巻七二〇〇ページに渡って描いた物語を、わずか九八分で表現しきるなんてすごい!  
と期待してレンタルしてみたら本当にただ単にダイジェストだった。
逆に割り切り方がすごいわ。

一〇年前、物語の『ダーク・タワー』を旅先に持っていって沖縄の離島で読んでたんだけど、真夜中、島を一人で散歩していると燈台から光線が真っ暗な水平線に向かって伸びていて、それが物語上のダーク・タワーに向かって伸びるビームみたいな光景で、ダーク・タワーを思い出すといつもその絵が浮かぶ。

ああ、いいことも書いておこう。
クライマックスのガンアクションは創意工夫がちゃんとあってよかった。

【映画】『アンロック/陰謀のコード』

何も期待せずに新作だといこうとだけで借りて観たら、思いがけず面白かった! 
次から次へと裏切りが続き、誰が主人公の本当の味方かわからなくなってくる。
ここまで行くとフィリップ・K・ディックの小説の中の悪夢世界みたいだ。

そういえばオーランド・ブルームを久しぶりに観た(端役で出演)。
初めて彼を映画館で観たとき
「ファンタジー世界から抜け出した本物のエルフみたい!」
と僕と同伴していた女性がうっとりしていて、僕は「けっ!」と思ったものだが、今の彼はヒョロヒョロしわくちゃタレ目の冴えない中年男で、犬を混ぜたフランケンシュタインの怪物みたいだった。

【映画】『プーと大人になった僕』ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

くまのプーさんが大人になった少年(ユアン・マクレガー)に会いに来る話なのだが、冒頭から泣けて泣けて仕方なかった。
大人になったユアンにとってプーは邪魔でしかたがなく邪険に当たりちらす。
プーの言う「何にもないことをする」なんて仕事や日々のことが忙しくて出来ない。

僕は大学ぐらいまでは子供の延長線上だったから、その頃ならきっと子供目線でユアンのことを「何でプーの気持ちわからないんだ!」ってイライラしたんだろうな。
そういや一〇代のとき『トトロ』を観て「何でネコバスみんな見えないんだよ!」ってイライラしてたんだけど、二〇年以上ぶりに最近『トトロ』観たら、誰もネコバスが見えないのを「そら見えんわな」と当然のように思っている自分に愕然とした。

プーさんって子供のイマジナリーフレンドなのな。
小さい頃僕んちは貧乏だったから人形とかおもちゃを買ってもらえなかった。
ハサミがバルタン星人でセロテープはライバルのセロテラマンのつもりで、鉛筆とか消しゴムとかと戦わせていた。
家にあるもの全部が僕のドラマの登場人物だった。
お風呂ではお湯をかき回す棒とか洗面器と戦った。
下半身(ちんこをひっくり返し両金玉を両目に見立ててハエ男という設定)とも戦った……ああもうあのハエ男と戦わなくなって四〇年近く経つよ。
そんなことを考えたら僕もこの映画のユアンと同じや!
ごめんハエ男!
と映画観ながら泣いて泣いて涙を拭った長袖がビチョビチョ。
僕にとって『ハエ男と大人になった僕』のお話でした。

 

【映画】『カニーニとカニーノ』ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

スタジオポノックの短編映画。
登場人物はカニばかり。カニーニとカニーノは兄弟。
カニだからということか、自分の名前しか喋らない。
カニーニ「カニーニ?」
カニーノ「カニーノ!」
カニーニ「カニーニ!!」
カニーノ「カニーノ、カニーノ!」
だけで話が進む。

大阪出身だから間寛平氏のギャグばかり浮かんでしまうカニーノ!

【映画】『アントマン』

明日『アントマン&ワスプ』観に行くための予習で上映当時以来、久しぶりの鑑賞。
『アイアンマン』とプロットがほぼ同じ、定番の王道展開だった。
やっぱ第一回目はこのぐらいにしないと情報量が多いから整理できなくなるよな。

しかし普通に考えたらハリウッド大作映画でアリの話って……何か凄い。

【映画】打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

岩井俊二版を鑑賞。一三歳の奥菜恵氏の魅力的な立ち居振る舞いみずみずしさと裏腹の圧倒的な大根ぶりに圧倒される。
その大根と引っ掛けて大根仁氏を映画アニメ版の脚本に呼んできたのかと邪推。

子役たちはもちろん脇を固める大人たち(若き?日の蛭子能収氏も)やこの映画で言及される事象のいくつかは二五年の経年変化で意味合いが完全に変わり……映画そのものの時間の切り取り方もそうだけれども、九三年バブル直後の二度と戻ってこないあの空気感が泣けてくる。

【映画】『ジュマンジ』

この映画の情報を見すぎてもう鑑賞したつもりでいたけど、まだ観ていなかった。
九五年公開だったのか……最近のつもりだったけど僕がまだ学生時代だからはるか前だ。CMで流れた映像が有名で、ジェラシック・パークもすごかったけどこれは毛のあるものが動いているからさらにCGが進化した!
ってのが売りだったけ。

小学生ぐらいのヒロインがかわいくて、でも見覚えがあってキルスティン・ダンストの子供?かと思ったら本人だった。先月観た『ドリーム』で嫌な中年上司(美人でもない)を演じてたのを思い出し、そのギャップで画面を見入ってしまう。そういえば一五年前『スパイダーマン』を映画館で観たとき、「今まで観た映画の中で一番ブスなヒロインや〜!」と大騒ぎしたっけ。
それらに比べれば子役時代のキルスティン・ダンストは顔のかどが目立たなくて可愛い。そして彼女の魅力は見た目の可愛いさよりも仕草や雰囲気なのだとより実感。

CGで大暴れする動物の色が背景と比べてくすんでいて
「CGなのに色が古くなるってことがあるの?」
と驚く。

観ながら当時の僕が何でこの映画を観なかったのか思い出した。ロビン・ウィリアムズの顔芸が嫌いだったんだ。

【映画】『レッド・ドーン』

北朝鮮がアメリカを占領する映画。山に逃げた子どもたちがレジスタンスに立ち上がる。
あらすじだけ聞くと馬鹿みたいだが意外とよく出来ていてビックリだ。キャラもちゃんと描けているし葛藤もある。なのに敵が北朝鮮というだけでバカっぽくなる。

キャストも豪華。主人公は『マイティ・ソー』のクリス・ヘムズワース。この映画はアベンジャーズが大ヒットした年に公開されている。旬だ。クリスは休暇中に故郷に戻った軍人で、子どもたちを率いるリーダーとして厳しい選択を迫られる。渋い役割。なのに敵が北朝鮮というだけでバカっぽくなる。

そもそもがジョン・ミリアスの映画『若き勇者たち』のリメイクだったのか。一九八四年当時はソ連を中心とした共産勢力がアメリカを攻撃することにリアリティがあったけど、今作はよりによって北朝鮮だからな。問題あったにしろ悪役を中国から北朝鮮に作り直すぐらいだったら破棄したらよかったのに。

【映画】『GHOST IN THE SHELL』ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

う〜ん言うほど悪くないけどな〜これが『攻殻機動隊』を原作としている映画でなくて八〇年代に発表されていたら画期的な作品だったに違いないのに三〇年遅れで勿体ない!

主人公が自分の名前をうまく発音できず「モト〜コゥ〜」って言うとこは受けた。

タイトルを変えて別の映画として原案程度に(『エイリアン』における「宇宙船ビーグル号』のように)『GHOST IN THE SHELL』を使えばよかったのに、日本のあれをハリウッドで映画化!みたいな感じだから昨日の映画館でも観客が失笑の嵐だったのだ。

ビートたけしだけ日本語を話す理由を(あくまで映画の世界観の中で)考えていたら眠れなかった。

たけしは命じられたことを完璧にこなしていたと思う。
演出とキャスト選びが悪すぎる。
スカーレット・ヨハンソンだって鼻声の猫背ぽっちゃりの役だったらドンピシャあってたのに、スタイリッシュなサイボーグ役を演じさせるんだもんな〜ミスキャストだ。

【映画】『マックス・スティール』

冒頭から絶句。ヒロインの運転するトラックに主人公が跳ねられて倒れる。
ヒロイン「大丈夫?」
主人公(倒れたまま)「う〜ん……だいじょうぶ……」
ヒロイン「放課後またここで会いましょう! 自転車直してあげる」

病院連れて行けよ!

【映画】『マルサの女』

「『マルサの女』ビデオに撮ったで〜!」
そう言う友達宅に集まり、おっぱい吸うところをみんなでハァハァ言いながら観ていた高校時代を思い出す。
……そんな背伸びして観ていた印象が強過ぎて(対象年齢は今の自分ぐらいの歳なのかもしれないけれども)、僕にとって永遠に大人が観る映画。

この映画におけるバブル期の描写が、自分の記憶にあるテレビでしか観ることができなかった、大人の住む領域の話みたいで、郷愁感とともに馬鹿騒ぎの

ラストのハンカチのケレン味のある演出、僕の中ですごく映画的というか邦画的。

【映画】『火垂るの墓』

今どき初鑑賞。
大人視点で観たからかもしれないが、自分勝手な子供の行動にイライラしている。
きっかけは戦争だけれども、この悲劇は戦争と直接関係がない。
この子たちが不幸になっていくのは、温室育ちの裕福な家で育ってしまってその外の生活に適応できなかったせい。
戦時中だから他者に目を向ける余裕は少なかっただろうけれども、それは本質的な問題ではない。
こうなってしまった結果の多くはこの子達のパーソナリティの問題で、現代だって起こりうる話。
(そもそも戦時だって、子どもたちだけで山に住むことが一般的な話ではないだろう)
親戚のおばさんが
「戦争中なのにブラブラして!」
と子供をなじるシーンがあるけれども、そういう同調圧力は今だってある。

他人に合わせる努力もしないで親戚の家を飛び出し、死ぬ必要がない妹を殺した兄の責任だ。
自分一人なら自由に生きることもいいだろうけれども、そういう判断もできない身体も弱い妹を巻き込むな。
早めに貯金を下ろせ&大人に頼れ!

【映画】『鑑定士と顔のない依頼人』

後味が悪い映画であっても問題提起が哲学的に止揚され結果としていい映画になり得ることはあるけれども、この映画は悪い意味で後味の悪い映画。
「策士策におぼれる」といったところ。
映画として、とくに演出はよく出来ていると思うけれども、解釈のわかれるこのラストに必然性がない……ただ単に解釈をミステリアスにするためだけに作られた「自己目的化した曖昧さ」だ。
「いかなるニセモノの中にも必ずホンモノが隠されている。見抜けなかったあなたはすでに過去の遺物」
というメッセージが上滑りしている。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督『ニュー・シネマ・パラダイス』には泣かされたけど、端々までコントロールされているにも関わらず何も心に響かないこの映画を観ていると、あの映画を観た体験自体この映画のようにニセモノだったような気がしてくる。

【映画】『スペシャリスト / 自覚なき殺戮者』

戦争中に相手を殺さなければ自分が敵に殺される/あるいは軍法会議にかけられる。
命令に従わないことは犯罪だ。

アイヒマンの罪は、六〇〇万人のユダヤ人をシステマチックに殺すシステムを作ったこと(人道上の罪)だ。
しかしアイヒマンの所属していたナチス(ドイツ政府)はユダヤ人の虐殺を推進しており、その速やかな執行を彼に命じていた。

時の政府の命令に従ったことに対して別の国で極刑を下されるというのは、どう考えても理屈が噛み合わない。
その政府に逆らわなかったことを犯罪として他の国で裁くことが可能なら、今この瞬間、僕らがしていることも、他の国によって何かの罪と問われる可能性があるということだ。
イスラム法に基づいた国の法律なら豚肉を食べたり飲酒したりしても罰せられるし、共産国家なら国家批判は重罪だ。

戦後、アイヒマンは第三国(アルゼンチン)に逃亡していたが、イスラエル諜報機関モサドによって拉致され、イスラエルで極刑に処された。
それが許されてナチスのしたことが許されないのなら、アメリカの原爆投下による日本人の虐殺は?
何が正しくて何が間違っているか決めることの傲慢を考えさせられる。