こんな映画を観た!」カテゴリーアーカイブ

映画の見方がわからない人が感想を書いています。ばんばんネタバレしていきますよ〜!
フェイバリット映画は『遊星からの物体X』。
時々アニメやドラマやドキュメンタリーの感想も入ります。
(特に記載がない場合はDVDでの鑑賞です)
 
このカテゴリーの目次はこちら→こんな映画を観た!

【映画】『マラヴィータ』

元マフィアの一家がフランスの片田舎に引っ越してくるドタバタを描いている。イメージとしては永井豪氏『あばしり一家』。
ソツなくまとめている。
キャラクターは過剰だが行き過ぎてはいず、時折設定がひっくり返るが破綻しない程度に抑えている。
説明がなかったことは後で誰かが説明してくれるので、行間を読まなくていいから楽。
近所の上映会のシーンは笑った。ロバート・デ・ニーロが主役でスコセッシが製作だからできる遊び。
逆に言うと予定調和すぎて大きなカタルシスに欠ける、記憶に残らないが楽しい印象だけはあるヨーロッパ・コープいつも通りの製作映画だった。

【映画】 『X-MEN:フューチャー&パスト』:ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞

人間によって作られた対ミュータント兵器センチネルによって、ミュータントが絶滅寸前の未来。
人の意識をタイムマシンのように遡らせる超能力を使いウルヴァリンを一九六〇年代へ向かわせ、センチネルの開発を止めさせようとする。
センチネルが宮崎アニメ定番の、飛行機から投下されるロボット兵器のよう。
『マトリックス』や『インセプション』と同じ、内面世界に侵入することによってこの世界に変化をもたらすタイプの物語。外面の危機と内面の危機がリンクしていくあたり、特に彷彿とさせる。

ブライアン・シンガーの映画で初めて面白い、と思った。

【映画】『言の葉の庭』

雨の日、授業をサボって公園へ行く少年が女性と出会う話。
私小説的(?)な身の回りのことと、SF的なセンス・オブ・ワンダーが、『ほしのこえ』ではぴったり符合していたけれども、それ以降の作品はその二つがちぐはぐに分離していったように思える。『ほしのこえ』では思わず涙を流してしまった自分だが、それ以降の新海誠作品はあまり感心しない。
特にSF的なものの奥行きの浅さには「背景と同じくらい興味を持ってくれよ!」と叫びたくなるほど。
かと言って今作のような私小説的なものにも深みがあるかというとそうでもなく、背景(情感)への異常なまでの執着一点がこの人の欠点全てを目眩まさせている、と僕の中での結論。
本当にビックリするぐらい背景は繊細に描かれていて今まで僕が思っていたアニメのリアルさの分水嶺をひとつ越えたな、とは思ったが、逆に言えばこの映画から「そういう作画ができます」というプロモーション以上の価値を見出だせかった。
あと、そこまで繊細な割に色使いそのものはラッセンとかヒロ・ヤマガタを彷彿とさせるようなわかりやすさで、スタイリッシュさや侘び寂びからは秒速五メートルで遠ざかっているような印象。

【映画】『シュガーマン 奇跡に愛された男』

七〇年代初頭にアメリカでデビューしたが泣かず飛ばずで消えた歌手「シュガーマン」の曲が、何故か南アフリカで反アパルトヘイトのシンボルとして爆発的にヒットしていた……というドキュメンタリー映画。
まあ僕のことだったら知らないところで自分の漫画がヒットしていたらかなり複雑な気持ちになるだろうけど(経済的にもチヤホヤ度的にも)、そもそもアフリカでヒットしたこと自体が人生のおまけ(「シュガーマン」本人も人生を二度生きたようだと語っている)のようなものだから……いや、やっぱり僕のことだったらむかついてるかな。
いや、
「誰だ海賊版の金をパクった奴は! 伝説の俺をもっとチヤホヤしろ!」
ってわめくような人じゃないからああいう歌詞を書くことができて、ああいうところで聴いたからこそあの歌を心の糧にする人が生まれたってことで、やっぱりそれ自体が必然か。
僕も謙虚にならなければ……そしてそういう漫画を描いて地球の何処かでヒットしているかもしれないという幻想を胸にこれからを生きていこう。

【映画】『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』

現在上映中『X-MEN: フューチャー&パスト』の予習で鑑賞。映画『X-MEN』シリーズそれまでの前日譚、プロフェッサーXとマグニートーの出会いから生き方の違いより決別する過程を描いている。
池袋の某映画館で観たとき、どういうトラブルかわからないけれども全編映像が二重にぶれていて(しかし3D上映でない)、腹立たしくて仕方なかった。
それを差し引いてもドキドキハラハラした印象だったから相当面白かったに違いない、と思い出補正がどうなっているのか確認してみたが、意外と派手なシーンばかりでなくメリハリを効かせてお金を節約している印象だった。
前回観たときは、プロフェッサーXがマグニートーの「一番美しい思い出」を蘇らせるシーンで思わず泣いてしまったのだが、それは控えめなのに効果的な演出でやっぱり今回も涙がボロボロ。
派手なシーンもあるが、そういう地味によく出来た演出を積み重ているから、全体的にメリハリがあっていい印象なのだろうな。

【映画】『英国王のスピーチ』

どもりの英国王が話し方先生にしゃべり方を教わる、実話をもとにした映画。
以前、「『英国王のスピーチ』の真実(性格なタイトルは失念)」というドキュメンタリーを観ていると、そのモデルになった先生に話し方を習った生徒がインタビューで当時を語っていたのだが、全員とんでもないどもりで何を言っているのかさっぱりわからなく
「治ってへんやん!」
と思ったものだった。
映画の中の英国王も、ある程度治ったとはいえスピーチ自体はどもり寸前、スリリングでとても危ういものだった。
(スピーチが見せ場ってのもすごい話だ。『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』でいえば、ダース・ベイダーとルークがライトセーバーで戦うようなシーンだよ)
しかし同時に今回この映画を観て考えを改めた。
「きっと、ドキュメンタリーにでていた人たちはその先生に会うまでもっと凄まじい超弩級のどもりで、それでもまだマシになったほう」
だったのだと。

【映画】『ラッパー慕情』

ラッパーを目指す一男、草野球に熱中する二男、漫画家を目指している三男の三兄弟を中心に織りなす人間模様。
みんな駄目すぎて、刹那的で、目先のことしか見えなくて、ずっともがいているしかなくて、非現実的からまた現実に振り子がもどるように進行していく。

僕はこの映画に心を鷲掴みにされた。
ずば抜けた美男美女が出てこないから、自分が画面に取り込まれたような錯覚に陥るような地続き感。
セックスシーンも本当にその場で撮影しているかのようにリアル。
独特のカット割り。癖はあるが僕はスピーディーに感じる。
むしろ、こうしたい気持ち、僕はわかる!
(ような気がする)
特撮のいい加減さ、なのに回想シーンを作りこんだりふとカメラが引いて山の上から道を歩く主人公を撮影したり、金はないけれど時間をかける作り込みならどこまでもやるという気概を見せられたような、画面のどこまでも演出が続いているかのような……
僕がこの映画に対して強く感情移入したその対象は、映画の内容そのものよりこの映画に対してのスタッフの想いなのかもしれない。

【映画】『追憶』

小説家を目指すが、才能と収入を見据えて活動の場をハリウッド、テレビ業界へシフトさせていく現実主義の男性と、理想を追い求めて政治運動にまい進する女性のすれ違いを描いている。
この女性の空気の読めなさが自分と重なって感情移入して見てしまう。普通の人なら特に意識もしないでする世間話も、魂を拘束されたような気持ちで反発してしまうんだよな……

バーブラ・ストライサンドの鼻の形が個人的に好み。
机の上に置いてずっと触り続けていたい。

【映画】『アルファヴィル』

ウルトラセブン第43話『第四惑星の悪夢』、ロボット長官の話はこの映画の影響を受けていたと聞き、前から観よう観ようと思っていたのだが……
セットを使わずカメラワークだけでパリを未来都市に模して撮影しているとのことだが、今観ると、六〇年代のパリにしか見えなくて、なのに登場人物が銀河だの人工知能だの言うコントにしか見えない。時代と(人生においての)時期を間違って観るとこういうことになるのか。

なおストーリーはほぼ理解できなかった模様。

【映画】『ペット・セメタリー』

原作小説を読んでいないので、映画を観ただけの感想。
●そもそもペット・セメタリー(ペット霊園)を通り抜けてその奥へ行く話で、ペット・セメタリー自体は関係ない。
●僕が猫嫌いだから余計思うのだろうけど、臭いにおいのする猫が生き返ってうれしいのか。
●主人公が学ばなさすぎる。
●ジャンル映画だから仕方ないのかもしれないが、個人が解決できる範囲を超えた不穏なこと(死体が転がっていたりする)が起こっているのに、何故警察を呼ばないで自分ひとりで解決しようとするのか。

【映画】『アマデウス』

「モーツアルトを殺したのは私だぁ〜!」と叫ぶ冒頭。しかし話が進むに連れミステリ的な殺人の話ではなく、そういう比喩だということがわかってくる。それを「自分が殺した」というにはお前、牽強付会過ぎるだろ。
『ムーラン・ルージュ』を観たときも冒頭でユアン・マクレガー自身は嘆き歌かもしれないけどお前の個人的な話でこちらには関係ないだろ!と思ったのだが、似た印象。
モーツアルトの才能を妬み羨む宮廷のベテラン音楽家が嫌がらせをするが、音楽の力によって打ち負かされる……の繰り返し。
つまらないかというとむしろそうではなく、『アラビアのロレンス』か!というぐらいの長さ一八〇分ディレクターズカット版だったが、長さを感じさせないほど面白くはあった。

【映画】『愛は霧のかなたに』

二、三年前からTSUTAYA DISCASを利用している。興味をひいた映画をスナック感覚でサクサク予約、観終わるたび新しいDVDが送られてきて探す手間いらずで重宝している。
しかし何でもかんでも予約し過ぎて溜まった未鑑賞の映画が二〇〇本ほど、もはや送られてきても何故自分がこれを借りようとしたのかわからなくない。

この映画も送られてくるまで恋愛映画と思っていて、パッケージの、マウンテンゴリラを抱きしめるシガニー・ウィーバー氏の写真を見てギャフン! 霊長類観察に命をかけた女性生物学者の実話を映画化したものだった……

危機に陥ったとき流れる音楽が電子音なのが八〇年代っぽい。ピコピコピコピコ♪

最初はどうしても主人公に感情移入してしまうから、自然保護区に住むゴリラを執拗に襲い続ける現地人に怒りが向けられる……が、よくよく考えてみると、どうして現地の人がそうせざるを得ないのか、という視点がすっぽり抜けているような。
ゴリラ狩りを禁止したり許可したりが行き当たりばったりの政府なら、現地人はゴリラを密猟することがいけない理屈もわからないだろうし、そもそも地元に産業がない。
この映画で描かれている白人は自分の気持ちを押し付けるだけで、どうして彼らがそんなことをするのか根本的に理解しようとしない。日本のイルカ漁に反対してシー・シェパードが和歌山の太地町で行っている活動みたいなもの。
「私のゴリラを返して!」ってお前のものじゃないよ! 
行き過ぎた部分も含め彼女の行動をどちらかと言えばよきこととして描いている映画の姿勢に感情移入できない。

それはともかくとしてジャングルでシガニー氏が実際のゴリラの群れと触れ合うシーンはスリリングだった。映画の撮影それ自体をドキュメントとして観たい。
とくに威嚇して雄叫びをあげるボスゴリラの迫力ときたら……と思って調べたらこちらのほうは人が入ったぬいぐるみの特殊効果。これはこれですごい技術だ!

【映画】『汚名』

イングリット・バーグマンとケーリー・グラントの口吻は妙にそそられる。ふたりとも鼻が高いのでくちばしのように鼻と鼻をこすりつけ、つつきあっている。
SNSや携帯で密な意思の疎通を要求されかってなく空気を読むことが重要視される現代からみると、登場人物同士のありえないすれ違いにイライラ! イライラ!
素人の女にそこまで要求させるアメリカの秘密機関の雑さ、死んだら責任は誰が取るのか……などいろいろな疑問は残るが、時代を越えて面白い映画であることは確か。

【映画】『捜索者』

死人があきらかに動いている! 呼吸していてるからそういう演出かと思った……この映画が作られた頃はまだ死人の演技のノウハウがなかった?
主人公の気持ちがよくわからない。人種差別的な(今の時代から観ると不必要に露悪的な)行動をするがその説明がない。この作品はクレジットされていないが何かの続編で、前作にて主人公がインディアンに特殊な拷問をされたトラウマかと疑ってしまう。
数年がかりで探索して見つけたインディアンにさらわれた姪を
「お前はもうインディアンだ!」
と銃を向ける心理が特にわからない。
リアルタイムで七〇年前に観ればわかったのだろうけど、時代の波にさらされてぼやけている印象。

【映画】『白いドレスの女』

気だるくムーディーな曲が冒頭からホワホワホワ〜♪
小学生のとき、テレビで日曜洋画劇場を観ていたらこんな音楽がよく流れていた。これがスイッチになってドキドキしたものだ。
キャスリーン・ターナーがとにかくエロい。不穏なぐらいエロい(脇汗は反則!)。
あまりに不自然にエロいからことを起こす前から、ああこいつが全部悪いんだろうなあって観ている側は決めつけてしまう。
ずさんな犯行のほころび方が映画内で強調される暑さと相まってさもありなんと思わせる。原題の『Body Heat』のほうがしっくりくる。