六年ぶりに観たら、ジャック・ニコルソンの嫁が以前僕と付き合ったことのある女性とそっくりなことに今さらながら気づいた。
当時の友達「お前の彼女、ガイコツみたいやな〜」
目がくぼんで歯が出てるガイコツみたいなところがまさしく!
ジャック・ニコルソンに少し感情移入した。
メキシコが舞台だからか、エンドクレジットで流れるラテン系風アコースティックギターのターミネーターのテーマが「みょみょんみょんみょみょん♪」と脱力。
あんなんスーパーで流れるX JAPANの琴バージョンみたいやんけ。
おでんが出来たときうちのおかんが「オデンデンデンデデン♪」とターミネーターのテーマで歌ったのを彷彿とさせる。
僕はターミネーターを2以降を全部映画館で観てきたのだが、なんと今回のリブートは3以降は全部なかったことにして2の続き。
じゃあ、僕がいままでがんばって映画館に足を運んでいたのは何だったんだ!?
暗殺ロボに改変未来の変化を知ることできる謎機能追加。
今回の『ターミネーター ニューフェイト』は、ロボなのにターミネーターが現在のシュワルツネッガーと同じ年齢に年老いていても、説明がない。
映画の登場人物の年齢が、現実の俳優の年齢に引きずられる問題は、このさきCGで相当解消されるだろうけど、真っ向から無視した今作は逆に潔いのかもしれない。褒めてないけど。
前作(4、5)までは何とか2の続きで整合性をつけようとしていたのに、そもそもの1、2の目的を冒頭で破壊して、1・2の命題(目的)が直接的には無駄骨になってしまったことになる。
3の女ターミネーター女優はそのあとエクスペンダブル・レディズでしか観なかった!
僕は2が公開される前、深夜放映された『ターミネーター(1)』のリンダ・ハミルトンの濡れ場でオナニーしたことがある。
……僕は(濡れ場で射精したことで)ジョン・コナーが自分の息子みたいに思っていたのかもしれない。
だから、俺の息子をあんなないがしろにしやがって!
とよけい腹が立ったのかもしれない。
ターミネーターって言うより今作は「ナーメテンのカー」という感じだった。
何も覚えていないことに驚く。二〇一二年の『メン・イン・ブラック3』の公開時に全部まとめて観直したのに記憶の片隅にも残っていなかった。
赤いペンライトでピカッ!っとやられてしまったみたいだ。
覚えてないから新鮮に楽しめたかと言うとそうでもなく、八〇年代のスピルバーグ映画の焼き直しの既視感を継ぎ接ぎにしたような気持ち悪さで、せっかくの面白くなりそうな設定なのに何でこんな普通やねん!とイライラしてくる。イキってる最高潮の頃のウィル・スミスも鼻につく。
そもそも敵宇宙人の名前がバグって何だよ。こういう地球人目線(英語)で付けられた名前ってすごく違和感がある。星新一ショートショートに出てくる「チリラ星人」みたいな意味がありそうでないのにしてほしい。「フロル星人」とか「ユル星人」とか「キル星人」とか。
星新一氏のは並べてみるとそれはそれで意味が出てくるけど。
シナリオの穴が結構あったんだけど、これはやっぱりCGがあまりにレベルが上がりすぎて昔の特撮のように「ピアノ線見えてる!」みたいな楽しみかたができなくなったから、そういう楽しみのためにわざと作ってるのだろうか。
だってこれだけの大作映画ならスプリクトドクター(シナリオの穴を直す人)だって大金を出して雇っているだろうから、こんなゆるゆるなのを見逃しているとしたら、もう、わざとやろ!!
そもそも論でいうと、トニーがあんなドローン兵器を用意していたんならそもそもMARVEL映画の危機のいくつかはあれで解決できたはず。
まあそんなのは終わってから思ったことで、鑑賞中はただただ映像の快楽に浸っていた。
ヴィランのめくるめく特殊効果の表現は新鮮だった。
ラスト、メリー・ジェーンと主人公の橋の上のあのシーンは、涙を袖で拭いながら観ていた。
そしてビル街を二人で糸ビューン……あんな青春時代、僕も送りたかった。
頑張って肛門から糸を出さなきゃ!
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』予習のため前編『ホームカミング』を鑑賞。
冒頭で車のドアを開けたトニーにハグだと思って抱きついたピーターに「まだそんな関係じゃない」と突き放す冷たいトニー。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』のプロット上の大きな穴だと思っていた、トニー・スタークが何でそこまでピーター(スパイダーマン)に過剰な思い入れしているのかという点だが、ピーターが逆にトニーに対して過剰な思い入れをしていることにたいする返答(トニーの心中の変化)だとするなら完璧すぎる……と『エンドゲーム』を思い出しながら泣けてならない。
これまでスパイダーマンのベストは東映版……でなくサム・ライミ版2だったのだけれども、『ホームカミング』以降は断然こっち。
というか一連のMARVEL映画の中でもベスト級。
『ファー・フロム・ホーム』が本当に楽しみ!!
アメコミ原作の知識を薄っすらと持っていたぐらいで、前情報をいっさい入れず期待せず映画館に入った。
これがめちゃくちゃ面白かった!
何度も声を上げて笑ってしまった。
ものすごくオリジナリティがあるとか、映像が斬新だとか、アクロバティックな構成だったとかではなかったけれど、とにかくキャラクターに感情移入できるよう丁寧に作られている。
主人公はもちろん主人公の家族一人ひとり、悪役もいじめっ子も、登場人物みんなに見せ場がある。
個人的には黒人少女が愛らしくキュンと来てしまった。
何度も何度もボロ泣き。
クライマックスは、そのグダり方自体が憎めなくて僕的にはむしろ好感度高い。
粋にピシッと締められてしまったら解釈の幅が狭まってしまう。
あのぐらいグダグダだから
「あのキャラのあれをもっと見たかった」
「あのキャラ活躍しすぎ」
とかみんなで盛り上がることができるのだろう。
映画が始まる直前、隣席の小学生が
「もう帰ろうよ〜」
とおむずかってたけど、物語が進むにつれおとなしくなっていったので、『シャザム!』が面白くて引き込まれたと思いたい。
僕がこの映画の対象年齢ジャストの頃に観たかった。
面白い映画観たり本を読むと幸せな気持ちになるな〜自分もそういう幸せを他人に分かつことができるような存在になりたい。
今までのトランスフォーマー映画で一番好き。
始まって三〇分目で「俺この映画好きだ!」と心から思えた。
バンブルビーはワンちゃんみたいで可愛すぎる。
犬怖がりの僕ですら萌え死にそうになった。
今までのトランスフォーマー映画も嫌いじゃなかったけれど、あまり自分と関係ない何かと何かが過剰な演出でドカスカやっているのを傍観している印象だった。
今回はスケールが比較的小さい出来事で、自分と地続きな物語。少女の葛藤と成長を丁寧に描いているという点ではパーフェクトだった。ラストで号泣また号泣。
バンブルビーを追ってきた悪の勢力メカが、米軍を騙して手を組もうとするのだが、軍人の一人が
「こいつらと手を組むなんて間違っている! 名前をディセプティコンていうんだぞ。deceiveはだますとかあざむくという意味じゃないか」
って言っているのに、映画館で声を上げて笑ってしまった。
何で悪の軍団は、自分の名前を悪そうな言葉で規定したがるのだろう。
そういやテッカマン敵軍団も自分から名乗っていたな「悪党星団ワルダスターだ!」って。
北朝鮮イランイラクだって自分のことを正義だと思っているから自ら「悪の枢軸」と名乗らないだろうに。しかも相手国の言語で!
映像は本当に素晴らしい。見栄えは『ロード・オブ・ザ・リング』を思わせるような(ピーター・ジャクソンは脚本だけど)で重厚かつ細かい部分まで意識が行き届いた繊細さを兼ね揃え、デザインも秀逸、スペクタクル描写は圧巻、もう言うことがない。
それに比べ、登場人物の行動が支離滅裂さが逆ベクトルにすごい。敵に手を振って見つかり追いかけ回されたり、閉じ込められた部屋に穴をあけて「逃げよう!」と言って逃げなかったり、時間がなく急がなければならないとき意味なく時間をかけて革ジャン着たり。
何でこんなことになってるんだろうと首をひねっていたのだが、よくよく考えると登場人物が不合理な行動をとったあと物語上重要な出会いや道具の入手があり……つまりその展開に行き着くため事態が悪化する必要があって、逆算でとらされた行動なのだ。物語に引きずられて人物が動いているということ。
クィーンは普通に好きで、「キラー・クイーン」「シアー・ハート・アタック」「アナザーワン・バイツァ・ダスト」どの曲もこよなく愛するのだが、フレディ・マーキュリー死後に聴き始めたので曲として思い入れがあっても、クイーンが活躍していた当時のリアルタイムに思い出がリンクしているわけではない。
いつもガラガラでそれが僕的には心地よいけれど「経営的に大丈夫なんかな!?」と心配していた僕がよく行く映画館……『ボヘミアン・ラプソディ』はほぼ満員だった!
ほとんどが僕より世代が上の五〇代以上の中高年だった。
ブライアン・シンガー監督は感心しないこともあるけど総じて映画づくりが巧みな人で、クィーンの人となりを殆ど知らない僕でも涙ちょちょ切れる素晴らしい出来の映画だった。
フレディ・マーキュリーがエイズで余命幾ばくもないことを親しい人に告白するシーン(これはネタバレというより僕でも知ってるレベルの事実)で僕は泣きじゃくって椅子から崩れ落ちるほどだったのだが、横に座っていたおばさんはポーカーフェイス。
なのにフレディが熱唱するシーンの要所要所でおばさんは涙を拭っていた。
きっと、リアルタイムで観ていた世代は多分音楽を通して自分の人生を振り返ったそれが感動ポイントになっているんだろうなあ……
日本映画をあまり観ないので、本作が初めて観た黒沢清監督の映画。
相性は最悪。腹が立ってずっと
「何でやねん!」「そこは放ったらかしかい!」
ずっと画面に向かって毒づいていた。
マシンガンで撃たれた弾着は雑だし、侵略者は散歩してないし、車にはねられた登場人物放ったらかしで話が進むし、爆弾が落ちても地面がえぐられず煙が流れているだけ、何なん、何なん!? ここのリアリティは低いけどここは高い、その落差がよくわからない。日本映画が合わないのか黒沢清氏が合わないのか……思い起こせば僕の去年ワースト映画『太陽』も『散歩する侵略者』と同じ原作者の前川知大氏なので、氏が僕に合わないのか。
怒髪天つくぐらい怒ったまま寝て、今朝夢に見てうなされてしまった。映画と同じようなUFOがヒュンヒュン飛んできて自分の悲鳴で目を覚ました。何だ影響受けてんじゃん俺。